1995年1月17日午前7時頃 阪神・淡路大震災直後の県立淡路病院の映像です。 医師が自ら回したカメラには、情報がない中、混乱する現場の様子が映し出されていました。 震源地となった淡路島。多くの木造家屋が倒壊し62人が亡くなりました。 【医師】 「ストレッチャーもう二台」 島で唯一の公立病院だった淡路病院には、軽傷の人から家屋に挟まれ心臓が止まった人まで多くの患者が運び込まれました。 【救急隊員】 「建物の下敷きになっていた、倒壊したところの」 「命を救いたい」。 懸命に心臓マッサージを続ける医師たち。そこに、当時の外科部長がやって来ます。 【故 松田昌三外科部長(当時)】 「やることやってあかんかったら次の人を助けなあかん。助けられる人を助けないけない!助からない人は諦めな!この人何分くらいかわかる?」 【救急隊員】 「9時に現着してここまで15分くらいCPR(心臓マッサージ)を実施した