「日本カトリック神学院設立に至った経緯 および 東京ならびに福岡諸教区共立神学校への移行について」 1.明治初期から戦後の2神学院体制まで 1865年3月17日長崎の大浦天主堂で起こった「日本の信徒発見」以来、宣教師たち […] 「日本カトリック神学院設立に至った経緯 および 東京ならびに福岡諸教区共立神学校への移行について」 1.明治初期から戦後の2神学院体制まで 1865年3月17日長崎の大浦天主堂で起こった「日本の信徒発見」以来、宣教師たちが力を入れた事業の一つは日本人司祭の養成でした。プティジャン神父は、禁教令がまだ布かれていた同年12月8日の頃、司祭館の屋根裏で数名の少年を司祭職に向けて養成し始め、本格的な哲学・神学履修のためにはマレーシアのピナン神学校へ送りました。 1870年代に東京と長崎に神学校が設立されましたが、東京神学校が長崎の神学校に合併されたり、長崎の神学生が東京神