一族史に過ぎないものを奄美史として書いたのは『名瀬市史』における大山麟五郎だったが、大江修造の『明治維新のカギは奄美の砂糖にあり』は、その更新版である。もっとも一族史を奄美史に拡大するのは錯誤でしかないという意味では、更新される必要のないものであり、むしろ奄美にとって脱すべき課題であるというべきである。市場に流通する必然性はない。これにあるべき姿があるとすれば、一族の人々へ私家版としてあるいはコピーで渡して自身の誇りへとつないでくれるよう託すことだ。さりげなく控えめに、がこの手の生命線だと思える。 大江は、奄美は薩摩の直轄支配にあったとしながら、間接支配であったと書いている。ぼくは、薩摩は琉球を間接支配したが、奄美は直接支配していたと理解している。なぜ、奄美は間接支配であると認識するのだろう。 大江は書いている。 例えば、奄美では「みしょれ」といえば「食べてください」という意味であるが、こ
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