cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日
惨めな思いをしたりつらい状態に追い込まれたとき、私たちはそれを「痛い」と感じます。 また、他人からほめられたりラッキーな思いをしたとき、それを「おいしい」と表現することがあります。 これらの言葉は比喩として用いられているように見えますが、脳の中を見てみると実はそれが単なる比喩とは言い切れないことが最近の研究で分かってきました。 針で刺されたりつねられたりしたときに人は痛みを感じますが、そのとき脳の中では前部帯状皮質という部分が反応することが知られています。 こうした痛みは物理的な刺激によって生じるものですが、こころがちくりと痛むような場合も、なんと脳の中では同じ部分が反応しているようです。 Takahashi et al.(2009)*1による研究では、実験参加者を脳の活動を測定する機械の中に寝かせ、そこで自分より成功している人のことを想像させました。 つまり自分が劣等感を持つような状況を
第一回:承認欲求そのものを叩いている人は「残念」 第二回:承認欲求の社会化レベルが問われている 第三回:承認欲求がバカにされる社会と、そこでつくられる精神性について 第四回:私達はどのように承認欲求と向き合うべきか(今回) ここまで、承認欲求について連載してきた。それらを踏まえ、どのように承認欲求と向き合うべきかについて私見をまとめ、結びとする。 最初に述べたように、認められたい・褒められたい・いっぱし扱いされたいといった社会的欲求は、ヒトに生得的に具わったものと思われ、ほとんどの人間に具わっているものと思われる。だから、承認欲求という言葉で表される心理的性向そのものを否定するのは色々な意味で筋が悪い。 承認欲求全般の否定は、おそらく自分自身の心理的性向の一部を否定することにも直結する。そうやって承認欲求に“臭いものに蓋”を続ければ、さしあたり承認欲求周辺の問題から自由になれるかもしれない
先日の記事では、承認欲求が社会化されていくプロセス、熟練度がアップしていくプロセスについてまとめた。今回は、承認欲求、とりわけ思春期前半の逸脱しやすい承認欲求が罵倒されたり排除されたりしやすい社会情況と、その問題について振れてみる。 昨今、思春期前半の承認欲求が馬鹿にされたり、批判に曝されたりする機会が増えたように思う。 わかりやすいところでは、中二病を馬鹿にする風潮だ。いい歳した大人の中二病が揶揄されるのはまだわかる。だが十代の若者の不器用なレクリエーションまでもが、「中二病は恥ずかしいもの」「中二病はネタ」的な括りで取り扱われていて、そういうメタ情報が学生にまで周知されている。中二病のかけがえのなさを讃える声が無いわけではないが、そのような声は、中二病を笑いものにする声に比べて大きいとは言い難い。 くわえて、ネット炎上の問題が新たに加わった。2013年は、若者の“武勇伝”や“仲間内を意
なぜ承認欲求と自己愛が問題になるのか? - デマこい! リンク先に書いてあるように「承認欲求や自己愛は人間の基本的な心理的欲求」であり、それそのものをバッシングするのは人間の基本的性質をバッシングするに等しい。ところが今日のインターネットでは、承認欲求という言葉が罵倒語としてしばしば用いられている。 どうして、承認欲求(笑)として叩かれてしまうのか? 承認欲求がバカにされる社会とはどういう社会で、その社会はどのような個人を生みだし得るのか? このあたりについて、書き溜めてあった4つのブログ記事を順番にアップロードする。 承認欲求は、現代人の重要なモチベーション源 承認欲求という言葉は、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが使った言葉で、彼の欲求段階説のなかでは生理的欲求、安全欲求、所属欲求、自己実現欲求と並んで基本的な人間のモチベーションのひとつとして紹介されている。以下に、マズローの著
