「まるで階段ピラミッド」。奈良県明日香村の都塚古墳(6世紀後半ごろ)が5段以上の階段状に築かれた一辺40メートル超の大型方墳と分かり、専門家から驚きの声が上がった。飛鳥時代(7世紀)が幕を開ける直前の6世紀後半、一体誰が、何のためにこのような前代未聞の古墳を造ったのか。3人の大王(天皇)の外祖父となった蘇我稲目(いなめ)(?〜570年)らを巡って被葬者論が熱を帯びている。 【ピラミッド形の大型方墳 蘇我稲目の墓か】 元旦に金の鳥が鳴くという「金鳥塚」の異名を持つ都塚古墳。巨大な石室の中に豪華な家形石棺があることは分かっていたが、一辺30メートル程度で、段差はあっても3段とみられていた。発掘調査している明日香村教委の西光慎治・文化財課調整員は「墳丘をできるだけ高く築くために、急傾斜になっても崩れないよう階段構造にしたのではないか」と推測する。 都塚古墳があるのは、飛鳥の中心部から南東に飛