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economyとhistoryに関するbhikkhuのブックマーク (28)

  • ピケティ『資本とイデオロギー』読書ガイド - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    目次: 目次: はじめに 1. 『資とイデオロギー』の概略 1.1 .『21世紀の資』のあらすじ: 1.2. 『資とイデオロギー』の全体的な話 1.3. 『資とイデオロギー』のあらすじ 第I~II部:歴史上の格差レジーム/奴隷社会&植民地 第III部:20世紀の大転換 第IV部(その1):政治的対立の次元再考——問題編 第IV部(その2):政治的対立の次元再考——対策案 (第17章) 第IV部(その3):政治的対立の次元再考——対策案 (その他随所) 2. 通読する必要はないと思う 3. タイプ別読み方 『21世紀の資』の続きとして読みたい人、つまり経済格差とその対応を知りたい人は…… 経済格差への対応を知りたい人は…… 世界各地の格差の変動プロセスの比較に興味ある人は…… 4. 最後に はじめに このたび、ついについに難産の子、ピケティ『資とイデオロギー』が出ました。 資

    ピケティ『資本とイデオロギー』読書ガイド - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • 『#ドイツ の大企業の分布図』ーラインラント+経済格差で西側が凄いことになってる

    こうやまP提督㌠フレンズトレーナー @benjyama @nihosan @Carlis_Alford ベンツのツ(tz)はドイツ(語圏)の南にしか無い発音で、南のほうにありますね。ダイムラーですがダイムラーさんとベンツさんが会社を作ったのでなく、北のダイムラーさんと南のベンツさんが同じ時期にお互いの事を一生知らないまま自動車を発明、作った会社が没後に合併したのです。 2020-12-29 04:18:31 はにかむ @Honeycomb_jp_ @Carlis_Alford @nihosan 1998年に社名がダイムラー・クライスラーとなり、2007年のクライスラーとの分離後も社名からベンツが消えたままなので「ダイムラー」社です。 ちなみに見えにくいですがココです(バーデン=ヴュルテンベルク州、シュトゥットガルト)。 pic.twitter.com/6lojhC9N2R 2020-12-

    『#ドイツ の大企業の分布図』ーラインラント+経済格差で西側が凄いことになってる
  • 「通勤地獄」を作ったのは誰か? 戦後の焼け野原からの「理想的な都市計画」が大失敗に終わるまで | 乗りものニュース

    1945年に日は終戦を迎えました。その前から東京の「通勤ラッシュ」は限界に達していたため、国は復興とともにこれを解決しようと試みたのです。 「脱・通勤地獄」プランは終戦前から作られた 東京都心の鉄道は、地下鉄を除けば昭和戦前期には概ね現在のネットワークが完成していました。大正時代、第1次世界大戦、関東大震災後の郊外化を背景に郊外私鉄が次々と開業し、沿線開発と人口増加が続きました。 その結果、東京府(当時)の人口は、1920(大正9)年の約370万人から1930(昭和5)年には約541万人まで急増。戦時体制に入ると軍需景気でさらに人口集中が強まり、1940(昭和15)年には約735万人にまで達しました。鉄道各線は通勤客で大混雑し、日初の「時差通勤」が行われたのも、実は戦時中のことです。 拡大画像 1963年当時、混雑する新宿駅ホームと電車(画像:新宿区)。 しかし戦争末期、東京への空襲が

    「通勤地獄」を作ったのは誰か? 戦後の焼け野原からの「理想的な都市計画」が大失敗に終わるまで | 乗りものニュース
  • ドイツのヒトラー政権は、いかにして国民を動員する準備を進めていたのか?|武内和人|戦争から人と社会を考える

    アドルフ・ヒトラー(1889~1945)は1933年1月にドイツで政権を掌握するまで、非党員を大規模に組織化し、軍事的目的に動員する基盤をほとんど整備できていませんでした。1933年4月にヒトラー政権は政治的に敵対していた既存の労働組合をすべて解散に追い込み、ロベルト・ライ(1890~1945)に労働者を再組織化する任務を与え、ドイツ労働戦線の総裁という地位を与えました。 しかし、当事者であるライはヒトラーの命令に戸惑い、「私は労働組合の運営を引き継ぐようにとの総統命令を受けたが、そのあと、どうすればよいのか、自分でやってみるしかなかった」と述べています(邦訳、カザ『大衆動員社会』99頁)。このことからも、ヒトラー政権が政権掌握後になってから、場当たり的に動員基盤の強化に取り組み始めたことが伺われます。 ヒトラー政権の下では数多くの団体が立ち上げられ、熾烈な縄張り争いを繰り広げたことも、事

