ブックマーク / bungeishi.cocolog-nifty.com (19)

  • 躁と喪 - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「急に熱がでて寝込んでおりました!」 司会者「去年も今頃、カゼひいて寝込んでなかった?」 kenzee「ウン、去年同様、会社早退して医者行って薬もらって家でチャゲアス聴きながら安静にしてたんだ」 司会者「カゼの時はチャゲアスと決めてるんだろ」 kenzee「急に熱が8度ぐらいでたもんでコリャインフルエンザか! なんて思って。したらタダのカゼだったんだけど。でも医者が言うには「もしかしたら」的なこともありますんで一応タミフル処方しときますね、なんて言われて生まれて初めてタミフル飲んだ。 司会者「コレがタミフルかあ」 kenzee「朝夕一錠ということでコレとその他のカゼの薬飲んで一晩寝たら熱がスーッとひいててさ。やっぱ医者の薬はエライね。バファリンだとこうはいかないですよ。で、一応会社には行ったんです。でも、もしかしたらぶり返すかも、とか戦々恐々だったんですけど、やたら快調で一日終

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  • 気まぐれシェフの木こり風パスタへの道程(みち)(ショッピングモーライゼーションの源流としてのあさま山荘Part.4) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「これが……オレの…モータリゼーション…ってヤツ?」 司会者「カブやんけ」 司会者「ファミマの駐車場やんけ! スゴイ情けない郊外の風景だなあ」 kenzee「こんな郊外の風景がオマエタチのお好みなんだろう? 素直になれよ」 司会者「48,000キロも走ってるね。これがキミのモータリゼーション?」 kenzee「コレなかったら生活できません。歩いていけるところにはローソンが一軒あるだけなんですよ。スーパーもユニクロもマクドも王将もツタヤもみんなこのモータリゼーションなしには行けないところにあります」 司会者「モータリゼーションって言うな!」 kenzee「週末はコレでスーパー銭湯行ってイオン行って買い物してイオンの中のビレヴァンで立ち読みしてジョーシンで家電チェックしてフードコートでたらふくって家に帰るのが幸せな過ごし方」 司会者「包摂されてるなあ、郊外的環境に」 kenzee

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  • ディズニー的想像力、ペンション的想像力(ショッピングモーライゼーションの源流としてのあさま山荘Part.3) - kenzee観光第二レジャービル

    ディズニー的想像力、ペンション的想像力(ショッピングモーライゼーションの源流としてのあさま山荘Part.3) 司会者「で、キミは神ではなかったワケだが」 kenzee「金土日三連休のオレをナメるな。前回の免許の話の続きからいこう。あさま山荘のメンバー5人の内、2人の兵士(加藤兄弟、当時二人とも10代)以外の三人は中央委員という指導部であった。このとき、リーダーの坂口弘が25歳、坂東國男25歳、吉野雅邦23歳であった。この3人ともクルマの免許を所持していなかったのだが、坂東も吉野も実はボンボンなのだ。坂東は京都の旅館の息子で、その建物「坂東旅館」は今も現存している。吉野の父親は三菱地所の重役であった。父親が東大卒だったので彼も東大を目指したが、東大受験には失敗し、横浜国立大に進学した。そこで横国大が拠点であった革命左派に入り、運動にのめりこむことになる。つまり、世が世なら彼は相当な社会的地位

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  • 無免でのりまわしちゃいなYO!(ショッピングモーライゼーションの源流としてのあさま山荘Part.2) - kenzee観光第二レジャービル

    司会者「棚の画像が好評のようですよ」 kenzee「そんなんで良かったらもう一丁いきますか」 司会者「小熊英二の1968上下巻の存在感たるや」 kenzee「こういうのは逆に電子書籍化しちゃダメだよね。ところでさっそく指摘がありました。北じゃなくて南軽井沢だボケ!と。確かに彼らが迷い込んだのは南軽井沢郊外のレイクニュータウンである。当時軽井沢一帯を開発していたのは西武系の資だったがこの別荘地は地元資によって開発された地域だ。60年代の後半から開発されたその地域は高度成長期のサラリーマンの所得の変化を見込んで「サラリーマンでも買える別荘」というフレコミで売り出していた。そしてその地域は坂口らの所持していた地図には載っていない新しい別荘地だった。坂口たちは籠沢の洞窟が危険なことを知り、妙義山系からの脱出を試みる。籠沢から標高1104メートルの頂上に出、そこから尾根つたいに標高1162メー

