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ブックマーク / gitanez.seesaa.net (34)

  • 見せる空間から参加する空間へ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近「見せる場」のあり方について考えることが多くなっています。仕事でも、プライベートでも。 そもそも、ここ数年、プライベートで視覚文化と人間の知的活動や思考の関わりに関する歴史に興味をもって、いろいろを読んだり調べてみたりしたんですが、そこにたまたま仕事でもそうしたテーマに関わる機会が増えてきているので、結構楽しんでいます。 "L. A. ボワローとギュスターヴ・エッフェルによって1887年に建てられたボン・マルシェ Au Bon Marché (vue générale - gravure)" by 不明 - fonds Boucicaut. Licensed under CC0 via ウィキメディア・コモンズ. そんな僕がいま興味をもっているのが19世紀のヨーロッパ

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    ast15 2015/05/05
    むしろ、既知の知の体系を超えたモノが押し寄せてきたときに、そこに一定の秩序を与えるという行為自体が、わりと普遍的に人をワクワクさせるexperience足り得る、ということが興味深い。選択・整理→showがexperienceに?
  • 夢十夜を十夜で/高山宏: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 いいがあるのではない。いい読書があるだけなのだと思う。 いいがあったら教えてくださいと言われることは多いけど、そんなことは教えられるものではないとなかなか教えられるものではないと思う。いいかどうかは読書する人次第であって、結局は読む人が自分が読みたいと思うを読む以外に、いい読書をする方法はないと思います。 勉強のためにを読む場合でも実はおんなじだ。 勉強したい分野にあわせて、読むを選ぶのはいまどき間違いだと思う。 さまざまな領域で専門分野なるものが瓦解している現在において、ある領域の知を得るためにその領域の専門書を読むというのはナンセンスだということに早く気づいたほうがいいと思います。 当に何かを学びたければ、好きな内容のを読み、そこで感じたことを自分の学び

    夢十夜を十夜で/高山宏: DESIGN IT! w/LOVE
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    ast15 2014/08/09
    「いい本があるのではない。いい読書があるだけなのだと思う。(中略)いい本かどうかは読書する人次第であって、結局は読む人が自分が読みたいと思う本を読む以外に、いい読書をする方法はない」
  • 文学というデザイン: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 前回の記事の冒頭でも書きましたが、20代の頃の僕にとってヒーローは、夏目漱石でした。その後、シェイクスピアもそこに加わり、その2人がヒーローであることに変わりなく、いまに至っています。 僕がその2人をヒーローだと感じている理由は、その2人の文学者がデザイナーだからです。他にも数多くいるデザイナーのなかで、夏目漱石とシェイクスピアが、僕が憧れるデザイナー像なんです。 モノを作ることで人びとの生活を革新するのもデザイナーの役割だと思うんですが、僕はモノによる革新ということにはそんなに関心がないんですね。それよりも僕自身が文章によって人生を革新されている部分が大きいので、それを可能にするデザイン、その思考作業を実際に行う文学者にこそ憧れるんだと思います。そして、そのなかでも夏目漱

    文学というデザイン: DESIGN IT! w/LOVE
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    ast15 2014/07/04
    文学は、人の心や考えをハックするという意味において「デザイン」であるということ。そうすると、夏目漱石やシェイクスピアはどういう特徴を持ったデザイナなんだろうか?
  • 思考の方法の2つのベクトル: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 20代前半に愛読していたのは、澁澤龍彦、高橋源一郎、金井美恵子、そして、ニーチェやドゥルーズ/ガタリでした。 後半になると、そこにスラヴォイ・ジジェク、中上健次、多和田葉子あたりが愛読書として加わりました。また、その当時、全体を通じて、夏目漱石が僕の文学的ヒーローでした。 最近、なんとなく、そんな20代の頃、読んでいた人たちのをあらためて読み返したいなと思って、頭がぐるんぐるんしてます。 それはさておき、40代も半ばとなったいま、僕の愛読書の1つに加わっているのは、グスタフ・ルネ・ホッケの作品です。 いま読んでいる『文学におけるマニエリスム』にとても刺戟を受けていて、先日もこんな記述を見つけて夜な夜なひとり興奮したりしていました。 存在は、〈古典的〉な存在了解にとっては、

