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ブックマーク / sk-44.hatenadiary.org (26)

  • 「クズ」であるということ - 地を這う難破船

    ⇒ヘイトスピーチに反対する会 1.24で逮捕されたAさんへの攻撃について ⇒はてなブックマーク - 子どもを徹底的に追い込もうとする、情けなさ丸出しの「主権回復を目指す会」【資料追加】 - 3羽の雀の日記 いますぐ『ワイルドバンチ』を観るんだ、そこに答えがあるから。――と、伝えたい人々がいたので、書くことにする。むろん、上記リンク先のことではない。私はサム・ペキンパーの感傷は基的に苦手だが、それでも現在、映画の終幕において長身を折りたたんでひとりたたずむロバート・ライアン演じるソーントンの心持ではある。だからそれこそが感傷であるが。 暴力を批判することとは、行為の形式的な合法性を云々することではない。何度も書いたことだが「立件されない暴力は犯罪ではない」という言明は何も言っていないに等しい。在特会が日国の法を盾にして行使しているのは「立件されない暴力」そのものである。「だから犯罪化せよ

    「クズ」であるということ - 地を這う難破船
    antonian
    antonian 2010/02/02
    在特会、いや主権さんがまた問題を起しているようで、抵抗した人が逮捕された件についての見解
  • 「法に逆らうな、売春婦」 - 地を這う難破船

    ――出典はクリント・イーストウッドの映画『チェンジリング』。映画館でこの台詞を聞いたとき、まことにイーストウッドだなと思った。脚を彼が書いていないことはもちろん知っている。 ⇒排外主義それ自体が暴力です、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。 つまり、そういうことなのだが。そして、そういうことであることがわからない人は、どれだけ説明してもわからないのかも知れないとは思う。以下、mojimojiさんに対する批判ではない。 イーストウッドの映画には、毎度のごとく、法の側、秩序の側に立つ者であることを利用して、他者を抑圧し、服従させて、そのことに快楽を覚える、自身の所持する権力を自身の所持する「男」としての力と混同するサディストが登場する。あるいは偏見を公然と詳らかにする、自らを法を遵守する市民と規定する者が登場する。その、カテゴリーの意図的な反転はイーストウッド監督作の面白さであり、それ

    「法に逆らうな、売春婦」 - 地を這う難破船
    antonian
    antonian 2009/10/07
    こりゃぁうちのカトリックにも同じことがいえるな。原理主義者が暴れたりリベラルが暴れたりする傍らで現場では現実判断で教義に反することを行っているとか色々
  • 生き延びるためのペテン - 地を這う難破船

    ⇒おサルの世間の真正性 - 地下生活者の手遊び まず、私たちはサルではないし、遺伝子の産物でもない。この大前提について確認しておきたいと思います。 自由と寛容を言祝ぐリベラルな市民社会は、ひいては公共は、価値的な人工物です。その価値に対するコミットは問われます。コミットなくして人工物は維持されないので。その人工物を抽象的な国家が代替する発想こそスターリニズムです。「その人工物を抽象的な国家が代替する発想」をtikani_nemuru_Mさんが一貫して退けておられることは知っています。 自由と寛容を言祝ぐリベラルな市民社会――ひいては公共――という価値的な人工物に対するコミットは共同性に対する批判を含意する。なぜなら、共同性が喚起してきた殺し合いの歴史を私たちは知るから。近代以降にあって、共同性とは政治的な動員の装置でしかない。そもそも「共同性」の観念が近代の産物なので。「自然」の観念が近代

    生き延びるためのペテン - 地を這う難破船
    antonian
    antonian 2009/09/22
    ナニかわけわからんところまで来たような。元問題のエロゲと切り離し、「女性差別と性犯罪」という問題から考えると、どーも、一読だけでは否定的なもやもや感が残る論。再読しないと判らん。
  • 表現規制から遠く離れて - 地を這う難破船