まとまりのある話ではないけれども。 「君は正しかったんだよ」と言って貰いたがっている人が、たぶん沢山いる。 診察室の内側にも外側にも。 もとより、普遍的に正しい生き方は存在しない。正しい生き方は人の数だけ存在する。高収入なら正しい、家庭を持てば正しい、統計上、平均値や中央値以上に分類されれば「君は正しかったんだよ」となるようなものではない。正しさ生き方、正しい人生の形はたくさん存在する。 価値観が多様化したとよくいわれる。然り。価値観の数だけ正しさが生まれた、ということだ。人間の数だけ正しさがジェネレートされなければならなくなった。そして各人が自分自身の正しさを、自分自身の審級でもって評価しアセスメントしなければならなくなった――処女と性行為に及ぶことが正しさというなら、その正しさへ!年収八百万の男と結婚することが正しさなら、その正しさへ!――極論を言えば、そういうものである。 もちろん現
皆さんこんにちは、小野ほりでいです。近頃ネットで話題の「繊細チンピラ」というワードをご存知ですか?実は私もよく知りません。繊細なのにチンピラ?一体何なんですかね。本当にそんな言葉あるんでしょうか・・・? <登場人物> エリコちゃん 別に何も考えてない女の子。 ミカ先輩 ずっと説教してる先輩。今回も説教するらしい。 1.本当に自慢? ~♪ エリコちゃん、最近ツイッターが活発なのね。 そうですか?実は今、「現実がかようにもクソであるならせめてネット上では幸せに見えるように振る舞おう月間」を実施中なんですよ。 なんなのよそれ・・・何だかよく分からないけど、悪いことではないと思うわ。 実情に相反してバーチャルな自分の分身がどんどん幸せになっていくので笑えますよ。先輩もどうですか? 私は別に・・・あらエリコちゃん、リプライが溜まってるみたいよ。 ほんとだ。フォロワー0なのに誰かな・・・? な、なんか
(前略)米国で注目されていた若い科学著述家1人が昨年、大きなスキャンダルを起こした。 『プルーストの記憶、セザンヌの眼 脳科学を先取りした芸術家たち』という本で広く知られたジョ ナ・レーナーがその主人公だ。コロンビア大で神経科学を専攻し、オックスフォード大で神学と文学 を勉強した彼は、脳科学的な観点で文学と芸術を眺めた魅力的な本3冊で一躍話題の作家にな った。読者は30歳過ぎの若い作家の美しい文章が好きだった。 ところが、彼の本に登場する引用文は実際、自分が作ったものであり、自分が以前に書いたコラ ムを新しいコラムに繰り返し使っていたことが暴露された。出版社は彼の著書2冊を回収するに至り、 彼は謝罪文を発表する屈辱を味わった。 科学ジャーナル『ネイチャー』に掲載された数週間前の 記事によると、彼の不正行為が暴露されると、米国社会内で彼を批判してからかうコメントがあふれ たが、興味深いのは、
俺たちオジさん(オバさん)には今、歌う歌もなければ、聴く歌もない!(富澤一誠) - 個人 - Yahoo!ニュース リンク先では、61歳の音楽評論家が現代のミュージックシーンについて「青春時代の音楽を取り戻して欲しい」「30年程前のあの〈熱狂〉をもう一度」と熱弁を奮っている。率直に言って、驚き、呆れた。 あるていど歳を取った人が、青春時代に耳にした曲を大切に思う気持ち自体はわかる。私だって、自分が青春時代を過ごした頃の音楽――それは小室哲哉であったり、渡辺美里であったり、ミスターチルドレンであったりする――を聴くと、若かった頃が思い出されて胸が高鳴る。だから、リンク先の音楽評論家さんがフォークソングを特別に思う気持ちそのものはおかしいとは思わない。 だからと言って、自分の世代の音楽だけを「真の音楽」「大人のための音楽」と吹聴するのは、いかがなものか。 これが、(西洋でいう)クラシック音楽や
自己愛の充たされ具合と、判断力について。 人間って、腹が減ってもすぐには死にません。空腹は辛いものですが、健康な人が一食抜いた程度なら大丈夫でしょう。しかし空腹がずっと続けば衰弱しますし、いつか餓死してしまいます。 人間の自己愛も、これに似ていると思います。人間の心は――少なくとも概ね健常な状態にある人間の心は――ちょっとやそっと自己愛が充たされなくなっても、すぐには潰れてしまわないものです。でも、ずっと自己愛が充たされない状態が続いていると、だんだん心が衰弱していって、メンタルヘルスを損ねやすくなってきます。尤も、自己愛が腹ペコ状態になっただけでメンタルヘルスを損ねるところまでいってしまう人は稀でしょう。身体的疲労やストレスが重なった時に、自己愛が腹ペコ状態なのかそうでないのかが問われ、その人の命運が左右されるんじゃないかと思います。 ここまでは拙著『ロスジェネ心理学』でも書いた話。 本
