2007/12/14 KY、あるいはピエール瀧、もしくは落合博満 KYと書いて、「空気が読めない」、と、どうやら読むらしい。そのことを、わたしは、つい最近になって、はじめて知った。そして空気が読めない、というその価値評価が、ある種の、蔑称として、今年(?)流行っていたらしい(どこで?、テレビで?)。 むろん空気は読めたほうが良い。しかし空気が読めることだけで、妙に、価値があると、みなされてしまうことには、わたしとしては、受け入れがたい、と、感じている。空気など、読んだうえで、上手にはぐらかしてこそ、意義がある、と、わたしはおもっている。そしてそのはぐらかし方が、高度が高度でないか、巧みか巧みでないか、というところで、創造性を争うべきだ、と、わたしはおもっている。 かつてピエール瀧がそうしていたように(そしてかのビートたけしが、その全盛期において、常にそうしていたように)。やはり空気など