    ⇒世間様から公共圏へ - 地下生活者の手遊び 先のエントリを挑発的に書いた甲斐があったようで、議論が前に進みそうです。包括的な社会観の議論として、私とtikani_nemuru_Mさんの見解の相違点について確認していきたいと思います。 確かに各人が緊密に結びつけられて相互に影響がでかいところが「世間」の特徴のひとつにゃんが、それだけで「世間」となるわけではにゃー。 「世間」というのは、「個人の尊厳」がないところ これは基にして必須の論点のはずだにゃ。阿部謹也も「世間とは何か」で言っていたぞ。 仰る通りです。だから、そういうのを「東洋の土人部落」と言うのだと思いますが。佐藤亜紀氏も使用していた「世間様」という言葉を一連の議論で最初に使用したのはtikani_nemuru_Mさんだと思いますが、その典拠は阿部謹也の世間論だったのですか。ならば「東洋の土人部落」という話には必ずしもならないでし

    表現規制から遠く離れて - 地を這う難破船
    antonian
    antonian 2009/08/28
    要読。しかし二人共長いんで読解するの大変
  • 三鷹、8月2日 - 地を這う難破船

    8月2日の日曜日、昼に目が覚めた私は他人のパソコンを背後から覗いて、以下のエントリを目にした。 ⇒在特会が大挙して「慰安婦展」を妨害 三鷹へ駆けつけてください!/CML から - 薔薇、または陽だまりの ⇒三鷹・ロラネット「慰安婦」展。在特会による「セカンドレイプ」。 奴らを通すな!ノーパサラン! - 薔薇、または陽だまりの そのブックマークコメントに次のような言葉があった。 kmiura   歴史の真実という猛毒、だろ。歴史ってのは喜びであると同時につらいものなのだ。近所の人は時間の許す限り展覧会に行ってほしい。(略) はてなブックマーク - 在特会が大挙して「慰安婦展」を妨害 三鷹へ駆けつけてください!/CML から - 薔薇、または陽だまりの 私は「近所の人」ではないのだが、そこは交際相手のうちのひとりの部屋で、中央線沿いだった。天気は悪かったが、夜に新宿方面で所用があった。そ

    三鷹、8月2日 - 地を這う難破船
    antonian
    antonian 2009/08/11
    例の三鷹の展示会と在特会の光景を少し引いた視点で見た報告と所感。
  • 自由科学の価値について - 地を這う難破船

    ⇒自由科学と真正性の水準 - 地下生活者の手遊び そもそも、スピーチコードとは何かと言うと、人間の考えることの7割は差別的で、それを表出すると殺し合いが発生するから、残りの3割で話しましょう、ということ。結果、PCにおいてタバコの裏書同様の「知識」に基づく自明性に対する不在証明が前提される。 ハーバーマスの公共圏論とは何かと言うと、相互の顔が見えるコーヒーショップで、互いに自分の考えることの10割の手札を相手の顔を見ながら徐々に切っていき、合意形成において私たちが殺し合うことのない「3割」に到達しましょう、ということ。なぜなら、ヨーロッパの歴史において、共同幻想を通じて「相手の顔」を「われわれ」「彼ら」に変換するビアホールの扇動家を退けるため、そう考えるよりほかなかった。 当然、前者はアメリカ的な発想であり、後者はヨーロッパ的な発想です。 しかし、陵辱表現愛好者の誰が性犯罪被害者に対して「

    自由科学の価値について - 地を這う難破船
    antonian
    antonian 2009/08/07
    表現世界の理路では難破船さんの意見に同意。しかしこれも熟読だな・・・。
  • 調停装置の在処 - 地を這う難破船

    ⇒陵辱表現が問題とならない社会を - 地下生活者の手遊び なるほど、了解しました。私の誤読についても。失礼致しました。性犯罪の暗数に言及する理路がそのようなものであるならば―― 『フロン』を書いていた頃の岡田斗司夫が「オカマエンジン」搭載のススメを男性に説いていました。岡田氏は、当時TV番組で共演していたおすぎにそれを説かれたそうですが。要するに、束の間でも、自分が女性であると思ってみる。すると、深夜のタクシー乗車中に恐怖を感じた、と。これまで深夜タクシーに乗って恐怖を感じたことなど当然、なかったのに。職業差別をしているのではない(余談だが、私の父親はタクシードライバー)。深夜の車内という密室で見知らぬ男と乗り合わせている、しかもハンドルを握っているのは先方である、というシチュエーションに、否応なく恐怖を感じてしまった、と。 自分はこれまで深夜タクシーを利用して恐怖を感じたことなどなかった