    ドイツのヒトラー政権は、いかにして国民を動員する準備を進めていたのか?|武内和人|戦争から人と社会を考える
  • フォーゲル他『十字架の時:アメリカ奴隷制の経済学』:おもろいでー。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    ポランニーで、ダホメの輸出側の奴隷事情を見ました。 cruel.hatenablog.com それで奴隷に興味が出てフォーゲルの『十字架の時:アメリカ奴隷制の経済学』を読み始め、訳し始めてしまいました。まだ前半だけ。もちろん、フォーゲルはずいぶん長生きしたし、翻訳権は当分フリーにならないので、みなさんは読んではいけません。以下にあるけれど、見ないように。 フォーゲル&エンガーマン『十字架の時:アメリカ黒人奴隷制の経済学』(まだ前半だけ、pdf18MB) なぜか知らないが、目次のハイパーリンクがずれていて、きちんと当該の章にジャンプしなくなっている。もちろん、みなさんはご覧にならないでしょうから関係ないけれど。あと、Excelで作り直したグラフの相当分は、目分量で原著のグラフから数字を読み取って再現したものなので、完全に厳密ではありません。プラマイ3%くらいの誤差はあるはず。 著作権を遵守す

    フォーゲル他『十字架の時:アメリカ奴隷制の経済学』:おもろいでー。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • アレックス・タバロック「原始共産制の神話: 私的財産の所有は狩猟採集社会でもふつうのこと」(2022年4月26日)

    [Alex Tabarrok, “The Myth of Primitive Communism,” Marginal Revolution, April 26, 2022] [▲写真]吹き矢筒の使い方を実演するヤグア族(ヤフア族)の男性.ペルーのイキトス市近くのアマゾナス川の中州のひとつにて.( JialiangGao www.peace-on-earth.org) AEON: 今日になっても,原始共産制を歴史的事実のように扱っている著述家・学者は多い.影響力のある一例を挙げると,「財産権は農業とともに共進化した」という話を経済学者 Samuel Bowles & Jung-Kyoo Choi は20年ずっと語り続けている.彼らにとって,「私的財産は農業が始まる前から存在していたのか」という問いはそれほど問題になっていない.それよりも,「どうして私的財産が農業が始まった時代に登場したのか

    アレックス・タバロック「原始共産制の神話: 私的財産の所有は狩猟採集社会でもふつうのこと」(2022年4月26日)
  • 【太平洋戦争下における日米航空産業の生産管理技術の懸隔に関する考察 / 前編】-大量生産ノウハウの蓄積の観点から-

    HIROKI HONJO @sdkfz01 【太平洋戦争下における日米航空産業の生産管理技術の懸隔に関する考察 / 前編】 -大量生産ノウハウの蓄積の観点から- 《はじめに》 太平洋戦争は、航空戦力の優劣が勝敗を決する最も重要なファクターの一つとなった戦いであり、日も乏しい国力を挙げて優秀な航空機の開発に邁進しました。 pic.twitter.com/p2JeveLF1C 2021-03-13 17:01:12

    【太平洋戦争下における日米航空産業の生産管理技術の懸隔に関する考察 / 前編】-大量生産ノウハウの蓄積の観点から-
  • 偉大なる首領スターリン閣下のありがたきインタビューでも読み給え。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    最近さまざまなメディアにおける人民諸君の発言を見るにつけ、であるな、多くの者が堕落し、あるべき革命精神を忘れ、軽視し、捨て去っているように見えるのだよ。特にへっぽこリベラルえせ知識人どもよ。そうした反革命分子どもにも、更正の機会を与えてやろうではないか。偉大なる首領、我らが指導者スターリン閣下のありがたきインタビューを読んで、あらためて社会における己の卑しき役割を再認識したまえ。 H・G・ウェルズによるスターリンのインタビュー、1934年7月 pdfが嫌な人は、この下に全文貼り付けてあるのでこのまま読み進めたまえ。 というわけで、H・G・ウェルズによるスターリンのインタビュー。大恐慌真っ最中の1934年にソ連を訪れたイギリスの大知識人たるウェルズは、もう資主義は終わりだ、社会主義の時代がすぐにやってくると、当時の (そして今の) 軽薄なリベラル知識人ぶりを全開にしてスターリンにインタビュ

