「君が代」法制化をわらう いまいげんじ ◆外国人が編曲 ♪きみがあ、ようは・・・・ 「ようは」って何の用やろ? などと思いながら歌った「君が代」。平屋の木造校舎で、紀元節だの天長節の式の日には女の先生のオルガンで斉唱。 ♪さざれ、石の、いわほとなありて・・・・ あ、これは「いわおこし」や、と思った。 ♪こけの、むうすうまああで・・・・ 臼をまわすことやろか? わたしは百姓の子供であった。 歌詞と節回しが噛み合わない「きみがよ」を編曲したのは外国人だったのだ。「君が代」の歌詞の由来は、一〇世紀はじめ、紀貫之、紀友則らが撰進した「古今和歌集」の賀歌(がのうた)、題知らず読人しらずの わが君は千代に八千代にさざれ石の いわほとなりて苔のむすまで という歌だ。 古今集の少し後、十一世紀のはじめ頃の「和漢朗詠集」にも わがきみは千代に八千代にさざれ石の 巌となりて苔のむすまで と収録されているが、「