「国益」とか政府案件の首脳会談が条件となるロジックはまだよくわかっていないのだけど、有権者を代表する立場としての議会がこの案件を慎重に扱わなければならないことは当然であり、よく理解できる。テレビで演説を聞くのとは全くその意味が違う。
![菅原 琢 新刊『データ分析読解の技術』重版御礼 on Twitter: "「国益」とか政府案件の首脳会談が条件となるロジックはまだよくわかっていないのだけど、有権者を代表する立場としての議会がこの案件を慎重に扱わなければならないことは当然であり、よく理解できる。テレビで演説を聞くのとは全くその意味が違う。"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/85f0ce047688e9854d94af2bad341f3ab96b4735/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F3639760343%2F8d4adccfcb22b8e1d733c938f4c8b0d6.png)
「国益」とか政府案件の首脳会談が条件となるロジックはまだよくわかっていないのだけど、有権者を代表する立場としての議会がこの案件を慎重に扱わなければならないことは当然であり、よく理解できる。テレビで演説を聞くのとは全くその意味が違う。
21歳、誰よりも速く 「世界GPは別世界だった」と語る高橋さん 「国さん」-。大勢のファンや後輩レーサーからもそうやって慕われる元プロレーシングドライバー高橋国光さんは、70歳にしてレーシングチーム「TEAM KUNIMITSU」の監督を務める。2輪世界選手権ロードレースで1961年、当時の西ドイツGPの250ccクラスで日本人として初めて優勝、その後4輪に転向し、59歳まで走り続けた。そんな高橋さんに現役時代の思い出などを聞いた。 「時計のように精密」と呼ばれたホンダエンジンを積んだワークスマシンRC162を駆り、高橋さんは西ドイツ・ホッケンハイムサーキットを誰よりも速く駆け抜け、メーンポールに日の丸をはためかせた。世界GP参戦2年目、まだ21歳だった。 高橋国光さんが乗るホンダRC162 =1961年(ホンダ提供) 「本当に昨日のことのように覚えてます。でも、その時はきょとんとしていた
高橋さんは二輪のライダーとしてモータースポーツのキャリアをスタートし、ホンダのワークスライダーとしてロードレース世界選手権に参戦。1961年の西ドイツGPでは、250ccクラスで日本人初となる優勝を手にした。 その後レース中の怪我により、四輪レースに転向。日産のワークスドライバーを務め、R380やR381などを走らせて活躍。GTRの通算50勝にも貢献した。その他、フォーミュラカーのレース等での活躍も光り、1977年のF1日本GPにスポット参戦。9位完走を果たしている。 1990年代にはチーム国光を設立。様々なカテゴリーで活躍し、1995年にはホンダNSXでル・マン24時間レースのGT2クラス優勝を手にした。その後1999年まで現役ドライバーとして参戦。引退を決めたのは59歳の時だった。 引退後は監督としてチーム国光を率い、近年までサーキットに顔を出していた。ホンダによれば、高橋さんは3月1
高橋氏は、1960年にHondaへワークスライダーとして加入し、同年に二輪世界グランプリでデビュー、翌年の西ドイツグランプリで初優勝を遂げました。この勝利はHondaにとって世界グランプリ250ccクラスでの初優勝となり、二輪・四輪双方の世界選手権において日本人初の快挙となりました。 その後、四輪レースに転向した高橋氏は国内のさまざまなカテゴリーで活躍し、1977年のF1日本グランプリではスポット参戦を果たし、9位完走という結果を残しました。 1995年には初代NSXをベースにしたマシンで参戦したル・マン24時間レースのGT2クラスで土屋圭市氏・飯田章氏とのトリオで優勝。1999年まで第一線のレーサーとしての活動を続けました。 2000年からは自身が率いる「チーム国光」の監督としての活動に専念し、国内のGTカテゴリーのレースに歴代のNSX-GTやHSV-010 GTで参戦。2018年と20
