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東日本大震災に関するbasementjaxxのブックマーク (87)

  • 被災地を搾取し被害を拡大してきた「フクシマ神話」――ニセ科学とデマの検証に向けて/林智裕 - SYNODOS

    はじめまして。福島県在住の林智裕と申します。 東日大震災および東京電力福島第一原子力発電所の事故から4年半以上の年月。当にさまざまなことがありました。これからそのことについて、特に今回は震災後に流れたデマがどのように現地を苦しめてきたのかを、少しお話をさせていただこうと思います。 ひとつ最初におことわりしなければなりません。 今回の内容に限らず私が震災について、福島について書く内容は確かに福島の声のひとつではあるものの、決してそれだけが福島を代表するものではないということです。敢えて断定での書き方が多くなりますが、これから書く内容は、福島の全てではありません。 それは発言に自信が無いからではありませんが、私よりも語るにより相応しい当事者がいるからか?と問われれば実は答えに困ります。 その理由として原発事故はその性質上極めて社会問題と深く関わり政治的な要素を含むために、通常の災害ではあま

    被災地を搾取し被害を拡大してきた「フクシマ神話」――ニセ科学とデマの検証に向けて/林智裕 - SYNODOS
  • 東日本大震災、体育館避難所で起きたこと/佐藤一男 - SYNODOS

    東日大震災。 東日全体で21000人もの人が命を失い、または行方不明となりました。私も被災し岩手県陸前高田市米崎小学校の体育館で二ヶ月間にわたり避難所生活をしながら避難所運営を経験しました。 多くの人に助けられ過ごした時間です。この場をお借りして、日中の人に御礼を述べさせていただきます。 来であれば、避難所運営の一例として記録と御礼だけに留めるべきことですが、次の万が一の時のために避難所運営の改善点とご支援をいただいた際に気になった点を記させていただきます。 両親とと一男二女の7人暮らしをしていました。両親とも同じ米崎町生まれで、昭和35年のチリ地震津波の被害も経験しています。は同じ岩手県内でも内陸の一関市生まれなので、結婚するまで津波に対する防災教育を受けずに育ちました。 震災時、子どもは小学校一年の長女と保育園年長組の次女は学校と保育園へ。1歳6ヶ月の長男は自宅でと一緒で

    東日本大震災、体育館避難所で起きたこと/佐藤一男 - SYNODOS
  • 福島の米の全袋検査、放射性セシウムはほぼ検出されず | FOOCOM.NET

    どんなコラム? 職業は科学ライターだけど、毎日お買い物をし、家族の事を作る生活者、消費者でもあります。多角的な視点での課題に迫ります プロフィール 京都大学大学院農学研究科修士課程修了後、新聞記者勤務10年を経て2000年からフリーランスの科学ライターとして活動 2014年産の福島の米の放射性セシウム全量・全袋検査がほぼ終わった。 検査は8月21日からはじまり、12月24日現在、1067万7199点がスクリーニング検査された。その結果は、99.98%にあたる1067万5310点が測定下限値である25Bq/kg未満。25〜50Bq/kgが1855点(0.02%)、51〜75Bq/kgが11点(0.0001%)、75Bq/kgを超える米は出ていない。 これは、素早く効率よく測定して行くスクリーニング検査の結果。このスクリーニングで、100Bq/kgを超える可能性を完全には否定できない、とい

    福島の米の全袋検査、放射性セシウムはほぼ検出されず | FOOCOM.NET
  • 政府事故調査委員会ヒアリング記録の開示について - 内閣官房

    政府事故調査委員会ヒアリング記録の開示について 平成26年9月11日 東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(政府事故調査委員会)のヒアリング記録については、そのヒアリングにご協力いただいた方々を対象に、ヒアリング記録の開示に関する意向確認へのご協力を個別にお願いするとともに、内閣官房のホームページにおいてもご協力を呼び掛けているところです。 これまで、意向確認へのご協力をいただいている方々には、ご自身のヒアリング記録を閲覧して不開示希望部分の確認作業等をしていただいています。さらに、それに加えて、個人情報、第三者の権利・利益、国の安全等に係る部分についても、不開示することとして処理(黒塗り処理)を行っています。これらの作業を終えて、現時点までに公開準備が整ったヒアリング記録について、公開いたします。今後とも引き続き、開示の意向確認等の作業を継続し、準備が整ったものから順次

