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ブックマーク / jmiyaza.hatenablog.com (8)

  • 上野千鶴子 三浦展「消費社会から格差社会へ 中流団塊と下流ジュニアの未来」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    河出書房新社 2007年4月 書を読んでみる気になったのは、赤木智弘氏の「若者を見殺しにする国」を読んで今ひとつすっきりしない点が残ったためである。赤木氏の議論では、絶対的な貧困と相対的な貧困が充分に区別されていないように思えた。絶対的な貧困とは「飢えて生きていけない」ということであり、相対的な貧困とは「尊厳がなくみじめである」ということである。 赤木氏は「いまでこそフリーターは、私のように親元で生活できている人も多く、生死の問題とまで考えられていないのですが、親が働けなくなったり死んだりすれば、確実に生死の問題となります。それまでの生活水準を維持できないのは当然として、フリーターの給料では自分ひとりですら生きていけるかが怪しく、ホームレスになるか自殺するかの二者択一になる可能性が高いのです。すくなくとも家が資産家でもなんでもない私は、その二択を迫られるでしょう。/ ちなみに私は、どうせ

    上野千鶴子 三浦展「消費社会から格差社会へ 中流団塊と下流ジュニアの未来」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • A・W・フラハティ「書きたがる脳 言語と創造性の科学」  - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    ランダムハウス講談社 2006年2月1日初版 音楽や文学といった高次(?)機能をあつかう進化生物学が最近盛んになってきているので、その方向からの書かれた「音楽する脳」と類似のかと思って読んだのだけれど、全然そうではなかった。元々しゃべるのと違って、書くという行為は人類の歴史において起源が新しいから、進化的に説明することは困難である。だから、音楽には生存価があるといった究極要因的な方向の議論は「書く」の場合には難しい。そういうわけで、書は、われわれはなぜ書くことをするのかという、文学的とも言える問いに取り組んだ風変わりなになっている。 著者は女性の神経科医。書は、書くことの脳の関係を論じるだけでなく、自身の経験についても滔滔と論じたでもあるという、科学啓蒙書としてはきわめて異例の構成のとなっている。 著者は、自身の出産後(しかも双子の早産死)の気分障害(躁病あるいは躁病?)の症

    A・W・フラハティ「書きたがる脳 言語と創造性の科学」  - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • S・バロン=コーエン「共感する女脳、システム化する男脳」  - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    NHK出版 2005年4月25日初版 こういう邦題であるが、原題は「The Essential Difference 」である。邦題どおりのことを主張したではあって、要するに男と女の脳は違うという話。 著者自身、こういうは1990年代には書けなかったといっている。女性差別であると頭から決めつけられて読んでもらえなかっただろうというのである。今では友人(女性)のフェミニストもこういう内容のを書くことを鼓舞してくれたのだという。 かつては、男性である著者がそういうを書くのは、たとえ人が意識していなくても男性に有利なように書くにきまっているから、その内容は信じるに足りないといわれて無視されてしまったのである。ここらへんは「サイエンス・ウォーズ」などともからんで現在でもまだアクチュアルである問題であると思うので、著者の見解はいささか楽観的すぎるのではないかとも思う。 いっていることは単純

    S・バロン=コーエン「共感する女脳、システム化する男脳」  - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • 福井一「音楽の生存価」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    音楽の友社 2005年2月5日初版 おいしい、愉快。最近こんな面白いを読んだことがない。 こんなに言いたいことをそのまま書いたら、さぞ気持ちがいいであろう。男子の懐かもしれない。しかし、敵も多いだろうなあ、とも思う。 それでその言いたいこととは。 文明社会は文字がなければなりたたない。しかし、文字のない社会もあり、そこでも人は生きている。文字は生きるのには必須ではない。それでは音楽は? 文字のない社会でも音楽はある。音楽は経済的な余裕から生まれたもので、生存には必須ではないとするものがあるが(J・ダイヤモンド)、農業を行わず狩猟採集で生きる人たちもまた音楽はもっている。歌が生まれたのは25万年くらい前であるとされる。言語は10万年くらい前、農業は1万年前である。歌は農業により経済的余裕が生まれる前からあったのだ。 音楽はチーズケーキだというものもある。ピンカーである(「心の仕組み」)。

