モジュール化 「うわべだけ規則に従って、規則違反はコッソリやるべし」という規律は、「健全な社会」にとって極めて重要である。(炎上と、<他者>のメンツを立てること) - 草日記 黙認と容認の間には致命的な差異がある。この差異はくだらないといえばくだらないものなのだが、しかし社会はこれを簡単には放棄することができない。<他者>に隠れて行為しうること、これはどうしても重要なことだ。 あるいは、コッソリ隠れていようがどうしようが、規則を完璧に一律に徹底したほうが社会は「健全」だろうか。それこそ、法治国家のあるべき姿なのではないか。恣意的な運用を一切排した、ルールに基づく支配。それはおそらく非人間的な状況であろうが、別に非人間的で不味いこともないかもしれない。 なぜ、私的領域を塗り潰して公的領域を全面化してはいけないのだろうか。比喩としてプログラミング言語における変数を考えよう。変数には、「パブリッ
![全体主義的社会は他者不在の社会である - 萌え理論ブログ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/a33610fefd59ae91d271d534020991ea7b22c836/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimages-fe.ssl-images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41EHMR32ABL._SL160_.jpg)