開発の経緯[編集] 太平洋戦争の戦況悪化と共に、大日本帝国は正攻法ではアメリカ、イギリスなど列強各国に勝利するのが困難と海軍内部でも考えられるようになった。このため、戦況の逆転には、列強の物量に対抗しうる強力な威力をもつ、新型爆弾の開発が求められた。 日本での新型爆弾開発は1942年より理化学研究所、東京帝国大学などで開始された。その原型である「イ爆弾」は1942年頃に完成したものの、巨大すぎて敵地への攻撃に使用することは絶望的であった。1942年11月20日、試作されたイ爆弾は、搭載されていたドイツ船もろとも横浜港内で爆発し、周辺の船舶や人員に多大な被害を与える大事故となった。起爆タイマーとして内部に搭載された犬が暴れたための大惨事であった。戦時下ゆえ、横浜港内爆発事件については、単なるタンク清掃時の引火事故として処理された。 制空権・制海権の喪失と共に、イ爆弾の実戦投入はさらに困難とな