自殺には、死もそうなのだが、2つの相がある。私が自殺するか、私ではない誰かが自殺するか。 もちろん、その中間、私が大切な人が自殺する、というのがあり、それが実は一番大きな問題だし、残された人にとって傷をもたらす。その意味で、たぶん、自殺というのはそこが問題なのだろうと思うが、そこは、あえてここでは書かない。 私が自殺するについては、少しわかったことがある。というか、あまり一般化はできないのだが、3つ。静かに自滅するか、意図として死ぬか、あるいは内的には殺されるか。その3番目が大きな問題で、かなりの多数の自殺が、実は内的には、殺されているのだろう。死にたいという欲望というように「私」の「欲望」としては現れないある他者性なのだろうと思う。(意識内が他者性に分裂して死を命じているような状態。) その意味で、私が自殺するかしないかは、私のなかで死を誘発するような意識性を他者として疎外させるかどうか