    思考の方法の2つのベクトル: DESIGN IT! w/LOVE
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    ast15 2014/06/29
    「誰にでもわかりやすく、なんていうことはいっさいマニエリスムは目指さないという点が僕にはとても好ましいことに思えます。万人受けを狙っていたら、世界的危機を乗り越える発想など生まれてくる訳がありません」
  • 発想力を高めるための数寄index化: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 自分の好みを知ること。 自分がどんなもの、ことにワクワクと心を動かされるかを知っておくこと。 うん。それってとっても大事。 ▲1つ1つに特徴がある、類似するものが並ぶ状況に、僕はワクワクします 自分自身の心が外界の刺激に対してどんな動きをするかということについて探求することは、このとてつもないスピードで情報が行き交い、イノベーションの進行で刻々と状況が変化し続ける世界において、意味のあることを成す上では何より大事なことだと最近ものすごく強く感じています。 自分がどんな物事にワクワクするか、自分の心がどんなとき/どんなことに反応するか。 そういうことを知ることが、どうして、いまの社会環境において大事になっているのか。 それは、自分の心と頭で捉える外部からの情報をいかに連動させ

    発想力を高めるための数寄index化: DESIGN IT! w/LOVE
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    ast15 2014/04/05
    「単純に外部の物事について知ることは、本当の意味では知ではなく、外部の物事について自分自身がどう感じるかといういう関係性を捉えることが、かつては本来の知だったのだろう」
  • 月のクレーターは望遠鏡があったからといって見えるわけではない(想像力がなければ見えない): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 いまホルスト・ブレーデカンプの『芸術家ガリレオ・ガリレイ』を読んでいます。 この、「【見る】ということとはどういうことか?」について非常に考えさせられる内容です。値段は高いし、分厚い一冊ですが、ぜひ一読をオススメしたいです。 読んでいて考えさせられるのは、描くことと思考することの関係性や、想像することと見ることの関係性です。 ガリレイが実際に手で絵を描くことで考え、頭のなかでしっかりと想像する=仮説をもつことではじめて誰もそれまで見ることができなかったものを見ることができたのだということが、このを読んでいくとわかってきます。 そこには描かなければ可能にならなかった思考があったし、思考をもとに想像しなければ目にすることができなかった事実がありました。そういうことをこの

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    ast15 2013/10/03
    ありのままを観察するためには、ありのままの状態で臨むのでは不十分。どういうバイアスがかかるか把握できないといけないから。それが、思い込みと現実とのギャップにどう折り合いをつけるか、ということだろう。
  • 反−知の形式としてのバロック的想像力を再獲得する: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 数ヶ月前から気になっていたことの1つは、自分でブログを書く際、どうも昔に比べて何を結論として言いたいのかを意識して書くことが苦手になってるという感じがしていることです。 何も言いたいことがなければそもそも書くこともないわけで、そこはとうぜん書きたいことがあるから書いているのですけど、でも、いまの僕にとって、その「書きたいこと」というのは間違いなく「結論」じゃないというところがちょっと問題なような気がしていたんです。 僕にとってはむしろ、ダラダラと書き連ねているその過程で書いているそれぞれが「言いたいこと」であって、何か1つの結論をいうためにそれらを書き連ねているわけではないんです。 だから、どうしてもいわゆる起承転結のような文章の構成で書かなくてはいけない動機がないし、そん

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    ast15 2013/02/03
    「バロック的想像力」に型を与えようとすると、南方マンダラみたいになって結局良くわからなくなってしまうし、線形でない思考の重要性は、線形な思考しかしない人たちには大変伝えづらい。
  • 「途中」を開放することをサービスとして捉える: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日ふと、「作らない」デザインどころではないのだな、と気づきました。 むしろ、僕らには「作れない」んだと思いました。 作らないデザインといったことをよく耳にするようになっていますが、むしろ、作れないと認識したほうが常識的な誤解から抜け出しやすいんじゃないかと、そんな風に思ったんです。 僕らがこれまで当たり前のように感じ享受していたはずの、完成品としての製品を作るということが社会的にもかつてほどは輝きを失いつつあるなかで、僕らは、たとえば「街づくり」といったような作れないものを作り続けるという場に立ちあうことが求められていることを各自がはっきりと自覚しなくてはいけないんだ、と。 閉じた系としての製品をデザインするのと、開かれた系である街やコミュニティをデザインするのは別「街」

