伊丹十三の後期三部作『ミンボー』『スーパー』『マルタイ』が試みたのは近代の捕捉であった。これらの物語は近代の宿った心の状態を勇気と定義する。ヤクザとカルトという非近代の襲来を受けた経理マンと女優は、自分の奥底に眠る勇気を発見したのだった。 『ミンボー』『マルタイ』と比べると『スーパー』の非近代は日常ベースである。暴力というわかりやすい形を取らない。だからこそ、近代の捕捉が際立ってくる。作者に問われるのは、襲来する未近代が人々の勇気を駆り立てる状況の形成である。『スーパー』では不正の発見が人々の勇気を試すことになる。精肉のリパック問題である。 精肉部を仕切る職人の六平直政はパート連にリパックを強いる。パートさんにはこの不正が耐えがたいが六平が怖い。ここに宮本信子が介入する。 宮本は津川雅彦のスーパーに近代をもたらすべく招致された。この人は超人だから憚ることなくミーティングでリパックを告発する