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  • モータリゼーション・郊外・逃走(ショッピングモーライゼーションの源流としてのあさま山荘) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「エートもう2月も半ばです」 司会者「エライまたサボったねえ。もうみんなあきらめてるけども」 kenzee「2月といえば節分・豆まきと連合赤軍事件です」 司会者「バレンタインとか他いろいろあるだろう! なんでまっ先に連合赤軍なんだよう」 kenzee「ちょうど一年前ぐらいに急に思い立って連合赤軍事件について調べ始めたのです。とりあえずアマゾンでスッと手に入る資料は一通りゲットしました」 司会者「いっぱいでてるんだなあ」 kenzee「これと山直樹の「レッド」とか小熊英二の「1968」の下巻の連合赤軍の話とか。あと若松孝二の映画「実録・連合赤軍」とそのパンフレット。そういうものをヒマさえあればパラパラ読んでたんですよ。もう寝ても覚めてもリンチ、リンチですよ」 司会者「イヤな人生だなあ」 kenzee「実際にはリンチばっかりじゃないんだけどね。ストとか爆弾作りとか銀行強盗とかとか

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  • オレってブロガーちゃんだからやっぱ都内の抜け道完璧じゃん(前回の続き) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「古市さんのピースボートのがアマゾン品切れってどゆことコレ!?」 司会者「2480円とかマケプレで付けてる業者ってなんなの?(11月8日時点)」 kenzee「そんなに面白いかなあ」 司会者「イヤ、面白いから取り上げたんでしょ!」 kenzee「新書の中古なんて普通、定価下回るのが普通なんだけどなあ。ところでライブドアのブログでヘンなのが始まったんですよ sweet 90 blues 司会者「コレ、個人のブログじゃなくてライブドアがオフィシャルにやってるブログなんですね」 kenzee「ライブドアのプレスリリースによるとこうだ。 2010年11月5日 ライブドア、90年代カルチャー回顧ブログメディア「sweet 90 blues~懐かしさと恥ずかしさと心強さと~」をオープン。~は21世紀に語り継ぎたい90年代のカユさ・豊かさ・カッコよさをコンセプトに、20年近くが経過して再

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  • 「非」承認の共同体へ(古市憲寿「希望難民ご一行様-ピースボートと「承認の共同体」幻想」(光文社新書) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「浜崎の話の途中ですが、とても興味深いを読んだので紹介したいと思います。 古市憲寿「希望難民ご一行様-ピースボートと「承認の共同体」幻想」(光文社新書) 三浦展・柳内圭雄「女はなぜキャバクラ嬢になりたいのか?「承認されたい自分」の時代」(光文社新書) 希望難民ご一行様はピースボート、よく街角にベタベタ貼られている「世界一周、99万円」「地球一周の船旅148万円」といったポスターのアレ、あのピースボートに著者自らが乗り込み、取材した労作だ」 司会者「そのポスター、は津村記久子の芥川賞受賞作「ポトスライムの舟」にも登場しましたよね。 長瀬由紀子はパイプ椅子の背もたれに手をかけ、背後の掲示板を見上げたままだった。(中略)さるNGOが主催する世界一周のクルージングと、軽うつ病患者の相互扶助を呼びかけるポスターだった。右のポスターには「世界を見よう、世界と話そう、語り合おう」、左側のも

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    bokosu
    bokosu 2010/11/04
  • Life is Comin' Back in 京都 - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「先日、こんなイベントに行ってまいりました」 Life in 京都 地方→ジモト・若者文化のいま・むかし・これから 出演・鈴木謙介(関西学院大学准教授、Lifeパーソナリティ) 辻大介(大阪大学准教授) 難波功士(関西学院大学教授) 仲俣暁生(編集者・Lifeサブパーソナリティ) 速水健朗(ライター、Lifeサブパーソナリティ) 司会者「アナタのような出不精が京都まででかけていったんですか!」 kenzee「ボク奈良県民で京都なんて近鉄電車で一時間ちょっとの距離なんだけど考えたら京都に行ったの10年ぶりぐらいだったわ。場所は京都リサーチパーク町家スタジオという昔の古民家がそのままスタジオになっているというスゴイとこでした。出演者の皆さんが土間、観客は座敷で座布団に座って、という珍しい感じだったです。で、これ完全地元の学生さんたちの企画で、「Lifeを京都に呼ぼう」という熱意で半

