土用の丑の日といえば、鰻丼。この鰻丼、江戸時代には「鰻飯(うなぎめし)」とよばれていました。 この江戸時代の鰻飯、名前だけでなくその外見や内容も、現在の鰻丼とはまるで違っていました。 19世紀に江戸時代の風俗を描いた喜田川守貞『守貞漫稿』によると、江戸時代の鰻飯には、頭を取り除いた長さが3~4寸(約9~12センチ)という、ドジョウのように小さな子供のウナギの蒲焼が使われていました。 昔の丼鉢はとても小さかった 鰻飯を盛る器は「丼鉢」といいましたが、この丼鉢も現在の鰻丼の器「どんぶり」とは異なるものでした。とても小さかったのです。 大森貝塚の発見で有名なエドワード・モースが丼鉢の写真を残していますが、その大きさは現在の茶碗程度の大きさしかありません(小西四郎、岡秀行構成『百年前の日本』)。 茶碗ぐらいの小さな丼鉢にフィットするように、9~12センチの子供のウナギが選ばれたのです。これを何杯も