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疑似科学に関するannoncitaのブックマーク (5)

  • 『園長先生の見識と読み聞かせ(追記あり)』

    なぜだか思い出せないのだけれど(まただ^^;;)、「水からの伝言 読み聞かせ」で検索をはじめてしまった。薄々予想はしていたけれど、当然のごとく暗~い気持ちになってしまった。水伝を読み聞かせでやるボランティアの人々が大勢全国にいるんだなあ、と。 読み聞かせ自体はいいことだと思うのだけれども(する人の技術的な問題はおいといて)、絵業界で水伝に対する注意喚起みたいなものができないのかなあ、とか思ったり。 # 読み聞かせにまつわる話としては、亀@渋研Xさんの最近のエントリ が考えさせます。 はじめ検索してるうちは、いくつかの「水伝読み聞かせした」と報告しているサイトを挙げて、悩ましいですねえと書こうと思っていたのだけれど、そのうち一つのサイトに行きついて、方針を変えた。問題の方に興味ある方は、「"水からの伝言" "読み聞かせ" 」で検索してみてください。というか「水に伝言 ぬかに釘 教育関係 」

    『園長先生の見識と読み聞かせ(追記あり)』
  • 血液型性格判断の大家・田淵幸一の華麗な戦績 - NATROMのブログ

    今さっき知ったのだが、北京オリンピック野球日本代表の田淵ヘッド兼打撃コーチは「球界きっての血液型性格判断の大家」なのだそうである。オリンピックが終わる前に批判できればよかったのだが。 ■星野熱血指導より…田淵「血液」診断野球が“えぇ!” (ZAKZAK) 北京五輪日本代表の最終メンバー24人が17日に発表されたが、血液型では、A型が10人(41.7%)と圧倒的多数。O型は7人、AB型は5人、B型は2人しかいない。となれば、鍵を握るのは首脳陣の中で唯一A型の田淵コーチ。実際、田淵コーチは球界きっての血液型性格判断の大家なのだ。 日人平均のA型の割合は40%くらいだから、別に「A型が圧倒的多数」とは言えない。B型が少ないが、たぶん有意差はない。選手にA型が多いからといって首脳陣の中で唯一A型の田淵コーチが鍵を握るという論理展開も意味不明。 今季24盗塁の荒木、19盗塁の青木、16盗塁の川崎と

    血液型性格判断の大家・田淵幸一の華麗な戦績 - NATROMのブログ
    annoncita
    annoncita 2008/08/26
    あの情けない戦いっぷりを見たあとこの記事を見ると、感慨深いものが。
  • 論理的であろうとすることをめぐるメモ - 百丁森の一軒家・別館

    annoncita
    annoncita 2008/06/01
    美しいまとめだなあ
  • 擬似科学批判をめぐって - 諸悪莫作

    id:demianさんやid:Apemanさんからいただいたご批判について。 http://d.hatena.ne.jp/demian/20080514/p1 「疑似科学と平和運動」について再び - Apeman’s diary 特定の専門領域に従事する人もしくは特定の専門領域に強い関心を抱く人が、その良心から、もしくは自身や先人達の積み重ねに対する責任感から、その専門性を発揮し、社会的な出来事に対して警句を発したり批判をおこなおうと考えることは――少し端折って書くと――自然なことであり、その誠実さのあらわれなのだとさえ言える。そして同時にたとえば僕のような半可通が、そのような専門家の意見に依拠して自身の見解を構築したとしても、それはある意味では当然のことなのであって、それ自体にはなんら批判される要素はないと言える。だからいわゆる擬似科学というものに対して、科学の領域にある人々が批判をおこ

    擬似科学批判をめぐって - 諸悪莫作
  • 「疑似科学と平和運動」について再び - Apeman’s diary

    前回書いたエントリはこちら。その後、以下のようなエントリを拝見して。 Demilog 「昨日のエントリについての補足」 モジモジ君の日記。みたいな。 「似非科学を似非科学的に批判すること」 まずは demian さんのエントリから。というより、そこで引用され検討の対象とされている、すでに書き換えられてしまったブクマコメントについて。「他人のライフスタイルや価値観にまで踏み込んで発言する時は慎重になるもの」なのに「ニセ科学」「トンデモ」といった旗印があれば、「そこに踏み込んだり侮辱したりする行為も許されてしまう」のか、という疑似科学批判への批判的なコメントである。しかしですね、demian さんが指摘されている疑似科学の「実害」の問題をとりあえず脇においたとしても、疑似科学と極めて親和的なニューエイジ的思考はそれ自身が「他人のライフスタイルや価値観」への批判であるわけです。で、ニューエイジに

    「疑似科学と平和運動」について再び - Apeman’s diary
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