    調停装置の在処 - 地を這う難破船
    antonian
    antonian 2009/07/28
    良エントリ。地下猫さんも難破船さんも一定の立場を引き受ける(叩かれる)覚悟でやっているから、偉いよ/佐藤亜紀の短編集にあるサドの告白はまさにこのエントリのツボなんでは?
  • 性的搾取の後始末 - 地を這う難破船

    tikani_nemuru_M  sk-44はわかって書いているはずだけれど、僕はいかなる「性」も否定しない。加害を問題にするだけ。最初からその論点/自律的判断主体であるという「みなし」が人権の根底にあるから「合意」を問題にしているだけ はてなブックマーク - 寝室の市民権 - 地を這う難破船 ええ、だから、何を「加害」と見なすか、その枠組をめぐって議論を続けてきたのだと思いますが。特定の性行為が「加害」を伴う限りにおいて問題である、と。私が言っているのは、「加害」という概念と寝室の問題であるところの性はそもそも整合しないという話ですが、「だから」児童ポルノの単純所持規制に及んで「搾取」という問題系が提出される。そして、ポルノは性的搾取の証明としてある、というラディカル・フェミニズム以来恒例の話になる。搾取に対して国家は介入すべき、というのはその通りです。時に超国家的に。児童ポルノの問題は

    性的搾取の後始末 - 地を這う難破船
    antonian
    antonian 2009/07/26
    表現の側<だけ>に立っている理路 SMの件でもそうだが、他者不在の構図に徹底し過ぎていてついていけない時がある
  • 自由の享受条件 - 地を這う難破船

    tikani_nemuru_M 困ったもんだ  "「淘汰されるための枠組」について考えておられる。それが「公共圏」です。" 失笑した。 はてなブックマーク - 性的搾取の後始末 - 地を這う難破船 「失笑」ですか。そんなブコメ番長なレトリックを書き付けている暇があったら、正面切った反論をエントリとして上げてください。sk-44は問題の所在についてコレとコレとコレとコレがわかっていない、ココとココとココとココを踏まえていない、と、そういう話を。存分に反論してほしいので、待っているんですけど。そして待ちくたびれかけています。「自分はそんなことを言っているのではない」という話なら了解です。確かに読み違えていました。申し訳ありません。改めて、tikani_nemuru_Mさんの一連の発言を確認しました。議論の軌道を修正するべきでしょう――むろん私の責任なので、私が。 このところ挑発的なエントリを書

    自由の享受条件 - 地を這う難破船
    antonian
    antonian 2009/07/26
    地下猫さんのいう通り誤読してる観はある/表現に於いては紐付きというのは拒絶はしたい。しかし社会に対し発話する表現物は様々な読みで受け止められる。その責任は生じてはしまうだろう。
  • 蹂躙の中の自由 - 地を這う難破船

    はてなブックマーク - nanae_llのブックマーク / 2009年7月14日 nanae_ll 性  「合意がないからSM」…えーと、世の中には「SはサービスのS、Mは満足のM」という言葉もありまして(何)/まあ軽口はともかく、サディズムを「嗜虐趣味」、マゾヒズムを「被虐趣味」とするならば、(メタブへ続く) 2009/07/14 nanae_ll 性  (続き)両者の合意に基づくSMプレイはありうると思いますし、程度問題ですが一概に否定されるものでもないと思います/というか、DVの類とプレイを区別するために「合意」が必要だと思ってるんですが、私は。 2009/07/14 nanae_ll メタブ  NaokiTakahashi様 すみません、私は生身基準の話しか出来ないので;/ただ、「生身の問題」であれば、合意のないSMって単なる暴力ですよね?/y_arim様 自覚はあるので、表現論