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    ast15 2013/01/13
    なるほど。一方で、「完成」が持っていた、熱狂というか歓喜というか、そういう「祭り」的なものの代替物はどこへ行けばいいだろうか。それとも、そこからも価値が減じられていくのか?小出しになる?
  • アート×自然の力で地域を元気にする:奥入瀬ネイチャー×アーツキャンプ2012: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 先週末の16日(金)〜18日(日)の3日間で、青森県の十和田・奥入瀬で行われた「奥入瀬ネイチャー×アーツキャンプ2012」に参加してきました。 ▲ 星野リゾート 奥入瀬渓流ホテルの暖炉の上の巨大な岡太郎さんの作品 今回のキャンプは、十和田・奥入瀬地区をベースに、これまでにない新しいタイプのアートプロジェクトをつくろうという目的で、全国から集まったアーティスト、キュレーターの方々が、十和田湖、奥入瀬地区の自然や施設をフィールドワークしながら、その地でどんな新しいアートプロジェクトができるか、やりたいかを考えるための3日間でした。 かえっこなどの活動で知られるアーティストであり、十和田市現代美術館の副館長もつとめる藤浩志と、展覧会の企画運営などを事業とするナンジョウアンドアソ

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    ast15 2012/11/25
    奥入瀬のあたりはまた行きたいな。確かに十和田美術館→奥入瀬渓谷の導線ってイマイチ見えないよね。
  • 「電子書籍」という概念を越えてテクストの新しい形を模索すること: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、会社のほうで進めているプロジェクト「Think Social」では、デザインシンキングのアプローチを用いて行なうサービスデザインをテーマとして扱っていますが、その一方で、やはり個人的な関心としては、人間の知の在り方や価値観を左右する人工物全般としてのメディアに強い関心があります。 例えば、電子書籍的なものもその一部。 ただし、世間的には、講談社が今後の書籍の刊行を紙と電子版を同時に行なうという方針を発表したニュースが取りざたされたり、『WIRED』創刊時の編集長ケヴィン・ケリーがインタビューで「10年後には「」そのものは基的にすべて無料になる」というようなことを言ったりするなど、相変わらず電子書籍の話題には事欠かないのですが、僕自身はどうもこの電子書籍関連の話題に

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    ast15 2012/03/06
    電子書籍が「電子化された本」であるうちは,確かに人類史的な意味でのイノベーションじゃないな.そういう意味で,電子書籍を本に近づけるようなことをしてる場合じゃないかもね.
  • 無文字社会に生きる人びとに目を向けると、文字通り、リテラシー=読み書き能力が人間の思考や社会生活を変えるのだということに気づかされる: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今日、昼べながら、ふと思いました。 話し言葉社会に生きるロシア人スパイは、果たしてクックパッドを使うことができるのだろうか?と。 昨夜「話しことば社会への回帰だろうか?」という記事で話し言葉社会に生きるロジア人スパイは頭の中で考えることと身体を通じて外部化する行動が分離していないがゆえに、裁判で「現実に行なったスパイ行為のためというよりは、頭のなかでたんに意図したという廉で自分の罪状を全面的に認めた」という話を紹介しました。 昼べながら気付いたのは、ロシア人スパイが思考と行動が分離していないのならクックパッドは使えないはずだということです。だって、事をすることを考えることは彼らにとって実際に事をするのと変わりません。であれば、きっと情報を検索しているだけでお

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    ast15 2011/07/12
    「思っていることは常に起きている」は言い過ぎな気もするけど、どうなんだろう?ストーリーを受け取る訓練が少ないだけじゃないかなあ?本質的に違うのだろうか。まあ、マクルーハン読むか。
  • 今起こっていることを読み解くには「パラダイムを認識し分節する能力」が必要: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 一般の人にはある程度、古さをもったもののほうが人気があって、新しすぎるものがなかなか一般の人に受け入れられないのは、古今東西変わらなかったりするのではないかと思います。 新しいものが受け入れられないのは、それを評価する視点を持たず、かつ自分で評価の視点を新たにつくり出すなんてことは普通の人にはなかなかできないからであって、その点、古いものが評価されるのは、評価の枠組み自体がすでに共有されているからだったりします。 つまり、言い換えると、人はそれだけ評価の枠組みが定まらない(ようするに、何だかわからない)ものが苦手だということです。 わからないものに対してみずから積極的に新たらしい評価の枠組みをつくろうとして、あれこれ考えたりすることが苦手ということです。 苦手というか、どう