2ちゃんで拡散中のコピペがニートの心情を汲んでいると話題に Tweet 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/01/08(火) 02:29:18.93 ID:2zkOlWIP0 【ニート問題:心ある方のみお読み下さい】 若年無職の人達と数年接してきました。それで分かったことは、 ニート・ひきこもりは、メディアを賑わすような「怠け」の類では断じてありません。 彼らはややもすると、一般人よりも真面目なのです。しかし彼らの多くに共通するのは 「生活面の才能が極端にない」と言う弱点があり、その上で 「羞恥心が非常に強い、人の評価を異常に気にする、人の態度や言葉に傷つき易い」 のです。その共通性は、類似を超えて、一種の疾患や障害にさえ感じます。 それらの性格がその弱点を、人に伺い克服する機会を阻み、深い交友関係も築かせず、 結果「基礎的な生活能力・知識」に極度に欠ける事態を生
【速報】真面目系クズの正体が判明 Tweet 1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/08(土) 01:16:03.46 ID:sayxBwWh0 http://www.asahi-net.or.jp/~uv3k-kmgi/jigakakusan.html ちょっと堅く書いてあるけど 心理学の先生に真面目系クズのテンプレみせたら 「ああ、間違いないですね」だと 安心しろ病気だ 大いに甘えていいぞ 5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/08(土) 01:16:59.36 ID:b56Ml8wn0 真面目系クズだと思ってたら発達障害だったんだけど 18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/08(土) 01:30:24.09 ID:93Esjdp90 >甘えれば相手に飲み込まれ、自立しようとすれば孤立しっぱなし
日本で問題視されているネット依存がSNSに対するものだろう。SNSは自己愛を増長する構造になっており、場合によっては自分の幸せを過剰に演出する傾向が現われてくる。 前回までは青少年のネット依存について、韓国の例を見てきた。韓国のネット依存はオンラインゲームを中心としたものであり、他国ではあまり類を見ない特徴的なものである。 一方日本で近頃急速にメディアなどで取り上げられ問題視されているのが、SNSに対する依存である。Twitter、Facebook、mixiが日本においての三大SNSだが、日本で発達したソーシャルゲームもその切り口で一緒くたにされてしまう例も多い。 ソーシャルゲームは、プラットフォーム上にはSNS的な機能はあるものの、各個人のアイデンティティを発揮して個人的な人間関係を築くような仕組みにはなっていない。一時期その傾向もあったが、青少年ネット規制法と出会い系規制により、SNS
第三者からみて孤独そうに見える人が必ず精神的に打たれ弱いかと言うと、そうでもありません。少数ながら、孤独に対する耐性が異様に高い人が存在しますし、第三者からは目に見えにくい繋がりをどこかに持っている人も珍しくありませんから。しかし、本人自身が孤独に悩んでいるような人――つまり孤独感に苛まれている人―――は、必ずといってよいほど精神的に打たれ弱いように見受けられます。 独りぼっちは辛いんですよ。 「自分は独りではない」と感じている人が新しいことに挑戦するのと、孤独感に苛まれている人が新しいことに挑戦するのでは、体感されるストレスが何倍も違ってくるのではないでしょうか。世の人間の大半は、どうやら孤独には弱いようにみえます。「自分は独りぼっちではない」という感覚無しには生きていけないというか。[誰かが自分のことを見てくれている感覚][誰かが自分と一緒にいてくれる感覚]を持っている時なら簡単に我慢
紹介 僕たちはどこでつまずいたのか? ロスジェネ世代が得てきたもの、失ったもの、残されているもの オタク出身、ロスジェネど真ん中の精神科医が放つ渾身の1冊! ファミコンと『少年ジャンプ』に夢中だった少年時代、突如訪れた就職氷河期に苦しめられた若者時代、中年にさしかかっても自分のことで精一杯な現在…… 少しでもマシな未来を手にするために、今すべきこと 大人になれない現代人の心理構造を読み解く 目次 第1章 俺的に正しく、俺的に間違っている社会 第2章 われわれはなぜ、どこで躓いたのか――団塊ジュニア~ロスジェネ分析 第3章 ミソジニー男とクレクレ婚活女の織りなす空前のミスマッチ 第4章 取り扱い要注意物件としての自己愛 第5章 SNS時代のコミュニケーション 第6章 コミュニケーションの苦手意識を克服するための技術 第7章 私達の義務と責任――次世代に何を残せるのか 前書きなど 1970~8