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  • 未来の音楽、新しい音楽(佐々木寛太郎さんへの返答Vol.3) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「えーっと前の話の続きなんだけど……」 司会者「前って何ヶ月前だよ!」 kenzee教授「キミは根気がないんだよ。結局、書くって行為はスポーツと一緒でコツコツ続けないと書き方も忘れちゃいますからね」 司会者「せっかく佐々木さんとの議論も盛り上がりかけてたのに」 kenzee「イヤアノ違うんですよ。佐々木さんの議論はイアン・コンドリーの議論を基、踏襲するもので「現場」と呼ばれるメジャー、インディーズひっくるめた日のヒップホップシーンの創作、批評の関係また表現者、受容者の関係が現代の批評を考えるうえで重要な装置だと主張する。私は佐々木さんのこの理解は大前提としてOKなんです。個々のアーティストへの評価は別にしてね。日のヒップホップシーンが生成した「現場」は60年代以降の日のロック、フォークの歴史を振り返っても独特の磁場を形成しているのは事実だ。おそらく「現場」を従来の、70

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  • J-POP論 外伝 - kenzee観光第二レジャービル

    司会者「サア、やっとJ-POP論も一段落したのでやっと文芸誌の話ができますね。ナニナニ、今月の群像は「戦後文学を読む」。コリャ、ウチ的にもぜひ絡みたい企画ですよ! kenzeeさんは戦後の作家だとどの辺が好きなんですか?」 kenzee「やっぱ第三の新人かなって違うんだよバカ。前回のエントリーが大変なことになった。一日で10,000アクセスを越えてしまったのだ。一体今までの苦労はなんだったんだ。kenzee賞とか。アレ実はスゴイ大変な労力を伴う企画なんだぞ」 司会者「プッ。kenzeeもいよいよアルファブロガーってヤツですかい? ヨッ、ネット界の有名人!」 kenzee「前回のエントリーってこのブログの歴史からみたらかなり異色な回なんですよ。普段は一応文芸評論とかやっててですね、来なら今の時期、芥川賞とかにチャチャ入れてる時期なんですよ」 司会者「そういや磯崎さんにはなにもメッセージなし

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  • ゼロ年代、製作現場ではなにがおこっていたか?(J-POP論最終回): 文芸誌をナナメに読むブログ(書評)

    司会者「で、中田ヤスタカサウンドがホントにスカスカなのかの検証に入っていきたいんですけども」 kenzee「例の座談会でどういう流れで三輪祐也氏のスカスカ発言が登場したか。まず90年代のDJ文化以降、ロキノン型の「ロックという物語」の批評は無効となった。代わりにキャラクターベースの自分語りが台頭している、と。それが現在のPerfume、相対性理論の消費に繋がっていると。だが、実際のPerfumeの受容のされ方とは30代、40代のオッサン連中、つまり団塊ジュニアのありがちな「あえてベタに」って回路であって世間で話題になってるほど若者は飛びついていない、という宇野さんの指摘がでてくる。で、事実Perfumeのサウンドは従来のアイドルポップのサウンドとは明らかに一線を画す、個性的なものなのでオッサン連中としても「これだけうまく自分を萌えさせる中田の手腕にうなる」とかメタ視線をちらつかせられる」

