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ブックマーク / formosanpromenade.blog.jp (7)

  • 【映画】「太陽的孩子 Wawa No Cidal(太陽の子供)」 : ふぉるもさん・ぷろむなあど

    館ブログ(書評等):ものろぎや・そりてえる(http://barbare.cocolog-nifty.com/) ツイッター:https://twitter.com/troubadour_k (運営者:黒羽夏彦 /黑羽夏彥/KUROHA Natsuhiko 2014年1月開設) 【映画】「太陽的孩子 Wawa No Cidal(太陽の子供)」 台湾の東南岸は、海の青々とした広がりと間近に迫る峻険な山並みに生い茂る緑とが美しいコントラストをなして、息をのむほど美しい。映画の冒頭は海沿いの道路を走るシーン。だが、ところどころで目立つのは「売地」の看板。経済的に立ち遅れたこの地域では、就労年齢に達した人々は次々と都会に出て行って過疎化が進み、他方でリゾート開発の需要もあるのだろう。 台湾東南岸に暮らすアミ族は人口約18万人、台湾原住民16民族(政府の認定による)の中では最大規模。この映画のセリ

    【映画】「太陽的孩子 Wawa No Cidal(太陽の子供)」 : ふぉるもさん・ぷろむなあど
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    annoncita 2015/10/09
  • 【ふらり台湾】佳里・蕭壠文化園區、かつての明治製糖工場 : ふぉるもさん・ぷろむなあど

    館ブログ(書評等):ものろぎや・そりてえる(http://barbare.cocolog-nifty.com/) ツイッター:https://twitter.com/troubadour_k (運営者:黒羽夏彦 /黑羽夏彥/KUROHA Natsuhiko 2014年1月開設) 佳里公園からさらに北へ向かって歩き、十分ほどのところに蕭壠(Soulangh)文化園區がある(写真10、11)。ここはもともと台湾製糖の佳里工場があった所で、もとをたどれば1906年に明治製糖が設立した工場に由来する。1995年に製糖工場の操業が停止された後、台南県政府が工場跡を文化園区として整備した。現在は園内の旧倉庫(写真12、13)で様々な催し事が行われており、私が訪れたときは「作家吳新榮展」をやっていた。写真14は蕭壠文化園區の園内地図。写真15は水牛を使って精糖を行っていたことを示す模型。 (写真10)

    【ふらり台湾】佳里・蕭壠文化園區、かつての明治製糖工場 : ふぉるもさん・ぷろむなあど
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    annoncita 2015/02/19
  • 【時事メモ】2014年・台湾九合一選挙(統一地方選挙)について : ふぉるもさん・ぷろむなあど

    館ブログ(書評等):ものろぎや・そりてえる(http://barbare.cocolog-nifty.com/) ツイッター:https://twitter.com/troubadour_k (運営者:黒羽夏彦 /黑羽夏彥/KUROHA Natsuhiko 2014年1月開設) 11月29日に台湾で実施された統一地方選挙(六大直轄市長をはじめ9つのレベルの選挙が同時に行われるため「九合一選挙」と呼ばれる)は2016年に予定されている総統選挙の前哨戦と位置づけられているため、事実上、国政選挙並みの盛り上がりを見せていた。選挙結果を見た直後の印象論なので不正確の誹りをまぬかれないだろうが、現時点で考えられる点をメモしておきたい。 馬英九政権の支持率は極端なまでに低迷したままである。今年3月に大きなうねりを見せた「太陽花学生運動」で示されたように国民党の大陸政策への不信感も根強く、品安全、貧

    【時事メモ】2014年・台湾九合一選挙(統一地方選挙)について : ふぉるもさん・ぷろむなあど
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    annoncita 2014/11/30
  • 【書籍】野嶋剛『ラスト・バタリオン──蒋介石と日本軍人たち』 : ふぉるもさん・ぷろむなあど