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    ast15 2011/05/21
    「新しい事象を古い枠組みのなかで読みたがる」のは、情報や資源を創造するのではなく、消費するためであれば、そちらのほうが心理的・実際的なコストが低いからじゃないのかなあ。
  • ソーシャル時代のワークスタイルを支える「討議」のスキル: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ソーシャル時代、つながった世界でのワークスタイルとして、マス・コラボレーションやコ・ワーキングのような新しいワークスタイルが注目されるようになってきています。 従来のように1つの企業に所属して、組織の決めた仕事を同じ組織の同僚とともに従事したり、はたまた複数の組織が契約のもとにジョイントして事業を展開するやり方とは異なり、新しいワークスタイルはそれぞれは小さな力ながら、個々人がP2Pのピアとなって自らが「できること」を他人と共有しながら1つの大きな仕事を成し遂げるスタイルが、「「所有」から「利用」へ」などで紹介したプロダクト=サービスのシェアのビジネスモデルの普及とともに増えてくることが予想できます。 つまり、商品やサービスがシェアできる仕組みがあるのなら、仕事やそれに従事

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    ast15 2011/04/28
    コラボレーション型の仕事には討議のスキルが必要。討議に慣れた人どうしで討議をするのは難しくないけど、そうでない人と討議をする/させるのはかなり難しい印象。
  • キュレーションが必要になる環境の条件は?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、Etsyというサイトのサービスのかたちに興味をもっています。 Etsyは、職人や作家によるハンドメイドの品を買ったり売ったりのオンライン通販を、購入者と直接コミュニケーションしたりしながらできたりするサイトです。 しかも、ただ単純にオンラインのなかだけで完結しているわけではなくて、Communityでは、Etsyに作品を出品する職人や作家が講師となってワークショップを開いたりして、作品を買ったお客さんや興味をいだいてくれている人と交流もはかる場も設けたりもしています。 キュレーションの時代と言ったりしますが、このEtsyにも日々大量にアップされる商品のなかからユーザーが自分のお気に入りのものを探せるようにするためのキュレーションの機能が提供されています。 Treasu

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    ast15 2011/04/09
    リアルなモノへのアクセシビリティが必要。
  • コラボ消費について、ちゃんと考えよう: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 なんとか今日の大規模停電は回避されましたね。まあ、よかったなと思います。 とはいえ、これだけ電気の状態に振り回され、スーパーに行けばほとんどまともな材がないような状況が続くと、「消費」ということについて見直さないといけない時期だよなと感じます。 いや、個人レベルの話ではなく、もっと大きな単位で。 この時期、停電があると寒くて仕方がないという状況になるわけですが、そもそも電気やガスがなくても暖まれる方法も考えたほうがいいはずですし、別にこんなことがなくても節電できるライフスタイルにシフトしたほうがいいでしょう。これから原子力発電以外の発電の方法も技術的に可能にはなるんでしょうけど、使わなくて済ませられるものは、使わないという方向をそろそろ気で考えてみてもいいだろうと思いま

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    ast15 2011/03/18
    震災を期に日本の社会モデルを改変すべきだという機運が高まりつつある。ピアとして立つ個人が少ないのは確かだけど、そういう日本にフィットするような社会ができないだろうか?
  • 際立つ者に: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 際立つ。際に立つ。 真ん中にぬくぬくといたのではわからないことが、中心を逸れて、際に立つことで見えてくる。 世の中の際。領域/分野の境界。意識と無意識の境目。 自と他の交わり、混ざり合う際で、異質なモノと出会うことから何かがはじまる。逆にいえば、そうした際にこそ、はじまりはある。入学式も成人式も来そうした際に立つ節目であるからこそ、そこから何かがはじまる可能性をもっていたはずだ。 中心からは何もはじまらない。 中心には予定調和だけがある。そこにいる限り、停滞が唯一の友達だ。 中心は多くの場合、自分である。 自然にしていたら、際からは常に離れていることになる。 だから、際立つためには、意図的に自分から離れないといけない。 無関心自分の関心のないこと、知らないことに、いかに目

