金持ちがますます富み、貧しい者がますます手段を奪われる世界が姿を現して久しい。そのような格差に対抗できるものがあるのかと問うとき、多くの人がそれは教育であると答えるだろう。私たちは格差を乗り越え、社会移動を可能とするものが教育であると信じ、また教育にその使命が与えられている。しかし私は、教育が社会的な越境の手段を与えるとしても、より一般的には、すでに富む者をより豊かにし、欠乏する者からさらに奪っているのではないかという疑念を抱く。 私は2012~13年と2022~23年に大学の海外長期研修制度で、子どもたちを連れて海外に滞在した。最初の時は上の子ども二人(当時11歳と9歳)と共にニューヨークのハーレムに、2回目は末っ子(当時10歳)を連れてパリ近郊に暮らし、子どもを地元の公立校に通わせた。教育格差も、研究者として眺めるのと、学校に通う子どもの親として経験するのでは異なる。ニューヨークとパリ
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