ついに恐れていた日が来た。私のことを忘れてしまった。 中川右介 2023年11月1日 水曜日 <介護1098日> 午前中は試写会。 夕方、母の病院へ行き面会。元気。「久しぶりね」塗り絵と色鉛筆を渡す。 看護師さんから、「とても元気で、もう歩いている」と。それも、勝手に歩き回るので、転んでしまわな...
![堀越英美「文化系ママさんダイアリー」 - Webマガジン幻冬舎](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/a6201b994abe0d3cc9dc85fbaccc74b30a0f5ad0/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fwww.gentosha.jp%2Fmwimgs%2F7%2F2%2F-%2Fimg_72e688041874b1b6322d8d00fc454c0a114787.png)
ついに恐れていた日が来た。私のことを忘れてしまった。 中川右介 2023年11月1日 水曜日 <介護1098日> 午前中は試写会。 夕方、母の病院へ行き面会。元気。「久しぶりね」塗り絵と色鉛筆を渡す。 看護師さんから、「とても元気で、もう歩いている」と。それも、勝手に歩き回るので、転んでしまわな...
サブカルチャーの特定の領域を愛好する人々が「オタク」として定義されるのだとすれば、「オタク」とは、「文化系」の内部にそもそも含まれているのではないのか。だとすれば、その中でも、ジェンダーとその嗜好のジャンルによって、「腐女子」を自称/他称とする女性たちが、「オタク女子」の内部のカテゴリーのひとつであるのだとすれば、「オタク女子」も「腐女子」も、「文化系女子」に他ならないのではないのか。また、逆に、「文化系女子」とは、「オタク女子」の一部としても語られうるのではないだろうか。 このような問題設定をいきなり目にして、いささか戸惑いを感じる読者もいるかもしれない。「文化系女子」と「オタク女子」あるいは「腐女子」とは、別物である、いや、それどころか、時としてお互いを敵視し対立する、まったく異質な存在として、認識されているような論調がある。しかし、そのような誤解を解くために、「文化系女子」「オタク
「叢書」と大々的に銘打たれた書物を見るのは、何年ぶりになるだろう。おそらくは「叢」という字が当用漢字表から漏れたためだろうが、戦後になってからは「叢書」に代わって、「シリーズ」という無味乾燥な言葉が使われるようになった。 しかし『サマースプリング』は「文化系女子叢書1」と銘打ち、巻末には編集者による「文化・女子・叢書――『文化系女子叢書』発刊に際して」という一文が寄せられている。これはこのサイトでも読めるので、『サマースプリング』をまだ手にしていない読者はそちらを参照してほしい。 私はこの一文を、三木清による「読書子に寄す――岩波文庫発刊に際して――」と読み較べる誘惑に勝てない。(この文章の名目上の筆者は岩波書店創業者の岩波茂雄になっているが、実際に筆を執ったのが三木であるのは、よく知られていよう)>>続きを読む
「ジャニヲタ」とは「ジャニーズオタク」のこと。 誰もがハマる雑誌キリ抜き地獄から海外遠征、ジャニヲタVSモーヲタの奇跡の合コンの一部始終に至るまでオタク女子の生態について、自身ジャニヲタ歴20年のお笑い芸人&エッセイスト松本美香がギャグとナミダ満載で綴るジャニヲタ魂全開エッセイ。ここにあるのは、「ジャニーズへの愛」ただ一つ! 【著者プロフィール】 松本美香(まつもとみか) 1970年7月13日、兵庫県生まれ。血液型B型。身長158cm、体重47kg。松竹芸能所属のピン芸人。映画、ドラマ、芸能界、バラエティ番組など、何でも語る。ジャニーズ大好き、男前好きで知られ、「自虐的ジャニヲタもの」も持ちネタのひとつ。喋りだけでなく文章の面白さも最近話題に。彼女のブログ「男大好き!」は各界で評判を呼び、今現在300万ヒットを記録している。本書はエッセイストとしてのデビュー作。 (出演番組) MBSラジオ
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
映画上映やライブイベントなどを行う複合施設「桜坂劇場」(那覇市牧志3、TEL 098-860-9555)は2月24日より、「女性のためのロマンポルノ特集」を上映する。 上映作品は、「赤線玉ノ井ぬけられます」(1974年)、「壇ノ浦夜枕合戦記」(1977年)、「四畳半襖の裏張り」(1973年、以上、神代辰巳監督)、「実録阿部定」(1975年、田中登監督)の4本を日替わりで上映する。女性の料金は、前売り=800円、当日=1,200円。男性は前売り=1,200円、当日=1,600円。 同劇場の真喜屋力プログラムディレクターは「神代監督の作品はロマンポルノの枠を越え、人間の愛情が描かれている。神代監督をしのぶとともに広く作品を知ってもらいたいと思い昨年から企画を始めた」と話している。 「昨年は女性専用シートを設けたせいか、若い女性も多く作品を楽しんでくれた。もちろん往年の神代作品のファンである中高