  • ナゼ我々はMCUをダサイと感じてしまうのか(佐々木寛太郎さんへの返答Part.2) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「イアン・コンドリーの「ヒップホップ・ジャパン」読みました」 司会者「エ? いつものようにクチだけでスルーするかと思われていたのに!」 kenzee「これは力作ですよ! 2800円の価値はあります。日のヒップホップを扱った書物は過去にもイロイロあった。だが、ほとんどはインタビューとカタログでお茶を濁すようなものだった。悪名高き後藤明夫の「Jラップ以前」に始まり、陣野俊史さんのヒップホップ・ジャパンとか。BLAST誌はそういう意味でジャーナリズムの立場から日のシーンを捉えた書物としてはかなりハイレベルだったんだと廃刊してから気付きます。そしてアカデミズムの立場から切り込んだのがこのイアン・コンドリーの大著だ」 司会者「全然評価変わっとるガナ」 kenzee「インタビューとかナシで論考だけでこの分厚さはスゴイです。そしてオレはどうやらイアンの言う「現場」の意味を誤解していたよう

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  • kenzeeさん、アンタァ……Part.5ぐらい?(佐々木寛太郎さんへの回答) - kenzee観光第二レジャービル

    司会者「えーと前のエントリーで引用させていただいた(「東浩紀のゼロアカ道場伝説の文学フリマ決戦」収録の「Xamoschi」掲載の佐々木寛太郎「日のヒップホップ「現場」とジャンル論の関係から)佐々木さんから反論がありました」 kenzee「……」 司会者「ところでアナタ、そもそもこの佐々木論文で紹介されてるイアン・コンドリーの「ヒップホップ・ジャパン」読んだんですか?」 kenzee「モチロン、読んでないヨ」 司会者「なーんで、読みもせんとチョッカイだすかねえ、アナタは。円城さんときにもそんなことがあったでしょ?」 kenzee「でもオレ、このコンドリーとかいう外人の記事、昔BLASTで読んだような希ガス。でねえ、いろんなクラブとかフィールドワークしてたみたいで。で、ウサンくさいなあ、と思った記憶があるんだよね」 司会者「でも、ソレ最初のほうの囲み記事でしょ? 一応単著がでてるんだから読め

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  • レイプ・ファンタジーでもEE JUMP!(自分探しとJ-POP Part.10) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「で、前回の続きなんですけどね。98年問題と渋谷系の問題。童貞→ヤリチンとPerfumeの問題」 司会者「(もうイイカゲン終わろうゼ~。もう半年もJ-POP論引っ張ってるし)」 kenzee「最近、興味深いDVDを観ました。m-floのVERBAL監督作品「DEAD NOISE」2008年作品。「ノイズは死んだのか」と題されたこの作品、ノイズとは90年代の後半に盛り上がりを見せたあの日のヒップホップのことだ。こんなイントロで始まる。 日のヒップホップは90年代、ピークを迎えた。(中略)しかし日のヒップホップは突如、衰退を始めた。CDセールスの落ち込み。ヒップホップ音楽専門誌の廃刊。アーティストのメジャー契約解消。日のヒップホップに何が起こったのだろうか。 こんな問題提起で実際のシーンの当事者たちに監督自らがインタビューを試みる。そのメンツがスゴイ。ZEEBRA、ライムス

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  • 童貞ミュージックとヤリチンミュージック(J-POPと自分探しPart.9) - kenzee観光第二レジャービル

    司会者「速水さんから大変に愛のこもったトラックバックをいただきました」 kenzee「イヤー嬉しいですね。ていうか速水さんて「オレはミスターファスト風土」とか言うワリに都会モンだよね」 司会者「瀧見憲司とか神田朋樹のラブ・パレードにフツーに通っていたとは!」 kenzee「スチャダラのLBまつりの打ち上げなども目撃していたのだろう! イエローにおけるU.F.OのJazzin'、DJ BARインクスティックにおける小林径、荏開津広、田島貴男のミリオン・シークレッツ・オブ・ジャズ、橋徹ののサバービア・パーティーなどにも通っていたに違いない。そしてオレはどれも実際に見たことない」 司会者「プッ。kenzeeって所詮田舎者だからなあ。奈良生まれ渋谷系育ちヒョロそうなヤツは大体友達だからなあ」 kenzee「で、そんな全身小説家ならぬ全身渋谷系の速水さんが「渋谷系はニューヨークの動きとのリンクだ」

