【飛魚雲豹音楽工団】は原住民族解放運動に奉仕するために生まれた。 1999年9月21日、台湾を襲った大地震によって、原住民部落は壊滅的な打撃を受けた。政府の復興対象は主に都市部被災地域に集中し、原住民部落は見捨てられた。原住民は“自力自救”に立ち上がった。 11月、被災部落を救援するために、「部落音楽会」が開かれた。そして【飛魚雲豹音楽工団】が誕生した。 彼らは自身で「簡易録音室」を作り、『黒暗之心』と題する一連のCDを製作し、街角で販売している。音楽上で得たお金は音楽工団自身の必要とする出費以外、すべては原住民族運動に還元される。彼らは音楽活動以外に、常に原住民の闘いの場に身を置いている。 【飛魚雲豹音楽工団】の音楽は原住民族の悠久の生命と歴史の深層に向かいながら、いま台湾原住民族の復権と自治を求めて立ち上がった人々と共にある。 日本による台湾植民地の下で、台湾の原住民族は「理蕃政策」の
この文章は、『アジア農村研究会通信』Vol.1(2000年1月)から、一部を改訂して掲載したものです。このウェッブサイトから見られる内容は、参考のためのオンライン用の改訂版であり、原文とは違っています。引用される場合には、必ず原文にあたり、出典を明記して下さい。このウェッブからの引用は、慎んでお断り申上げます。はなはだ未整理のページで、見苦しく、お詫び申し上げます。 国民党政権が自らを中国全土の代表と位置付け続け、戦後、朝鮮戦争のころまでは台湾を専ら大陸反攻への基地としか見なしていなかったことは、台湾における“台湾サイズ”の国民統合を大きく遅らせる原因となった。例えば台湾の多様なエスニック・グループの統合などにそれは顕著に現れており、1990年代に漸く「原住民」アイデンティティに基づく政治運動が一定の隆盛を見せ始めたものの(その過程の代表的議論として、謝世忠1987)、原住民諸エスニック・
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