    蹂躙の中の自由 - 地を這う難破船
    antonian
    antonian 2009/07/17
    誠実な論考だなぁ。煙草の例とかよくわかる。表現世界は自由たるべしでありその自由を国家の暴力から守ると同時に地下猫さんのいう通り実存の被害が生じる暴力を矮小化するような言論を嫌悪するは両立出来ると思う
  • 周縁文化と世間様 - 地を這う難破船

    ⇒2009.7.6: 日記 佐藤亜紀様 また、遅くなってしまいました。申し訳ありません。時間が取れなかったこともあるのですが、書きあぐねていたことも確かです。認識の面では同じくしうる点が多いと考えるにもかかわらず、対立することについて。tikani_nemuru_Mさんとの議論についても併せて考えていました。 ■ そもそも自由主義とは、タダ乗りを認める社会思想です。タダ乗りを認めるところに社会思想としての自由主義の意義がある。だから、タダ乗りについて指摘したところで自由主義の立場においては「それがどうした」になる。以降は個々人のモラルの問題。むろん、タダ乗りが過ぎてシステム自体が瓦解する危険性は常に孕んでいる。しかし、リソースの有限性を問う必要がない表現の問題においては、タダ乗りが過ぎた結果によるシステムの瓦解は新式のスターリンの登場でしかありません。 保守主義的な立場においては、タダ乗り

    周縁文化と世間様 - 地を這う難破船
  • 自由の核心にあるもの - 地を這う難破船

    些か応答が遅れて申し訳ありません。更新の時間が取れませんでした。 ⇒ロクでもないけどこれしかない - 地下生活者の手遊び ■ まず第一に、国がマンガの美術館を作るということは何ら不自然ではない。すでにある国立の美術館に並んでいる芸術作品と同じくらいの気合で、我々はマンガを描いている。国立のマンガ美術館、やれるものならやってください、でも無理でしょう? というのが僕の考えだ。 アート全体にも言えることだが、マンガの中には政府や政治家にとって都合の悪いもの、眉をひそめるようなものがたくさんある。そういうものがほとんどだ、と言ってもいいくらいだ。国や政府が保護したり育成したりバックアップできる代物ではない。 例えば非常にエロチックなもの、あるいはくだらないもの、「くだらない」とくくられるもの、そんなマンガがすべて、国の建設した建物の、劣化を防ぐために空調が完備された部屋の棚にズラーッと並べられ

    自由の核心にあるもの - 地を這う難破船
    antonian
    antonian 2009/07/03
    長いのであとで三回ぐらい読む。そうしないと理解出来ない。
  • スターリンを退けた場所では - 地を這う難破船

    来、佐藤亜紀氏への応答を先に行うべきなのですが、tikani_nemuru_Mさんへの応答をひとまず先に行います。佐藤亜紀様、「後回し」にして申し訳ありません。次回のエントリで応答させていただきます。 ⇒スターリニストなのでスターリンになりたくない(追記アリ - 地下生活者の手遊び だから私には「社会意識は言論や表現とその流通のあり方をメッセージとした表象に対する読解の文脈として反映される」がわからない。最初この一節を読んだときは、ただの言葉遊びだと思ったことを正直にいっておきます。今は、それが言葉遊びでも詭弁でもないことはわかりますが、その意味するところは正直なところ腑に落ちてはまだわからない。私にとって表象は、それはそこにあるもので、読み解くものではない。読み解く主体は私にとって同志スターリンになってしまう。 私も正直に申し上げるなら、『言論・表現への法規制に抗するために』を一読した

    スターリンを退けた場所では - 地を這う難破船
    antonian
    antonian 2009/06/25
    表現論になるとこういう結論にならざるを得ない。だから表現物の差別構造云々は筋が違うとはいえるが、しかしそういう事が判ったのは実は地下猫さんのお陰なんだよね。
  • 欲望が問われるとき - 地を這う難破船

