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2008年9月13日のブックマーク (2件)

  • 目からウロコの南京大虐殺論争

    目からウロコの南京大虐殺論争 はじめに こんなページを作るきっかけになったのは、2003年に発表した『神は沈黙せず』の中で、南京大虐殺論争を取り上げたことである。 小説の中では、若い人気小説家・加古沢黎が、先輩作家・真田佑介を相手に南京大虐殺に関する論争を掲示板上で繰り広げ、真田の主張をことごとく論破する。 お断りしておくが、加古沢は僕ではない。彼はこの小説の中の(神は別にして)最大の悪役である。キャラクターを設定する際に僕自身の信条や性格をいくつか彼に植えつけはしたが、僕とは別人である。だいたい僕は加古沢ほど頭が良くないし売れてもいない(笑)。 なぜこんな場面を書いたかというと、加古沢というキャラクター(若く、頭が良く、歴史に詳しく、既成の権威に対して反抗的)を読者に印象づけるためであると同時に、「人は自分が信じたいものしか信じない」という書の重要なテーマを表現したかったからで

  • http://homepage3.nifty.com/hirorin/nankin01.htm

    〔2008年3月7日、指摘を受けて一部修正〕 *印のついた論者は、無回答、もしくはすでに物故されていて、このアンケートに参加しなかった人。その著作や報道から僕が判断して、表に含めた。多氏は「30万人派」かもしれない。 「まぼろし派」の名の由来となった『「南京大虐殺」のまぼろし』の鈴木明氏は、一貫して犠牲者数への言及を避けている。 こういう分類にしてみたのは、従来の「あった派」vs「まぼろし派」、もしくは「大虐殺派」vs「中間派」vs「まぼろし派」という分類は、図式を単純化しすぎているのではないかと感じるからだ。実際はもっと多様なスペクトルを持つ。上の分類でも、各派閥の中でさらに意見の相違がある。 ネーミングにしても不適切なものがある。たとえば上の「適正派」を「小虐殺派」と呼ぶ人がいる。何万人も殺されているのに「小虐殺」と呼べる感性が、僕には驚きである。 それにしても不思議である