明治期、尖閣諸島(沖縄県石垣市登野城尖閣)には古賀村があった。存在自体は知られているが、詳しい生活実態は謎に包まれていた。 それを多くの貴重な資料を使って解きほぐし、この村で暮らす人々の息づかいを伝える格好の本がある。 「尖閣諸島盛衰記~なぜ突如、古賀村は消え失せた?」(尖閣諸島文献資料編纂(へんさん)会)だ。沖縄県を中心に埋もれていた資料の発掘、収集のほか、情報発信を目的に有志の学術団体がまとめたのだが、これが実に興味深い。 関係者への丹念な聞き取りや現地調査から、村の配置図や当時の暮らしを伝える多くの写真、生活実態が描かれている。かつお節製造工場やアホウドリの羽毛採取工場の設置、村の各所に水くみ場や貯蔵タンクを所有していたことが分かる。 豚とウサギを飼育し、クバの木を倒して山の斜面を切り開き、食料の自給自足を目指してサツマイモや陸稲、麦のほか、ゴーヤー、ダイコン、茶やタバコの栽培も確認