    偉大なる首領スターリン閣下のありがたきインタビューでも読み給え。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
    bhikkhu
    bhikkhu 2020/10/14
    資本家と労働者階級の宿命的な対立という世界観にはわりと首肯出来るものの所詮はホモサピの集合体でしかない党と共産主義へのこの絶対的な信仰は我こそ労働者階級そのものだという自負が支えていたのかもね。
  • 釧路市の発展の要因をさぐる

    稿では、下記ブログで軽妙に紹介される釧路市の停滞について歴史的経緯から振り返ってみようと思う。 https://www.kansou-blog.jp/entry/2018/10/18/173838 http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kansou-blog.jp/entry/2018/10/18/173838 漁業と築港近世期には、釧路は「クスリ場所」という漁場が設定され、松前藩から委託された業者がそこからの利益を独占していた。 そこでは鮭や昆布、鰊などの海産物のほか、内陸やその他獣の毛皮が収集されていた。 釧路には港がある。というか、大きな港を構築できた。これが大きかった。 函館から太平洋側に航路をとると、日高の小さな諸港を数えるばかりで、大きな築港ができない地形が続く。 例えば十勝国は広尾港の小港を除けばずっと遠浅の地形が続く。内陸に続く十勝川河口も例

    釧路市の発展の要因をさぐる
  • 江戸幕府末期の財政状況がわかる図 | Kousyoublog

    う~ん… 内容豊富も目次粗放、索引なし あくまでも受験用の参考書だな 目次不備、索引なし、内容豊富だが問題点も 上は享保15年、下はその約100年後、江戸幕府末期の天保14年の幕府財政状況です。 享保15年は徳川吉宗による享保の改革の真っ只中。吉宗が将軍就任の前の時点は、幕府は五代綱吉のころの米価下落と綱吉から七代将軍家継までの間に膨らんだ財政赤字、さらにとどまるところを知らない物価上昇などによってそれまでの蓄えをい潰してしまっているという状況でした。 そこで、将軍就任後、倹約と増税(年貢を五公五民にする、定免法による年貢収入の定率化など)による財政再建を行い、成果を出し始めたのがこのころ。農民への年貢取立ては苛烈を極め、「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり」とは享保の改革で辣腕を振るった勘定奉行神尾春央の有名なセリフですが、当然、増税に対して一揆なども頻発していたと言いま

    江戸幕府末期の財政状況がわかる図 | Kousyoublog
  • 船会社「うちの子を返して(´;ω;`)」 戦時徴用された民間船舶の戦時補償の深すぎる闇

    戦時補償を税金の形で全額没収という余りにも深すぎる闇 NHK【ETV特集】戦時徴用船 ~知られざる民間商船の悲劇~2014年2月8日(土)夜11時、再放送:2014年2月15日(土)午前0時45分(金曜深夜) http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2014/0208.html 続きを読む

    船会社「うちの子を返して(´;ω;`)」 戦時徴用された民間船舶の戦時補償の深すぎる闇
  • econdays.net - econdays リソースおよび情報

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  • ナチスの「25カ条綱領」は日本人必読では - モジログ

    bradexさんが、ナチスの「25か条綱領」というのを紹介している。 ウィキペディア - 25か条綱領 http://ja.wikipedia.org/wiki/25%E3%82.. <25か条綱領(独: 25-Punkte-Programm)はナチス党(国家社会主義ドイツ労働者党)の党綱領。1920年2月24日、ミュンヘンのビアホールホフブロイハウスで採択された>。 その25か条綱領には、次のようなものが含まれている。 ・不労所得の撤廃、寄生地主の打倒。 ・我々は、大企業の利益の分配を要求する。 ・我々は、老齢保障制度の大幅な強化を要求する。 ・我々は、健全な中産階級の育成とその維持、および大規模小売店の即時公有化、小規模経営者に対するその安価な賃貸、全小規模経営者に対して最大限考慮した国家・州または市町村に対する納品を要求する。 ・我々は、我が国民の要求に適した土地改革、公益目的のため

  • いろいろクドい話 » 金の切れ目のポーランド

    bhikkhu
    bhikkhu 2008/10/19
    お金は大事だよー
  • 「何故しぶとく生き延びるのか ゴキブリとマルクス」『諸君!』2005年8月号 - shinichiroinaba's blog