[コラム・招待席]「文化系女子」と男の視点 千野帽子(寄稿) (読売 2006/05/27夕刊) ◎ウイークエンド文化 ◇ちの・ぼうし(俳人、文筆家) 文化やサブカルチャーに強い女子はむかしからいましたが、文化系女子なる語を雑誌やネットで見かけるようになったのは最近のこと。文芸誌「ユリイカ」二〇〇五年十一月号の、女性執筆陣による特集『文化系女子カタログ』を読むと、従来の文化体系が所詮(しょせん)「男子文化」というローカルなものに過ぎなかったことがわかります。文学・音楽・映画・手芸その他のアートから、お笑い・ジャニーズといった芸能、アニメ・ゲーム・やおい(男子同性愛を題材とする空想的創作物。愛好者は腐女子(ふじょし)とも称される)などのオタク文化まで、多面的な文化の諸相が幅広く取上げられていて、性差を根拠にそれらをひと括(くく)りにはできません。つまり「これが文化系女子だ」という単一のカテゴ
収まりつつあるけど、文化系女子の話。多分これが最後。 女の子ってのは、素で女の子なわけじゃなく、かなりの部分、女の子をやっている。世に言われる「女の子ってのは○○するものである」というものの、少なくとも半分くらい(いや、もっと?)は、はっきり言って男の押し付けである。彼女たちは今日もせっせと、そういった言葉を守り、自身がより女であるように振舞おうとしている。ご苦労様です。 ちと昔なら、法的に認められた「制度」のレベルで、そういう押し付けは存在していた。しかしながら、最近は男女平等ってことで、こういった「制度」は撤廃されつつある。 おお!では、女の子はついに解放されたのか!ってーと、まぁ、そう簡単にいくわけないわな。 このことに関しての詳しい話は、たぶんフェミニズムを研究されている方が色々語ってくださっているだろうから、このブログでは、生き残っている圧力のひとつである「モテ圧力」に絞って話を
「文化系女子」は膜だって話(身もふたもない) ● 更新休んでいる間はアンテナも錆び付いていたのだけど、ぼちぼち身の回りの記事など読んで感想をつぶやいてみる。のりおくれた感はあるけども。 「文化系女子論」と「萌え」の構造 「文化系女子」をネタにしてはてなの一部で盛り上がっていたらしい。烏蛇さんの記事で見てから、関連記事をあちこち回ってみた。で、結局いちばん的を射ていると思ったのが烏蛇さんの指摘であり、次にKmizusawaさんの指摘。 烏蛇ノート 「文化系女子萌え」とは、「文化系の趣味は『普通の』女性性に反する」という前提の上に成立し、それらの「逸脱者」を巧妙に「普通の女性性」の枠内へからめ取るためのものなんですね。「文化系女子萌え」の中には、「文化系の趣味」への理解など最初からありません。 こうした幻想を抱かれる方の立場でみれば、単なる「自分の趣味」に過ぎないものを「純情さを演出す
前回の記事について、「萌え」という語そのものをめぐって議論が迷走しそうな感じがするので、改めてまとめておくことにします。 私は、今回の「文化系女子論」をめぐる話で「萌え」という語が問題になったのは、以下のようなプロセスの結果だと考えています。 「文化系女子」という概念が「ダ・ヴィンチ」等によって「男性視点からのものとして」流布された。 ネット上で語られる「(男性から見た)文化系女子」像に反発した人達が、これを「萌え」という言葉を用いて表現し、批判した。 「萌え」という言葉に深くコミットする人達が、「萌え」という概念自体へのバッシングを危惧し、これに反発した。 加野瀬氏や吉田アミ氏などは「萌えバッシング」を危惧する立場に立っているように見受けられます。しかし、これはやや見当はずれの見方で、「萌え」という言葉が使われていなくとも「文化系女子論」への反発は起こったでしょう。前回述べたとおり、「ダ
「文化系女子」について、ユリイカの文化系女子カタログ特集号で執筆された方々が詳しく書いているのでそれを紹介。 Tigerlily Scribble - 文化系女子、ユリイカとダ・ヴィンチ http://d.hatena.ne.jp/Tigerlily/20060430#p2 「文化系女子カタログ」は、『オタクVSサブカル!』参加女性陣を面白がった郡編集長(当時)に「何か企画ない?」と呼びかけられた堀越さんが、この機会に他のところではあまり読めない原稿を頼みたい人々を思い、オタクもサブカルもハイカルチャー(とされているもの)もすべてカバーできる幅を持つ語として「じゃあ文化系女子」、と言ってみたところからはじまった、と聞いています。女性の場合、「オタクVSサブカル」の対立は「男性/一般」の場合以上に成り立たないし、オタクもサブカルもハイもローもそれぞれ分断されるものではなく有機的に繋がっている
文化系女子論をめぐる論争については、当のMasao氏も謝罪したことだし、あまり余計なことは言わずに黙っておこうと思っていたんですが、kmizusawa氏に対するLeiermann氏の反論記事を読んで考えを改めました。 文化系女子論をめぐる議論の流れについては、utsutsu氏がこちらとこちらでまとめておられるので、初めて見る方は参考にしてみてください。 Leiermann氏は一連の「文化系女子萌え」騒動に関して次のように述べています。 正直な話私自身はこの件自体に関してはどうでもよく、「好みのタイプ」「理想の異性」という話は、深いところでは無意味であると考える立場だ。そのようなことをいくら妄想していても、実際に好きになってしまう相手はそういう「理想」とおおよそかけ離れた人であることが世の常だと思うからである。 だから、このような話は所詮は与太話であり、ただの戯言と聞き流せばよいはずである。
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