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南京事件に関するannoncitaのブックマーク (4)

  • 南京事件を認めると謝罪と賠償が求められ国益を損なう、と見えない恐怖に脅えている人について - Transnational History

    今回の南京事件に関する一連のエントリーでの、とあるblogのコメ欄に 「南京事件があったことを日が認めると中国からなんらかの賠償と謝罪が求められるから認められない。」 といった被害妄想の強い否定派の人をみかけた。こういった明らかな事実誤認に基づいた否定派というのは、こちらが「日政府は被害者の具体的な人数については諸説有るとしているが、南京事件がおこったことは公式に認めているし、日中両国間の国交正常化以降に中国政府が謝罪や賠償を求めたことはありませんが。」と教えても、次に必ず(セット)と言っていいほど、 「国益を損なうことになるから認められない。」「あなたは少し勉強不足ではないでしょうか?」 と、おもいっきしこちらがズッコケるようなレスを返してくる。しかも、きちんと事実関係を把握できていないのは自分の側であるにも関わらずなぜか自信満々に・・・。こういった事実関係より感情を優先するタイプと

    南京事件を認めると謝罪と賠償が求められ国益を損なう、と見えない恐怖に脅えている人について - Transnational History
    annoncita
    annoncita 2009/06/05
    だんだんコメントの人の防衛ラインが下がってきているような気が。
  • 目からウロコの南京大虐殺論争

    目からウロコの南京大虐殺論争 はじめに こんなページを作るきっかけになったのは、2003年に発表した『神は沈黙せず』の中で、南京大虐殺論争を取り上げたことである。 小説の中では、若い人気小説家・加古沢黎が、先輩作家・真田佑介を相手に南京大虐殺に関する論争を掲示板上で繰り広げ、真田の主張をことごとく論破する。 お断りしておくが、加古沢は僕ではない。彼はこの小説の中の(神は別にして)最大の悪役である。キャラクターを設定する際に僕自身の信条や性格をいくつか彼に植えつけはしたが、僕とは別人である。だいたい僕は加古沢ほど頭が良くないし売れてもいない(笑)。 なぜこんな場面を書いたかというと、加古沢というキャラクター(若く、頭が良く、歴史に詳しく、既成の権威に対して反抗的)を読者に印象づけるためであると同時に、「人は自分が信じたいものしか信じない」という書の重要なテーマを表現したかったからで

  • http://homepage3.nifty.com/hirorin/nankin01.htm

    〔2008年3月7日、指摘を受けて一部修正〕 *印のついた論者は、無回答、もしくはすでに物故されていて、このアンケートに参加しなかった人。その著作や報道から僕が判断して、表に含めた。多氏は「30万人派」かもしれない。 「まぼろし派」の名の由来となった『「南京大虐殺」のまぼろし』の鈴木明氏は、一貫して犠牲者数への言及を避けている。 こういう分類にしてみたのは、従来の「あった派」vs「まぼろし派」、もしくは「大虐殺派」vs「中間派」vs「まぼろし派」という分類は、図式を単純化しすぎているのではないかと感じるからだ。実際はもっと多様なスペクトルを持つ。上の分類でも、各派閥の中でさらに意見の相違がある。 ネーミングにしても不適切なものがある。たとえば上の「適正派」を「小虐殺派」と呼ぶ人がいる。何万人も殺されているのに「小虐殺」と呼べる感性が、僕には驚きである。 それにしても不思議である

  • 『南京事件「証拠写真」を検証する』の間違いについて

    『南京事件「証拠写真」を検証する』 の間違いについて TVの間違い 亜細亜大学教授・東中野修道氏ら共著による草思社刊『南京事件「証拠写真」を検証する』については、最近TVなどで取り扱われてます・・・ プロパガンダ写真研究会 1998年2月から翌年2月までの間に、自由主義史観研究会において、プロパガンダ写真研究会というものが存在していました。 これは、会員皆で日歴史上影響を及ぼした、歴史写真・・・特に日中戦争におけるプロパガンダ(宣伝)写真の真実を解き明かし、最終的には出版を行うというものでした。 しかしながら結果として、何も成果が上がらず、写真検証の出来るものはおらず、藤岡、東中野両教授による研究成果の盗用が開始されただけです。 (当時の趣意書) 東中野修道氏の書籍である写真検証は98年2月から1年間活動した、自由主義史観研究会内に存在したプロパガンダ写真研究会での研究発表を

    annoncita
    annoncita 2008/05/22
    否定派資料
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