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  • ココログガイドとか津村とか嵐とか(日本語ラップと自分探し4) - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「正体不明のkenzeeでーす」 司会者「なんか、ココログガイド(2月12日)で紹介されたみたいですね。この下らないブログが」 kenzee「で、他の紹介されてるヤツ見たら、「絵作家の○○さんのホノボノ日記」みたいなのとか「現役社労士の○○氏が語る、社会保険講座」みたいな紹介のされ方なんだけど、ウチの… 正体不明の kenzee さんが、同名の教授たちとともに、文学や音楽を通して現代社会やサブカルチャーを徹底議論。文芸論壇を読み解くためのサブテキストとしてもどうぞ。 こんな紹介のされ方でした」 司会者「だって、アンタ正体不明だもん。たぶん、あのリード文てプロフィールのトコ見て書くんだろうけどウチのアレじゃ、そりゃそう書かれますよ。アレは意図があるんですか」 kenzee「昔、そうバブル絶頂の1989年、バンドブームがあった。その頃、多分宝島だったと思うけど「決定版!バンド図鑑

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  • 日本語ラップと自分探しその3 - kenzee観光第二レジャービル

    司会者「ラップとか自分探しとか言ってる間に津村記久子が芥川賞獲っちゃいましたよ。津村オシのウチとしてなにかコメントしなくていいんですか?」 kenzee「イヤ、ホントうれしいですよ。津村オールドスクーラーの私としては。「ポトスライムの舟」は奈良が舞台なのね。そして主人公の家に転がり込む友人が後半、アパートを見つけるのだけど、そこが生駒という」 司会者「アナタの住所ですね」 kenzee「柴崎さんの「星のしるし」には石切とかでてくるし。ナニ、この最近の文学における近鉄奈良線の熱さは! しかも「ポトスライム」は奈良のイナタさもちゃんと表現されててリアルだったよ。ホントに奈良市内、いわゆるならまちとか奈良公園とかあの辺の観光地ってサ店か寺しかないですから。確かにカネのかからん街ではあるな。いわゆる歓楽街ってのもないですし」 司会者「全然小説の評価になってませんが」 kenzee「去年の今頃「津村

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  • 日本語ラップと自分探しその2 - kenzee観光第二レジャービル

    司会者「でもアレですよね、kenzeeも結構言うこといきあたりばったりですよね」 kenzee「エ? なんで」 司会者「オレはマルクス主義者とか言った舌の根も乾かぬうちに「酒場で岡林とか歌われたら酒がマズくなるなあ」とか」 kenzee「でもいるんだよ、たま~にそういうオヤジが。「今日の~仕事は辛かった~あとは~焼酎あおるだけ~」って山谷ブルースとかの人が。どうせ仕事がおわりゃお払い箱さ、今じゃ山谷が故郷、でもビルも道路もオレたちがいなきゃ建ちゃしねえ、誰もわかっちゃくれねえか、と」 司会者「確かに盛り下がりますね。山谷ブルースは1969年の曲で高度成長のピークで万博を控えた年のヒットでした。そんな好景気に沸く社会の裏側を歌った歌なんですね」 kenzee「40年たっても社会構造ってあんまり変わってないんだなあ。派遣村は山谷よりヒドイ気がするし。で、「Grateful Days」の続きなん

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  • 日本語ラップと自分探しその1 - kenzee観光第二レジャービル

    前回までのあらすじ(自分探しとJ-POP) kenzee、速水健朗さんの「自分探しがとまらない」を読んで感心する。速水さんの論考は「自分探し」と呼ばれるバブル崩壊以降の若者に特徴的なモラトリアムマインドを社会的な事件やブームから解き明かしたものだ。だが、そこには主に90年代のJ-POPが描いた「自分探し」については触れられていなかった。そこでkenzeeやってみた。そうするとバブル崩壊後の91年あたりから槇原敬之、ミスチル、コムロ系などといったヒットメーカーの歌詞に共通してみられる上昇志向、自己肯定の世界観が浮かび上がってきた。要は、「人生とは迷ったり探したりして見つけ出していくもの」または「人生とは自分との戦い」といった「自己が誇大した思考」に基づいている、と。これはバブル崩壊による経済の信用の失墜とパラレルな関係にある。「経済」という価値観がアテにならない以上、自分の手で物語を発見しな

    日本語ラップと自分探しその1 - kenzee観光第二レジャービル
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