ブックマーク / closetothewall.hatenablog.com (2)

  • 周回遅れの田中和生 - Close To The Wall

    笙野頼子についての掲示板で、あの、田中和生が三田文学の最新号で笙野についてなにか書いているらしいと言う情報をゲット。 Don Quixote BBS ということで、田中和生ブログを開いてみると、おお、寄稿した論文の冒頭部分が載っている。で、読んでみるとこれがすごい。 「三田文学」2008年冬季号:郷士主義!:So-netブログ おれが二、三ヶ月まえに仲俣暁生を批判したなか(実録・「おんたこ」とは何か - Close to the Wall)で、さんざん批判し尽くした(とおれが思っていた)主張が相も変わらず繰り返されているではないか。 二〇〇七年の「群像」十一月号に出た、小説家である笙野頼子の「さあ三部作完結だ! 二次元評論またいで進めっ! @SFWJ2007」という文章は、現在の日文学における小説家と評論家の関係を象徴するという意味において、注目に値するものだった。なぜならそこで、小説

    周回遅れの田中和生 - Close To The Wall
    atoz
    atoz 2008/01/14
    まだ続いているのか…。
  • 論争傍観者を自称する人間についての二つの問題 - Close To The Wall

    まあ、収束気味だけど私なりのまとめをひとつ。というか、記事をまとめている間に似たようなことをすでに書かれている感があり。 賢明であると自認することと、賢明であろうと努めることとの大きな溝 謝罪までして撤退する様子のfromdusktildawn氏についてさらに突っ込むのはどうかと思うが、彼を一つの典型と扱うとして以下は読んで欲しい。 私が問題にしたいのはまさにこのタイトルに見られるような態度だ。 はてなグループ 素人が素人に分かりやすくいったい何を説明できるというのだろうか。搦め手で事件の実在を確信した理由は書いてあっても、それ以外の理由で確信できるかどうかは書いていないし、検証してもいない様子。素人の素人判断を素人に教えていったいどうしたいのか。私にはまったく要領を得ない議論にしか思えないのだけれど、これで納得したという人がいるというのだから不思議だ。 否定論者が完全否定論を唱えるのは、

    論争傍観者を自称する人間についての二つの問題 - Close To The Wall
    atoz
    atoz 2008/01/08
    「賢明であると自認することと、賢明であろうと努めることとの大きな溝」
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