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  • 20.蝗虫(こうちゅう)との戦いの記録-バッタ塚

    エピソード・北区 第3章:開拓時の人々 20.蝗(こう)虫との戦いの記録|21.端午の節句、正午ころ出火|22.素手でクマと戦った開拓農民|23.大地とともに生きる 20.蝗虫(こうちゅう)との戦いの記録-篠路にもあった- 「拓北にもバッタ塚があったそうです。明治の始めにつくられたと」上篠路に住むお年寄りからこういう話を聞いた。 バッタ塚。明治10年代、全道的にバッタが大発生。これを駆除するため、卵や幼虫を埋め、土を盛り上げたもの。市内では西区手稲山口(注)にあるものが市の有形文化財になっている。 「カタカタ」の来襲 明治13(1880)年8月、蝗虫(こうちゅう)、十勝でアイヌの人たちが「カタカタ」と呼んでいたバッタが大発生した。カタカタとはバッタの音からきたのだろうと言われている。そのカタカタは大群集となって日高、勇払原野へ移動。そこで群は2つに分かれ、一群は虻田方面へ向かったがもう一群

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