    館ブログ(書評等):ものろぎや・そりてえる(http://barbare.cocolog-nifty.com/) ツイッター:https://twitter.com/troubadour_k (運営者:黒羽夏彦 /黑羽夏彥/KUROHA Natsuhiko 2014年1月開設) 野嶋剛『ラスト・バタリオン──蒋介石と日軍人たち』(講談社、2014年) 中国台湾は言うに及ばず、日にとっても深い因縁を持つ歴史上のキーパーソン・蒋介石。東アジアの激動をある意味一身で体現しているかのように、彼の評価もまた変転いちじるしい。権威主義体制時代の台湾では文字通り神格化されていたが、民進党の陳水扁政権が誕生すると、脱蒋介石化が急速に進められた。他方、それまで彼を「人民の敵」としてきた大陸の方ではむしろ蒋介石研究が一つのブームになるという逆転現象も起きている。蒋介石をどのように評価するかはともかく、

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    annoncita 2014/06/02
  • 梁啓超、林献堂、板垣退助 : ふぉるもさん・ぷろむなあど

    館ブログ(書評等):ものろぎや・そりてえる(http://barbare.cocolog-nifty.com/) ツイッター:https://twitter.com/troubadour_k (運営者:黒羽夏彦 /黑羽夏彥/KUROHA Natsuhiko 2014年1月開設) 東アジアの近代を考える上で梁啓超の存在感は大きい。日統治下における台湾民族運動の立役者として知られる林献堂もまた政治的方向性を模索する中で梁啓超からの影響を受けていた。 1907年に27歳だった林献堂は初めて東京へ行った。当時、戊戌の政変(1898年)に敗れて日へ亡命していた梁啓超は横浜で「新民叢報」社を設立して、清朝の立憲改革を求める言論活動を精力的に展開していた。かねてから梁啓超の盛名を聞いていた林献堂は是非とも面会したいと思い、横浜の彼の寓居を訪問したが、あいにくなことに不在。後ろ髪を引かれる思いで立ち

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    annoncita 2014/01/20
  • 謝介石――「満洲国」初代外交部総長となった台湾人 : ふぉるもさん・ぷろむなあど

    館ブログ(書評等):ものろぎや・そりてえる(http://barbare.cocolog-nifty.com/) ツイッター:https://twitter.com/troubadour_k (運営者:黒羽夏彦 /黑羽夏彥/KUROHA Natsuhiko 2014年1月開設) 従来、大陸へ渡った台湾人についての研究は抗日運動に従事した点に重きが置かれていた。すなわち、台湾出身だが大陸へ行き、国民党と共に台湾へ戻ってきたいわゆる「半山」が歴史的正統性の観点から高く評価された。他方で、対日協力者、すなわち「漢奸」の疑いがある者については、史料上の制約ばかりでなく、政治的タブーになっていたことから研究が遅れており、格化したのは1987年に台湾で戒厳令が解除されて以降のことである。 中国大陸へ渡った台湾人の動機を類型化してみると、①進学(台湾人が台湾で高等教育を受けられる機会は乏しく、また日

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    annoncita 2014/01/16
  • 『民俗台湾』──「皇民化運動」に抗った雑誌 : ふぉるもさん・ぷろむなあど

    館ブログ(書評等):ものろぎや・そりてえる(http://barbare.cocolog-nifty.com/) ツイッター:https://twitter.com/troubadour_k (運営者:黒羽夏彦 /黑羽夏彥/KUROHA Natsuhiko 2014年1月開設) 太平洋戦争の勃発も目睫に迫った一九四一年七月、台北で『民俗台湾』という雑誌が創刊された。刊行の中心となったのは池田敏雄という人物。彼は公学校(台湾人向けの小学校)教諭だった頃から台北の下町・艋舺(現在の萬華区)に住み込み、庶民文化にすっかり馴染んでいたほどの台湾びいきであった。 南進の前線基地と位置付けられていた台湾では戦時色が日増しに色濃くなりつつあり、陰に陽に台湾人の「日人」化を推し進める、いわゆる「皇民化運動」が展開されていた。台湾人の民俗文化を記録することは、見方を変えれば日人との文化的相違を際立たせ

    『民俗台湾』──「皇民化運動」に抗った雑誌 : ふぉるもさん・ぷろむなあど
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    annoncita 2014/01/11
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