[PDF]平成23年度「国語に関する世論調査」の結果の概要(文化庁) 文化庁は毎年、国語に関する世論調査という統計を出していて、日本語に対する意識やメディアの使用状況なんかを集計していて面白い。で、平成23年度調査が発表されたというので久しぶりに覗いてみたら、見慣れない項目が混じっていて、しかもちょっと興味深い結果を呈していたので、以下に抜粋する。 ・初対面のコミュニケーションに対する得意意識、苦手意識に関する調査 ※文化庁 平成23年度「国語に関する世論調査」の結果の概要より抜粋 表を見てまず目に付くのは、「30代は初対面に得意意識を持っている人が少ない」点である。他のすべての世代においては、約45%の人が初対面のコミュニケーションが得意だと答えているのに、30代だけ40%を切っている。これは何を反映しているのか?就職超氷河期時代のトラウマが反映されて、コミュニケーションに自信喪失してい
大津市のいじめ自殺事件で、“加害者”とされる少年と両親の実名や写真がネット上に公開され、深刻な被害が生じています。こうした「個人攻撃」が行なわれるのは、マスメディアが人権侵害を恐れ、学校や教育委員会ばかりををひたすら批判しているからでしょう。そのため読者は、「少年を自殺に追い込んだ当事者の責任が追究されないのは理不尽だ」という強いフラストレーションを感じます。ここから、「俺が代わりに処罰してやる」という“必殺仕事人”の登場まではほんの一歩です。 復讐の物語があらゆる社会で古来語り伝えられてきたのは、それがヒトの本質だからです。そればかりか、「目には目を」というハンムラビ法典の掟は、チンパンジーの社会にすら存在します。 ところで、ヒトはなぜこれほど復讐に夢中になるのでしょうか。その秘密は、現代の脳科学が解き明かしています。脳の画像を撮影すると、復讐や報復を考えるときに活性化する部位は、快楽を
サービス終了のお知らせ NAVERまとめは2020年9月30日をもちましてサービス終了いたしました。 約11年間、NAVERまとめをご利用・ご愛顧いただき誠にありがとうございました。
ネットを眺めていてふと気付いた。 現在、日本のメディア上では、ネットであれテレビであれ「バッシングを公認されるような過失・落度のある相手は、どれだけ叩いても構わない。その際、相手がどうなるかは配慮しなくて構わない。それが社会だ」という風景がリピート再生されている。なにか不祥事や事故があったら、法的責任が問われるだけでなく、責任者は罵倒され、土下座させられる。法的責任を追求するのとは別に、“感情を納得させる”ために罵倒すること・土下座させることを、社会正義とみなすような空気ができあがっている。もちろん、そうした罵倒や土下座に警察が口出しをすることはないし、マスメディアも何食わぬ顔で報道する*1。バッシングが公認される大義名分がある限り、責任者が唾を吐きかけられてもしようがないよねー、という不文律ができているらしい。 インターネット上での“炎上”も似ている。失言・過失・違法行為があったと判明し
最近、いい感じの発言が増えていたid:amamakoさんが、いつもの悪い癖が出て「ぼくはいじりに弱いんだから特別に保護されるべきだー」的なことを村道で叫んでいたので言及してみます。 ブログを非公開にした理由 - Togetterまとめ http://d.hatena.ne.jp/amamako/20120505/1336149643 私は昔のid:amamakoさんの発言の幾つかは、「なに馬鹿な事言ってやがる」とか思っていました。が、最近は感心させられる発言が増えていただけに、今回の発作的憤怒は意外でした。第一印象を正直に書くと「なんだこれ?あんたまだこんなことやってたの?こりゃネット向いてないよ。やめない限り、ずっとジクジク傷ついて転げ回ることになるんじゃない?」でした。自分の発言を無言でリブログした人にいちいち詰め寄って詰問している姿は、異様としかいいようがありませんでした。 勿論、ネ
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