  • 吉田元所長の証言“猛烈に反省” NHKニュース

    東京電力福島第一原子力発電所の事故で、吉田昌郎元所長が政府の事故調査・検証委員会に対し、非常用の冷却装置が止まっていたことなど重要な情報を把握できていなかったことを「猛烈に反省している」と述べるとともに、吉田元所長に判断が集中した事故対応の在り方について課題を指摘していたことが分かりました。 専門家は「新しい知見を生み出しながら、事故の教訓を別の視点から伝え、解釈していくことが重要だ」と、吉田元所長の証言を公表することの意義を指摘しています。 去年7月に亡くなった福島第一原発の吉田昌郎元所長が政府の事故調査・検証委員会の聴き取りに答えた証言の記録は、事故を検証する重要な資料と位置づけられ、政府は来月にも公表する方針です。NHKが入手した記録によりますと、吉田元所長は、メルトダウンした1号機で、事故発生の直後から非常用の冷却装置が止まっていたことに長時間気付かず、対応が後手に回ったことについ

  • 「吉田調書」 朝日新聞

    「吉田調書」をめぐる報道では、「命令違反で撤退」という記述などに誤りがありました。読者と東京電力の皆様に深くおわび致します。 「報道と人権委員会」(PRC)の指摘を受け、第1章1節の「フクシマ・フィフティーの真相」の該当箇所について、訂正しました。(2014年12月1日) (全文公開しています) プロローグ 朝日新聞は、東日大震災発生時の東京電力福島第一原子力発電所所長、吉田昌郎氏が政府事故調の調べに対して答えた「聴取結果書」を入手した。レベル7の大災害を起こした福島第一原発の最高責任者であり、事故収束作業の指揮官であった吉田氏の唯一無二の公式な調書である。吉田氏は事故について報道機関にほとんど語らないまま2013年7月に死去した。調書も非公開とされ、政府内にひっそり埋もれていた。 28時間、400ページ 吉田調書は全7編で構成されている。総文字数はおよそ50万字。A4判で四百数十ページ

    「吉田調書」 朝日新聞
  • 【3.11】福島第一原発の収束作業現場は3年でどう変わったか? ベテラン作業員のハッピーさんに聞く

    東日大震災から3年目を迎えるに当たって、原発作業員は何を感じているのか。福島第一原発をとりまく状況は事故直後から変わったのか? 変わってないのか? 忌憚のない意見を聞いた。 Members of the media and Tokyo Electric Power Co. (Tepco) employees, wearing protective suits and masks, walk towards the common spent fuel facility during a visit to the company's Fukushima Dai-Ichi nuclear power plant in Okuma, Fukushima Prefecture, Japan, on Wednesday, March 6, 2013. Tepco's Fukushima Dai-Ic

    【3.11】福島第一原発の収束作業現場は3年でどう変わったか? ベテラン作業員のハッピーさんに聞く
  • <東日本大震災>津波で決死の誘導、胸を張れ…長男へ (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

    かけがえのない命と暮らしが奪われた東日大震災から11日で3年を迎えた。増え続ける震災関連死を合わせ、犠牲者は2万1000人を超えた。地震・津波や東京電力福島第1原発事故で住まいを奪われた約26万人が、今も避難生活を強いられている。いとしい人への追慕、帰郷の誓い、支援者への感謝、風化の懸念。さまざまな思いが行き交う中、復興の道半ばの被災地に3度目の「3月11日」が巡り来る。 【いまと3年前、定置観測の写真特集】  ◇福島県相馬市…阿部新太郎さん(73)、洋子さん(67) 長男の健一へ。 高校を中退し、父ちゃんと同じ漁師になったお前の腕はピカイチだった。20年かけ「親子船」の借金3000万円を払い終えた直後に、嫁と娘2人を残して津波にのまれ、まだ39歳で無念だったろう。 今は仮設住宅で暮らす父ちゃんも母ちゃんも、壁に飾ったお前の消防団の法被を見上げては、悲しみをかみころしてる。原発事

  • 被災者はどこに住むべきか~宮城県名取市閖上のいま | ダイヤモンド・オンライン

    東日大震災の津波で700人以上が亡くなった宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区では今、どこに町を再建するかを巡り、住民と市長・行政の間で大きな隔たりが生まれている。この連載では、閖上地区を具体例としながら、震災から2年経った今だからこそ見えてきた被災地の直面する問題を明らかにする。

