橋下徹大阪市長が、大阪府と大阪市の二重行政解消を目指して提唱した「大阪都構想」の住民投票が、5月17日に迫る。都市の姿はどうあるべきか。大大阪の時代を振り返り、未来への道標を探ります。 今からちょうど90年前の1925(大正14)年4月、大阪市は当時の東成、西成両郡の計44町村を編入し、人口211万人、面積181平方キロに拡大。人口、面積ともに当時の東京市を抜いて日本最大の都市となった。「大大阪(だいおおさか)」の始まりだ。 人口はニューヨーク、ロンドン、ベルリン、シカゴ、パリに次ぐ世界6位を公称。25年を中心に、大正初めから商工業都市として発展した戦前までの30年弱は「大大阪時代」ともいわれる。 当時の大阪市長は第7代の関一(せきはじめ)。御堂筋に代表される道路網のほか、港湾、橋梁(きょうりょう)、上下水道、地下鉄などを整備し、現在の市の基盤をつくった。 教育や文化にも力を入れた。日…