    ⇒リベラリズムと他者危害(追記アリ - 地下生活者の手遊び 流石と思ったけど――やはり私の見解とはこの点で決定的に相違する。 問題の深刻さや被害者の心情を知って、そのうえでなお表現したいことがあるのなら(そういう表現者もとうぜんいるでしょう)、陵辱をテーマとした作品を作ればいいのです。 たとえ表現の自由に紐が付こうと、表現には紐が付かない。私はそう考える。Chim↑Pomのときも書いたけれど、原則論として、表現したい人は勝手に表現するのであって、その表現を社会的な文脈に位置付けるのは他者。「問題の深刻さや被害者の心情を知って、そのうえでなお表現したいことがあるのなら」などという紐は、およそあらゆる表現に対して付いてはならない。だから、雉と射手の存在を同時に肯定してなお事態を収拾する法の執行について述べた。 Chim↑Pomと陵辱エロゲの相違点は、現代アートと商業ということで、だから市場の性

    欲望が問われるとき - 地を這う難破船
    antonian
    antonian 2009/06/17
    うーむ5回ぐらい読まないと理解出来ない気がするんで、とりあえずまず「あとで読む」タグ。
  • 暴力と擬似暴力、ベタとメタ - 地を這う難破船

    ⇒「レイプレイ」と言論の自由 - モジモジ君のブログ。みたいな。 ⇒「レイプレイ」と言論の自由、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。 ⇒「レイプレイ」と言論の自由、その3 - モジモジ君のブログ。みたいな。 そのような話をするのなら、「陵辱」を「陵辱」として愉しむことと人と人の間に暮らすことは普通に両立する、でFAです。「陵辱」を「陵辱」として愉しむことはヘイトスピーチではない。「陵辱」を「陵辱」として愉しむことと人と人の間に暮らすことは普通には両立しない、という結論は「差別意識は顔に出すな」以外のどこから出てくるのか。見当は付きますけど。メディアがメッセージとして機能している以上、ヘイトスピーチに等しい陵辱表現の、その意義を説け――か。 先日、交際相手からレイプゲームについて訊かれて心停止しかけた。ブログが彼女バレしたら死ねるが、そうではなかった、よかった。レイプシミュレータってな

    暴力と擬似暴力、ベタとメタ - 地を這う難破船
    antonian
    antonian 2009/06/13
    エロゲ問題 モジモジさんの記事への応答
  • 社会通念と表現 - 地を這う難破船

    ⇒いくつかの失望と怒り - いまだに落ち着きのない三十路(アラフォー) から、id:T-3donさんのコメント。 差別の受容と文脈に関しては、sk-44@地を這う難破船さんも論じていますね。正直、地下さんの論との差異が何処で生じるのか今一つよく解らない(からブクマコメントできない)んですが、この後明らかになるのではないかと期待を持っています。いまだ回り道の途上である、と私は考えますので。 ごく簡単に言うと。表現、というのは社会通念のコードに対する異議申立としてある。社会通念のコードをそのままなぞってしまうなら、それは表現ではない。表現論的にはそうなります。無自覚になぞってしまうならそれは素人だし、自覚的になぞってみせるならそれはプロの仕事です。プロの仕事とは、商業ということです。そして、そもそも社会通念のコードが(性差別に限らず)差別的であるとき、その差別性を自覚的になぞってみせるプロの

    社会通念と表現 - 地を這う難破船
    antonian
    antonian 2009/06/11
    はげしく同意。社会通念こそが問題ゆえに難しくはある。
  • 憎悪の蓋 - 地を這う難破船

    ⇒2009.6.7: 日記 五十嵐氏の事件を引き合いに出したことは不穏当でした。弁明させていただきますが、雉を撃つな、と言っているのでは私はない。雉を撃つな、とは誰に対しても言いません。誰が何故やったのか、ではなく、官憲が仕事をしないとき表現の自由について国家の法治が公共の利益を実現する、という発想に到底賛成できない、ということです。表現の自由を法治の原則において守ることさえしなかった、あるいはできなかった日の丸の官憲に、公共の利益に基づく表現の自由の制限を委ねることには躊躇します。 日の官憲は、望むまでもなく、公共の利益を自称してポルノを弾圧してきました。この官憲に対する不信は、当然のことながら外国人排斥(日においては移民でさえない)と関係がない。むしろ、警視庁草紙以来、弾圧の発想と技術を近代日に積み上げてきた官憲は、公共の利益に基づく表現の自由の制限によって、マジョリティではなく

