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マヤ電気に関するbinarystarのブックマーク (3)

  • アキバ買い物考2008 - デッドボール軒

    WD買いにいったらロケットの店舗跡が屋台駐車場になってた。 ツクモもLAOXもアレだしちょっとさみしくなったので今年初だというのにチラ裏する。 あ、でも単なる懐古話だしネタ耐性がない人はgo(-1)推奨。 アキバってのは元々吉野家コピペより殺伐としてた もはや亡きヒロセとかまだ生き残ってる某所とかが、今はイタ車専用席になってるガード下で普通に在庫のたらい回し交渉してた。 軽く闇市。 マヤ電機はそこでも嫌われ者だった。 俺達はそこにシビレたあこがれた。 現金と気合。漢の価格交渉にゃ他店情報は不要 店員が余裕ある午前中に戦いを挑むのは当然の礼儀。 ターゲットはいつものフロア主任。 だいたいカウンターの奥にいるのは、シロートお断りの意思表示。 名指しで呼んでもらって「今日はどしたの?」の挨拶がゴング。 「他店で買う」なんてこっちは口が裂けたって言わない。 冷蔵庫だろうがPCだろうがお前に全部任せ

  • マヤ電機をふと思い出した – Monoblogue of a security engineer

    自宅のPCで利用しているPCケースのメーカーであるAntecの秋葉原ショールームが閉店されるというニュースを見ました。その理由が何とも世相を反映していて、昔の秋葉原を知る自分としては時代が変わったなぁと思わされました。 閉店理由について、同社広報担当者は 「とても寂しいことだが、一つには秋葉原のPCパーツ離れがある。秋葉原に来てPCパーツを購入するより、ネット通販で購入するユーザーの割合が高くなったと感じている」 と語ったそうですが、確かにその通りで、私もそうなってしまいました。仕事をしていると、なかなか秋葉原まで足を延ばす時間がありませんし…壊れた時に一式丸ごと買いに行くとき位になってしまいました。 私がPCを初めて秋葉原で勝ったのは1996年の5月頃で、入社直後でした。 当時は車内はまだ富士通のオアシスが幅を利かせていてパソコンは皆無、新入社員の中にはPCを使える人もぼちぼちいた、とい

    マヤ電機をふと思い出した – Monoblogue of a security engineer
  • 秋葉原~神田(1)

    私が子どものころの秋葉原は、電子部品の町だった。伯父に小遣いをもらって、よくお使いに行ったものだ。伯父は、自分一人で白黒テレビを組み立ててしまう人だった。私は迷路のような通路を通って部品屋に行き、メモを店員に渡して、真空管やらコンデンサーやら抵抗やらを買って帰ったのである。 はじめて総武線で秋葉原駅に着いたときは、電気街に向かう出口がわからずに、30分以上も構内をぐるぐるまわったっけ。 当時の秋葉原駅前には神田青果市場があって、山手線・京浜東北線のホームからも、その屋根が見えたものだった。駅西側の市場跡は秋葉原クロスフィールドになり、東側の倉庫街は広場とヨドバシカメラに姿を変えた。 今回の写真は、そんな秋葉原駅前から万世橋、神田須田町を通って神田駅あたりを撮ったものである。このあたりは、牛込地区と同様に、昔の町名が残っていてうれしい。町の姿はまるで変わってしまっても、町名が残ることで歴史

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