    被災者はどこに住むべきか~宮城県名取市閖上のいま | ダイヤモンド・オンライン
  • 長文日記

    長文日記
  • 福島餃子Ruby親方

    8月末で、21年間務めた株式会社ラビックスの代表取締役を退任しました。 退任理由としては、長く務めすぎて、マンネリ化しすぎたということが一番大きいかなと思います。 やっぱり、社長というのは、会社の成長に人生をかけてないと。 長く務めてマンネリ化してきた 不動産をやっているうちに、自分のリソースがそちらにシフトしてしまった 自分がリソース避けないので、何も新しいことが起きない 何も新しいことが起きないのは衰退するしかない ってのがあります。 そもそも、ラビックスは自分が雇用されたい会社を作るのが目的で作った会社でした。 そして、特徴としては、 リスクをとる大きな成長は目指さない 福島で働けるということを重視する ということがあります。 そして、自分の第二の人生として、北秋田市のまちづくりに携わるつもりです。 秋田との二拠点生活を目指すにあたり、これ以上はラビックスの経営者を続けて、会社を引っ

    福島餃子Ruby親方
  • 東日本大震災の記録 大津波の悲劇・惨劇の報道を追う

    東日大震災の大津波の実態を報道記事を通して検証するサイトです ◇更新情報◇◇◇2012年1月28日現在 記憶の部屋について 東日大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。 私は宮城県内で東日大震災を体験しました。しかし、大津波が沿岸一帯を襲っていたこと知ったのは、襲来の1時間余り後、カーラジオの放送でした。映像が無いためなぜか実感が無かったことを覚えています。甚大な被害を映像で確認できたのは、大震災から丸4日後の夜。やっと停電が復旧した喜びの中で見たテレビでした。こんなことになっていたなんて…。 余りにも大きな被害に、今でも信じられない気持ちです。この甚大な被害が地震後の大津波によることはご承知のとおりです。地震だけなら、これだけ多くの人命が失われることはなかった。 仙台市内では、大津波が海岸から4㌔余りも平野を駆け上がりましたので、逃げたつもりの人々さえ波にのみ込まれたの

  • 東日本大震災で津波で死に掛けたけどなにか質問ある? : ゴールデンタイムズ

    1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/11/25(月) 17:14:03.49 ID:DBypVgqx0 因みに被災当時中3 現在高3 3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/11/25(月) 17:14:36.29 ID:zuE652Aa0 大っきくなったな 113 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/11/25(月) 17:46:07.29 ID:aD/M2ir2i そんな月日がたってることに驚きだわ 6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/11/25(月) 17:15:26.84 ID:8Y1ncjkU0 計算合わなくね? 11 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/11/25(月) 17:16:26.20 ID:DBypVgqx0 >>6 中学卒業前だか

    東日本大震災で津波で死に掛けたけどなにか質問ある? : ゴールデンタイムズ
  • 原発20キロ圏内に生きる男 - Alone in the Zone

    福島の警戒区域にただ独り残る松村直登。Surviving solo in the Fukushima evacuation zone. http://bit.ly/19tD58x English: http://bit.ly/1hjFtf9 誰もいなくなった警戒区域でただ独り、生きる男。彼には、ひとつの使命があった。 東日大震災から2年。福島県双葉郡富岡町は今なお立入禁止の警戒区域に指定されている。全町民が避難したなか、この地にたった独り、残ると決意した男が。松村直登、53歳。この地を襲った惨事に苛立ちながらも、彼が居続けるのには訳があった。警戒区域で孤独に暮らしてきた男が語った、愛と憎しみの2年間。 Two years since the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant went into full meltdown, and the

    原発20キロ圏内に生きる男 - Alone in the Zone
  • 震災から2年の間で身近にあった話をしようと思う

    震災から2年経ったということで ずっと我慢していたがあえて吐き出そうと思う。 いわゆる愚痴である。 自分は東北出身だが、2年前のあの日は関東にいて 奇跡的に自分の身にも周りにも「震災で亡くなった人」はおらず 幸い今も前と変わらない日常が過ごせる身である ※東北 = 青森、岩手、秋田、宮城、山形、福島 という部分で「お前が言うな」という批判もあるだろうことを承知の上で書く 「あっ…これ…だいじょうぶかな…」 これを見てピンとくる人もいるかもしれない 分からない人はそれでいいとおもう 上記の言葉は何気なく友人たちと買い物する機会や お土産をやりとりする機会で 当に何気なくぽろっと出た相手の言葉だ 断っておくが普段は色々と良くしてくれている、 身近にいる大切な人たちである。 まぁ相手は自分が東北出身だってことは知ってたり知らなかったりするわけだし 今の事態からそういう感想が出てしまうことが ど