    憎悪の蓋 - 地を這う難破船
  • 「事実であろうと、なかろうと」 - 地を這う難破船

    furukatsuさんのブックマークコメントについて手短に。 ⇒工作員発見 - apesnotmonkeysの日記 ⇒革命的非モテ同盟跡地 furukatsu 歴史, 思想  そこが理解できないんだ。70年前死んだ中国人のことを気で思うことは出来ない。よっぽどkanonの方が実感があるんだ。現実の政治問題としてのポジショニングは理解出来るけどね。 (http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20090601/1243838801) id:furukatsu氏は「言論の自由を盾にエロゲーへの法規制に反対する人たちって、やっぱ現実の性暴力のことなんかどうでもいいと思ってるんだ」という印象を与えるために努力しているようです。 工作員発見 - apesnotmonkeysの日記 それ以前の問題で、誤読されているとは思いました、

    「事実であろうと、なかろうと」 - 地を這う難破船
    antonian
    antonian 2009/06/08
    色々続き。結構重要エントリ。この人も親切だよなぁ。知に誠実というか。
  • 自由と寛容を自称する社会 - 地を這う難破船

    ⇒2009.6.5: 日記 佐藤亜紀様 ファトワと自力救済はそれは違います。これは、日の法の問題です。問題は、ある書物を翻訳した日の翻訳家がおそらくはそのことを理由として日国内で殺害され、そしてそれは事件解決へと至らなかったことです。つまり、「ムスリム対ヨーロッパ」の文脈を私は問題にしているのではない。『悪魔の詩』を引き合いに出しておいてそれはないだろう、という指摘は受けます。しかしそもそも強姦ゲームの問題は「排他的な信仰に基礎を置く二つの文化が、相互の不信感と敵意は消え去ることがないとしても、当座は潰し合いに至ることなく休戦状態を保つこと」の問題ではないと私は考えるので、その点について、『悪魔の詩』を引き合いに出したことに対する誤解については、正させてください。 言明する必要があると思うので言明しますが、この問題の筋論については、私は所謂「西」の世界――つまり「自由で寛容な社会」を

    自由と寛容を自称する社会 - 地を這う難破船
    antonian
    antonian 2009/06/06
    「男が垂れ流す差別的な憎悪はそうではない。」そうなんだよな。レイプや痴漢は日常の恐怖で、ヨハネスブルグに住んでる気分になる時がある。で、それに慣れるしかないのが現状。
  • 逆鱗と道徳 - 地を這う難破船

    ⇒2009.6.3: 日記 『悪魔の詩』がそのような小説であることは承知です。当然読んでいるので、ダシにしているのではない。ムスリムが表現の自由を圧殺する、ということではない。そういうのは単に「ゴキブリどもを殺せ」というプロパガンダであり、よく言って偏見の羅列です。問題は、ある表現が誰かの逆鱗に触れたとき、強制力の行使としての「自力救済」を私たちは認めるか、ということです。認める、というのが私の立場ですが、自力救済の範疇に人殺しが含まれうるか。むろん含まれますが、自力救済の範疇に人殺しが含まれることは認めない、というのが私の立場です。五十嵐一氏の事件は時効を迎えました。犯人が出国中は時効停止しますが。 尊敬すべきイスラム研究者であった氏に対して「五十嵐氏はあのを翻訳しなければよかったのに」と、後から言えるか。当然、読者が言えるはずもない。にもかかわらず、表現が必然的に誰かの逆鱗に触れうる

    逆鱗と道徳 - 地を這う難破船
    antonian
    antonian 2009/06/04
    佐藤亜紀への応答