日露戦争後、関東州と南満州鉄道附属地を手に入れた日本は、満鉄主導で現在の東北地方の開発を進めましたが、いかにも日本らしいと思うのが、各地に温泉を開発し、行楽地にしたことです。 なかでも有名だったのが、湯崗子温泉(鞍山)、熊岳城温泉(営口)、五龍背温泉(丹東)でした。当時は「満州三大温泉」と呼ばれていました。 これら満州の温泉を世に広めるのに一躍買ったのが、明治の文豪たちです。 最初の話題提供者は、『満韓ところどころ』を書いた夏目漱石。彼が訪ねたのは日露戦争後わずか 4年目( 1909(明治 42)年)で、満鉄沿線は開発途上でした。それでも、漱石は熊岳城温泉と湯崗子温泉を訪ねており、兵士の療養小屋に毛の生えた程度の温泉宿の様子を「すこぶる殺風景」と評しています。 時代は移って大正期に入ると、紀行作家として有名な田山花袋のベストセラー『温泉めぐり』や『満鮮の行楽』などの読み物の中に、満洲三大温