    震災から2年の間で身近にあった話をしようと思う
  • 被災地・福島をめぐってすれ違う課題【前提編】――社会学者 開沼 博

    1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。専攻は社会学。学術誌のほか、「文藝春秋」「AERA」などの媒体にルポ・評論・書評などを執筆。 著書に『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『はじめての福島学』(イースト・プレス)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)、『地方の論理 フクシマから考える日の未来』(同、佐藤栄佐久との共著)、『フクシマの正義 「日の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)『「原発避難」論 避難の実像からセカンドタウン、故郷再生まで』(明石書店、編著)など。 第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。 大震災から2年目の「今」を見つめて この3月で東日大震災から丸2年が経つ。被災地の報道も極端に少なく

  • 班目氏が認めた 原発事故対応の失敗 元原子力安全委員会委員長、班目春樹氏の証言(第1回)

    3.11当時の原子力安全委員会委員長だった班目春樹氏(元東大教授)にインタビューした。直接のきっかけは、2012年11月、3.11当時を振り返った回顧録『証言 班目春樹』(新潮社)が出版されたことである。新潮社の説明によると、このは班目氏の話を教え子である岡孝司・東大大学院工学系研究科教授ら数人が聞いてまとめたものだ。著者は岡教授になっている。 を一読して、政府中枢で福島第一原発事故対応に関わったキーパーソンの証言として、非常に貴重な内容が含まれていることが分かった。当時官邸にいた人間の中で、班目教授は数少ない原子力の専門家である。そして原子力安全委員長(内閣への助言機関)という重要なポジションにいた。事故対応で、班目氏が分からなかったことは、他の官僚や政治家も分からなかったと考えることができる。 原発事故や住民避難対応の失敗について、班目氏にはバッシングに近い激しい非難が加えられ

    班目氏が認めた 原発事故対応の失敗 元原子力安全委員会委員長、班目春樹氏の証言(第1回)
  • 脳天かち割った菅直人氏に、「ケガの功名よ」:日経ビジネスオンライン

    山根 小雪 日経ビジネス記者 日経コミュニケーション、日経エコロジーを経て、2010年1月から日経ビジネス記者。エネルギーを中心に、自動車や素材など製造業を担当する。 この著者の記事を見る 鵜飼 秀徳 ジャーナリスト、浄土宗僧侶 1974年、京都市生まれ。新聞記者、日経ビジネス記者、日経おとなのOFF副編集長などを歴任後、2018年に独立。「宗教と社会」をテーマに取材を続ける。正覚寺副住職、浄土宗総合研究所嘱託研究員、東京農業大学非常勤講師。 この著者の記事を見る

    脳天かち割った菅直人氏に、「ケガの功名よ」:日経ビジネスオンライン
    basementjaxx
    basementjaxx 2012/12/19
    「原発事故を経験した総理として、私自身が語り部にならなければいけない。」この言葉を聞けて安心した。
  • 格納容器の調査に5年、燃料棒の片づけに11年 スリーマイルからフクシマへの伝言(その1)

    2012年10月から1カ月半、アメリカ各地を取材して回った。アメリカから日への核技術移転の歴史を取材するためである。その途中で、東海岸・ペンシルベニア州にある「スリーマイル島原発」(Three Mile Island Nuclear Power Plant)を訪ねた。1979年3月にメルトダウン事故を起こした原発だ。福島第一原発事故のように、商用発電原子炉がシビアアクシデントを起こして放射性物質を周辺にまき散らした先例として、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故と並んで記されてきた。そうした歴史的にも重大な事故が起きたにもかかわらず、日の報道ではほとんど「スリーマイル島原発周辺はその後どうなったのか」の報告を見ない。福島第一原発事故後も、なぜかチェルノブイリばかりが報道され、スリーマイル島事故はほとんど出てこない。私はそれが不思議だった。 福島第一原発事故が教訓を学ぶためには、チェルノブイリ

    格納容器の調査に5年、燃料棒の片づけに11年 スリーマイルからフクシマへの伝言(その1)
  • Google 「未来へのキオク」

    【未来へのキオク】震災で失われた写真や動画も、みんなで力を合わせればきっと取り戻せる。個人の募集テーマに、みんなからの投稿で応えていくしくみ。募集がなくても投稿できるしくみです。あなたのキオクが、だれかの未来の支えになるはず。あなたもぜひご参加を。

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