    福井一「音楽の生存価」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    bhikkhu
    bhikkhu 2006/05/28
    "もっとも、学問を駆動する動機の根底は情動なのかもしれないが。"
  • V・S・ジョンストン「人はなぜ感じるのか?」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    [日経BP社 2001年6月4日初版] ダマシオのid:jmiyaza:20060402と同じように、認知にはたす感情の重要性について論じているであるが、ダマシオのものとくらべてより進化からの観点が重視されている。ダマシオのものほど主張が強いではなく、心理にはたす感情の役割について、読者に納得していもらうことを目的とした啓蒙書の色彩の強いである。 議論の出発点は、物理的世界と心的世界の関係である。 現在の認知科学においては、コンピュータモデルと人間を比較する「ドライな認知科学」と、損傷脳のおこす症状や、脳の活動時の画像の変化を調べたりする「ウエットな認知科学」の二つの方向がある。 前者の例としてはチョムスキーの「普遍文法規則」があり、現在ではピンカーなどがその方面の旗手となっている。その立場にたてば、われわれの内的な経験、主観的な経験は問題にされない。それらはわれわれの認知の過程で

    V・S・ジョンストン「人はなぜ感じるのか?」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    bhikkhu
    bhikkhu 2006/04/10
    ピンカーの一般向け著書はどれも必読かと思われます。
  • D&A・プレマック「心の発生と進化 チンパンジー、赤ちゃん、ヒト」(1) - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    [新曜社 2005年5月25日初版] 昨日買ってきたid:jmiyaza:20060320このを少し読んでいるところである。プレマックはサラというチンパンジーにプラスチック片を用いて会話が成立することを示したので有名なひとである(喉頭の構造からチンパンジーは言語を可能にする音を発することができないので、実験のためには、なんらか音声以外のコミュニケーション手段を発明しなくてはならない)。 書はもちろんチンパンジーのことも書いてあるが、赤ちゃんについての考察が多い。まだ80ページくらいなのだが、あまりに驚天動地なことが書いてあったので書いてみる(あくまでわたくしにとってであり、そんなことに今頃驚くほうが驚きなのかもしれないが)。 われわれの脳には数のモジュールが備わっているというのである。従来、数は言語の一部であると考えられてきたけれども、言語のモジュールと独立して数のモジュールがあるとい

    D&A・プレマック「心の発生と進化 チンパンジー、赤ちゃん、ヒト」(1) - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    bhikkhu
    bhikkhu 2006/03/22
    生得モジュールとしての数と言語
  • R・M・ネシー J・C・ウイリアムズ「病気はなぜ、あるのか 進化心理学による新しい理解」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    [新曜社 2001年4月15日初版] ハンフリーの「獲得と喪失」id:jmiyaza:20060315の原注で知った。5年前に発行されているのに不明にしてその存在を知らなかった。恥ずかしながら、ここに書かれていることの八割を知らなかった。告白すると(などと大袈裟にいうこともないけれども)、鉄分が人間ばかりでなく細菌にとっても必須の物質であり、細菌の宿主となる生物は細菌に鉄分をあたえまいとする膨大なメカニズムを備えているということなどまったく知らなかった。尿酸が強力な抗酸化物質であるということも知らなかった。それで医者をやっていたのだからいやになる。 でもなぜそういう情報がわれわれに入ってこないのだろう? 鉄分不足が貧血の一番ありふれた原因であり、それが鉄剤の投与で簡単に治ることは医者なら誰でもしっている。あまりに簡単に治るので、鉄欠乏性貧血は医者から見るとほとんど病気とも思えないくらいで

    R・M・ネシー J・C・ウイリアムズ「病気はなぜ、あるのか 進化心理学による新しい理解」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    bhikkhu
    bhikkhu 2006/03/20
    進化と病気、特に精神病について。
  • N・ハンフリー「喪失と獲得 進化心理学からみた心と体」(3) - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    第5章「心身問題の解き方」(2) ハンフリーが身心問題を進化論的見地から論じていることをid:jmiyaza:20060317見た。 同じように身心問題を進化論的見地から論じたものとして、ポパーの「身心問題と世界3」がある(果てしなき探求(下) 岩波現代文庫 2004年3月)。 これはこころを一つの器官、肺や心臓と同じ一つの身体器官とみなし、それが進化においてどのような機能をはたしただろうか、という形で議論をすすめるものである。 脳は一つの器官であり、それがもつ機能としてこころをとらえるのが普通であろう。 ところがポパーの議論においては、こころが器官なのである。それではそれはなにをする器官なのであるか? 知覚のためという答えをポパーは退ける。こころという器官は彼が世界3と呼ぶものを産出し、それと相互作用をするためなのである。 ハンフリーはこころを知覚のため、外部世界を知るためとしているので

    N・ハンフリー「喪失と獲得 進化心理学からみた心と体」(3) - jmiyazaの日記(日々平安録2)
    bhikkhu
    bhikkhu 2006/03/19
    心身問題関連
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