「憲政の神様」とも言われ、首相在任中の昭和7年に五・一五事件で青年将校によって殺害された犬養毅が、政界から一時引退した昭和3年、京都府内の立憲政友会党員に送った手紙が党員の親族宅に所蔵されていたことが16日、分かった。書の達人でもあった犬養が当時の政治状況についての心情を記している。 党員は当時の草内(くさうち)村(現・京田辺市)の村長を務めた岡井利一。昭和2年の京都府議選に立憲政友会から立候補して次点となり、同4年に草内村長となった。 犬養は手紙を送った当時、自らが率いていた革新倶楽部を解党させて立憲政友会に吸収させ、政界からいったん身を引いていた。 手紙は岡井からの手紙に謹んで返事をするという意味の「敬復」の文字で始まり、「軍国主義の世界的瀰漫(びまん)を如何(いか)にして防ぐかとの貴向(あなたの問いかけ)は重大問題にして短簡(簡単)の能(よ)く尽くす所にあらず」と、軍国主義化が進む当