    松尾さんの新著をめぐって変に盛り上がっているのでお蔵出し。 何らかのネタの提供になるだろうか。 これと『教養』第7章を読んでいただければ、ぼくが疎外論的マルクス主義それ自体には割と批判的――正統派レーニン主義にもそれなりの事情があったし、その問題点が疎外論で克服できたわけでもない――と考えていることはお分かりになるでしょう。ただそれと今回の松尾さんのの評価とは、関係はあるが別の問題なわけだけど。(ていうかまだ読んでないし。) しかしこれを山形は全く知らないだろう70年代頃までの新左翼系の疎外論だの物象化論だのといったややこしい論争まで引っ張り起こしていじりまわすといったいどうなるのやら……(松尾さんには廣松渉批判の論文もあったな。廣松の「マルクス主義」がすでにマルクスから離れた別物であったというのは間違いじゃないだろうけど)。 ==============================

    「何故しぶとく生き延びるのか ゴキブリとマルクス」『諸君!』2005年8月号 - shinichiroinaba's blog
  • マネジメント、トリアージとドラッカー - 赤の女王とお茶を

    ケーキ 「かわいそうなぞう」はなぜ「かわいそう」か 別に誰を批判というわけではなく、これらを読んでふと思いついたことですが。 fuku33さんのエントリにhokusyuさんがナチズムを持ち出してきて、確かにいきなりの飛躍のように思えるのですが、考えてみるとそもそもfuku33さんの教えておられる経営学、創始者はかのピーター・ドラッカー。 そしてドラッカーのキャリアはナチズムへの批判と分析から始まっていたりするのです。 ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり 作者: P・F・ドラッカー,上田惇生出版社/メーカー: ダイヤモンド社発売日: 2007/11/16メディア: 単行購入: 2人 クリック: 58回この商品を含むブログ (30件) を見るナチズムを体験したドラッカーはアメリカへ渡ってこの書を出版し、二度とあのような事態を引き起こさないための組織・社会運営の方法について考え始めます。

    マネジメント、トリアージとドラッカー - 赤の女王とお茶を
    bhikkhu
    bhikkhu 2008/05/31
    なんとなく適当なことを言うけど、近代科学の始まりも元は神の摂理の発見が目的だったんではないかな。
  • シューレス・ジョー・スティグリッツ

    シューレス・ジョー・スティグリッツ:頂点に立つ叛乱児 ジョナサン・チャイト Jonathan Chait, "Shoeless Joe Stiglitz," The American Prospect vol. 10 no. 45, July 1, 1999 - August 1, 1999. 要約:1990 年代末から 2000 年代初期にかけてのクリントン政権と世界銀行におけるスティグリッツの活躍。政治的配慮まったくなしの罵倒と活躍ぶりは、いい面もあったが悪い面もあった。ちなみに当人による回想記も絶品なので必読。 ジョセフ・スティグリッツは、クリントン大統領の権力集団の中ではあまり人気がないはずだ。かれが 1993 年にワシントンにやってきて、クリントンの経済諮問委員会(CEA) に加わったとき、かれは自分が思うべきだとされる公式見解ではなく、当に思っていることを口に出してしまうとい

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    顔に見える?最近「送水口」が気になるという話 「送水口」が気になる今日この頃 最近街中で気になる存在、それがこの「送水口」です。地上のフロアが7階以上あるビルなど、一定の条件を満たした建築物には設置が義務付けられているもので、火事が発生したフロアにただちに水を送るために使われるものです。ポンプ車…

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  • かっての掲示板時代のネットの経済学

    黒木掲示板・池田信夫ブログエントリーのときにお約束したもの。遅れてすみませんでした。内容はすでに古くなったり他の僕のに一部入っていたり、またはすでに僕自身が自分の考えとしては抱いていないものも散見されるかもしれません。しかし修正が面倒なのでそのまんま掲載します。旧ブログでも一度掲載したものですので読まれた方も多いとは思います。以上の理由から内容は無保証です。引用言及する際は僕の許可を得てください。 ネットの経済学 メディアと経済思想史研究会報告論文(2002年9月) 田中秀臣 1 インターネット経済論壇 1990年代中頃から、個人のホームページの開設やメーリングリストの一般化などが急速に進展した。このような新しいインターネット環境の変化に呼応して、「掲示板」(BBS=Bulletin Board System)とよばれるインターネット上の言論空間がすざまじい勢いで構築されるようになった。

    かっての掲示板時代のネットの経済学
  • http://bewaad.com/2008/01/13/392/