失礼ながら「ガキ大将」、"偉大な"と形容詞をつけたくなる「ガキ大将」だと思われてならない。 なんと言っても1948年、のちの日本オリンピック委員会(JOC)会長、古橋廣之進を「戦後日本のヒーロー」に押し上げた全日本水上選手権開催である。 名称を大日本水上競技連盟から日本水泳連盟に変更、理事長、やがて会長となる田畑政治は怒りで顔を真っ赤にしていた。 「なんでダメなんだ。政治とスポーツは別ではないのか」 怒りには理由があった。 第2次世界大戦終了後、初めてのオリンピックは1948年第14回大会としてロンドンで開かれる。水連のトップとして、また日本体育協会常務理事として、参加を求めて先頭に立っていた。 戦後間もない1948年。世界は疲弊していた。積極的に開催に名乗りをあげる都市はなく、ようやく「近代スポーツ発祥の地」の面目にかけてロンドンが手をあげた。英国もまた物がなく、スウェーデンが施設の木材