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    ast15 2010/05/05
    「他分野と交わるべき場所を明らかにする」のが「領域」の機能ってことか。新しい。
  • 新しい人間中心デザインのためのメモ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 掲題の件。 現在のHCDはモノを作ることを前提としすぎている。モノは必ずしも作られる必要はないし、作る場合でもハード面(ソフトウェア含む)だけでなく、ノウハウや伝統の以上などのソフト面の提供も同時になされなければならない。機能を作るのでも、経験を作るのでもない。文化を作らなくてはならない。それゆえ計画•デザインが対象とするスパン、スケールは大きすぎても小さすぎてもいけない。パーソナルや核家族向けでも、マス向けでもない中間的な単位が必要。シェアや作法の伝達も視野にいれた適切なネットワークの形成が可能になる/妨げない設計が求められる。効率や効果を短すぎるスパンで評価しない。動線設計が効率的に設計されていても今のキッチンは作業スペースがたりなさ過ぎるし、そもそも保存加工品の大量

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    ast15 2010/05/02
    インフラにも通じるかな…。もう少し考えてみる。
  • 計画のスパン: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 山口昌伴さんの『台所空間学』というが非常におもしろい。 とにかくこれまで無意識に抱いていた台所観やるれ料理というものの捉え方が非常に狭いものだったと認識させられる。当たり前が当たり前でなくなるのだ。 まだ全部読み終えてはいないが、へーっと感じたことをひとつ紹介することにする。 昔の台所では、その日その都度の調理は大した問題ではなかった例えば、料理というものをどういう時間の単位でかんがえるかということ。 僕らにとっては、料理というのは、そのときべる、または作る料理のことをかんがえるとのがわりと普通のことではないだろうか。せいぜい昨日の晩はなにをべたとか、最近肉料理がつづいてれなとか、そんなレベルではないか。 しかし昔はどうやら違ったらしい。 昔は、見知らぬ者でも勝手口か

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    ast15 2010/04/28
    なるほど。デザインは計画スパンを規定している、ということか。いや、逆もあるかな?
  • モノを作らない社会という夢想:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 確か、昨年の秋くらいからだったと思うが、ぼんやりとだが、モノを作らない社会にならないかと夢見ている。 正確にいうと、まったくモノを作らない社会ではなくて、いまのような大量生産がなくなり、ひとつひとつのモノが大切に使われ、ひとつひとつのモノが時間をかけて丁寧に作られる社会だ。 なんとなくだが、そのためにはまずモノがただになる必要があるだろうと思っている。モノの価値を金銭で示すことを放棄することが必要だろうな、と。 同時にモノの個人所有という考えもあらためなくてはならないだろう。共有財産として、金銭価値よりも有限な地球の資源としての価値のほうに重きをおく形にシフトしていく必要があるだろう。 金銭的労働をなくすモノが無料になることでとうぜん交換価値というのはなくなる。そもそもモノ

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    ast15 2010/04/03
    耐久性のあるものを「所有」から切り離すためには、コスト的にフリーなだけじゃなくて、その資源へのアクセスもフリーにならないとだよね。
  • 抽象的/具体的という軸に対して消極的態度をとる: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「知らないのは名詞だけではない」で、などを読んで書いてあることがわからないのは、必ずしも書かれた文章の問題ではなくて、そもそも文章で表現されている事柄を読む側が見たり体験したりしたことがなく知らない場合もあるだろう、ということを考えた。 その場合、文章によって何かを伝えるというのは、読者が知っていることに関して伝える場合よりも困難さが増す。相手が見たこともないものを認識できるようにしたり、理解できるようにするのはむずかしい。そのむずかしさは必ずしも文章表現だけの問題ではないだろう(文章表現によって伝わる可能性が高まる可能性はあるにしても)。 そして、これは文章表現に限らず、道具や機械、あるいはその機能の一部に関しても同様のはずである。 見たことも体験したこともない道具や機

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    ast15 2010/03/26
    じゃあ知らない人にはどうやってわかってもらえばいいのかな?繰り返し同じことを説明する、とか?