農地は広がり、暮らしが水で潤っていた――。アフガニスタンで医療などの人道支援にあたる福岡市のNGO「ペシャワール会」のメンバーが2022年末、現地を訪れた。19年に現地代表で医師の中村哲さん(当時73歳)が凶弾に倒れた後、会の日本人メンバーが訪れるのは初めて。農地での収穫作業や新たな用水路建設を目指す場所などを視察した村上優会長は「水が流れるまちで人が暮らす光景は『平和』そのもの。中村哲のスピリッツ(精神)が息づいていることが感じられた」と語った。
今年も沖縄戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」を迎えた23日の沖縄。一般住民を含む20万人もの命が奪われた地上戦の悲劇に人々は思いをはせ、教訓を今に生かそうと誓う。 ◇ 祖父はなぜ、多くの住民を巻き込むことになった軍の南部撤退を決断したのか――。東京都の元小学校教諭、牛島貞満さん(67)は27年前から沖縄に足を運び、その重い問いへの答えを探してきた。太平洋戦争末期の沖縄戦での約9万4000人(推計)もの一般住民の犠牲は、現地の日本軍第32軍が首里(現・那覇市)にあった司令部を沖縄本島南部に移した後に膨らんだ。その決断を下したのが牛島さんの祖父だった。 「首里城地下の司令部壕(ごう)で牛島満は南部撤退を決裁しました」。6月19日夜、那覇市での勉強会で、牛島さんは会ったことのない祖父の名を挙げた。沖縄戦で第32軍を率いた牛島満司令官。2019年の首里城焼失後、司令部壕跡の存在が改めて注目され、沖縄県が
米連邦準備制度理事会(FRB)は5日の連邦公開市場委員会(FOMC)で、ゼロ金利政策と、米国債などを大量購入して市場にお金を流す「量的緩和」の据え置きを決定した。会合後の声明文では、ゼロ金利を「完全雇用に達し、物価上昇率が2%を緩やかに超える軌道に乗るまで継続する」として、新型コロナウイルス感染拡大で悪化した…
地域住民に愛される「味蔵コロナ食堂」3代目の須藤仁志さん=長野県佐久市臼田城下で2020年5月19日午後8時56分、坂根真理撮影 地域住民から「コロナさん」の愛称で親しまれている老舗の食堂「味蔵コロナ食堂」(長野県佐久市臼田)が、新型コロナウイルスの感染者が増えてきた3月ごろから嫌がらせに苦しんでいる。無言電話がかかってくるようになり、インターネット上に心ない書き込みが増加。3代目店主の須藤仁志さん(42)は「新型コロナと店名は全く関係ない。耐えるしかない」と唇をかむ。【坂根真理】 旧日本軍で炊事を担当していた祖父が、「子どもたちが甘いものに飢えているだろう」と、1944年に甘味処(どころ)「コロナ」を創業した。太陽の表面を覆うガスの層「コロナ」が店名の由来という。事業を継いだ2代目の父が食堂にシフト。店名を「味蔵コロナ食堂」に改め、70年以上、おなかをすかせてやって来る人たちの胃袋や心を
【ジュネーブ三木幸治】日本政府が国連総会第1委員会(軍縮)に12日に提出する核兵器全廃を目指す決議案に対して、核兵器禁止条約に署名した複数の国々が反対票を投じる意向であることが、関係者の話で分かった。決議案は核兵器禁止条約に触れておらず、核廃絶に関する文言も昨年より弱まっているとして、こうした国々は「日本が(核兵器禁止条約に反対する)米国の圧力を受け、内容を変更した可能性が高い」と非難しているという。 核兵器全廃を目指す決議案は日本が1994年から毎年提出し、採択されている。昨年12月の国連総会では加盟193カ国中、167カ国が賛成。一方、今年7月に国連総会で採択された核兵器禁止条約については、米国など核保有国と「核の傘」の下にある日本や北大西洋条約機構(NATO)諸国などが反対した。条約制定に貢献した国際NGOネットワーク「ICAN」のノーベル平和賞受賞決定への反応も割れるなど、条約賛成
戊辰戦争後に会津藩士が埋葬されていたことを記した資料=福島県会津若松市で2017年10月2日、湯浅聖一撮影 幕末の戊辰(ぼしん)戦争(1868年)で戦死した会津藩士のうち少なくとも567人が、藩の降伏から10日ほど後に埋葬され始めたとする史料が福島県会津若松市で見つかった。同市在住の歴史研究家、野口信一さん(68)が2日、市役所で記者会見し発表した。これまでは新政府軍が遺体の埋葬を許さなかったとされてきたものの、史料には埋葬の場所や経費などが詳細に記されており、野口さんは「埋葬を裏付ける貴重な史料だ」と話している。【湯浅聖一】 史料は「戦死屍(せんしかばね)取仕末金銭(とりしまつきんせん)入用帳(にゅうようちょう)」。会津藩で要職を務めた藤沢内蔵丞(くらのじょう)の子孫が、1981年に若松城天守閣博物館へ寄贈した史料174点の一つ。野口さんが昨年12月、市史史料目録の編さん準備をしていた時
7日採択の核兵器禁止条約の全文は次の通り。 【前文】 本条約の締約国は、国連憲章の目的と原則の実現に貢献することを決意。 核兵器の使用によって引き起こされる破局的な人道上の結末を深く懸念し、そのような兵器全廃の重大な必要性を認識、全廃こそがいかなる状況においても核兵器が二度と使われないことを保証する唯一の方法である。 偶発や誤算あるいは意図に基づく核兵器の爆発を含め、核兵器が存在し続けることで生じる危険性に留意。こ… この記事は有料記事です。 残り6990文字(全文7200文字)
新潟労基署が方針 遺族「残業最多で月251時間」 2016年1月、新潟市民病院(新潟市中央区)の女性研修医(当時37歳)が自殺したのは過労が原因だったとして、新潟労働基準監督署は31日、労災認定する方針を決めた。遺族に対しても、方針を通知している。【柳沢亮】 亡くなった研修医は木元文(あや)さん。看護助手をしながら医師を目指して勉強を続け、2007年、新潟大医学部に合格。卒業後の13年から研修医となったが、15年4月に後期研修医として同病院に移ると、救急患者対応の呼び出し勤務が激増。16年1月24日夜、行き先を告げず一人で自宅を出たまま行方不明になり、翌朝、家族が自宅近くの公園で遺体を発見した。 新潟県警によると、死因は低体温症で、遺体のそばには睡眠薬と飲み終えた酒が落ちていた。自殺前、家族に「人に会いたくない」と漏らしていたといい、県警は自殺と判断している。
象徴としてのお務めについての天皇陛下のお言葉 全文 戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社
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