第二次世界大戦中のヨーロッパ。1941年6月22日早暁、東ヨーロッパで史上最大の軍事作戦が始まった。ドイツ軍300万がソ連に侵攻した、いわゆる〈バルバロッサ作戦〉だ。その日からドイツの敗退まで4年、そしてその間にソ連の2000万の命が失われた。 スターリンはなぜ、この急襲にそれほど無防備だったのか。あらゆる情報網を通して十分な情報を得ていながら、なぜすべての忠告を無視したのか。なぜ最後の瞬間まで、ヒトラーに石油、穀物、軍事物資を供給しつづけたのか。理由は、1939年8月23日に2人の独裁者が電撃的に結んだ独ソ不可侵条約にあった。 この〈悪魔の契約〉に賭けた両者の思惑は何だったのか。本書は、BBCのドキュメンタリー制作者2人の手になる迫真のドキュメントであり、膨大な資料をもとにその背景を探り、全容の解明にはじめて挑んだ第一級の歴史読み物。 「条約締結からの22か月間を、多くの国家を駒に見立て
第二次世界大戦で最大の激闘、スターリングラード攻防戦を舞台に、物理学者一家をめぐって展開する叙事詩的歴史小説(全三部)。兵士・科学者・農民・捕虜・聖職者・革命家などの架空… 人生と運命(1~3) [著]ワシーリー・グロスマン まず喝采したい。20世紀文学という巨大な山脈の最高峰の一つがついに翻訳されたのだから! これは、第2次世界大戦の趨勢(すうせい)を決したスターリングラードの攻防を背景に、独ソ戦によって運命を翻弄(ほんろう)される人々の愛、希望、苦悩、絶望を、その生と死を、精緻(せいち)にかつ力強く描いた壮大な小説である。実在した人物を含め膨大な数の人物たちが登場するが、彼女ら・彼らの生きる個々の逸話はそれだけで独立した長篇(ちょうへん)小説となりそうなほど波乱に富んでいる。物語を読むことの醍醐味(だいごみ)がここにはある。読者は、シャーポシニコフ一家の長女リュドミーラが負傷した息子を
ロシア経済は疲弊し、通貨ルーブルは暴落、国債はジャンク級(投機的格付け) に格下げされた。次に予想されるデフォルト(債務不履行)が現実になれば、投資家は巨額の損失を被り、ロシアも資本調達市場からほぼ締め出されることになりかねない。 ロシアのドル建て国債2本の合計1億1700万ドル(約138億円)の利払い期日が16日に到来する。政府の支払い手続きが開始されるはずだが、警告灯が点滅しており、ロシア軍のウクライナ侵攻以降、投資価値の急落を目の当たりにした債券保有者に重大局面が訪れる。 ロシア政府は全ての債務を履行するが、制裁のためドルで決済できなければルーブルで支払うという。 利払い不能、あるいはルーブル払いになれば、国債だけでなく、天然ガス独占企業ガスプロムや石油会社ルクオイル、国内最大手行ズベルバンクの社債も巻き込み、外貨建て債務(総額約1500億ドル=約17兆7500億円相当)の連鎖的デフ
<戦争への関心は強いが米軍の直接関与には反対、その姿勢では民主党、共和党の支持者間で大きな差はない> ウクライナ戦争が勃発して2週間が経過しました。この間、アメリカでは、同じ自由陣営ということからウクライナへの共感が高まっており、反対にロシアのイメージは最悪になっています。まずこの点については「ブレ」がありません。その一方で、NATOが戦争に巻き込まれるのを警戒し、ウクライナへの支援は「間接的に」行うというバイデン政権の姿勢は支持されています。こちらも「ブレ」はありません。 こうしたアメリカ世論の現状は、複数の世論調査の結果が示しています。 まず、「ニューヨーク・タイムス(電子版)」が3月12日に配信した記事『アメリカの有権者は、今や、ウクライナをフランス、ドイツ、日本と同等の好感度で見ている』というネイト・コーン氏の記事では、オンライン世論調査機関の「ユーガブ」が継続的に調査している「国
ロシア、欧州評議会脱退を通告 人権条約からも離脱 2022年03月16日09時57分 【パリ時事】人権問題などについて協議する欧州評議会は15日、ロシア外務省から脱退通告を受けたと発表した。AFP通信によると、脱退が決定すれば、ロシアは欧州評議会が制定した欧州人権条約からも離脱。ロシア国民は欧州人権裁判所にロシアの人権侵害を訴えることができなくなる。 ロシアが生物・化学兵器使用も 米、「偽旗作戦」警戒 欧州評議会は声明で、ロシアのウクライナ侵攻を受け、「(加盟各国議会議員で構成される諮問機関の)議員会議は満場一致で、ロシアはもはや加盟国であるべきではないと見なした」と指摘。16日に加盟各国外相で構成される閣僚委員会の臨時会合を開催すると明らかにした。 国際 コメントをする
ウクライナ侵攻に従軍し、亡くなったロシア兵の棺がほかの兵士らによって運ばれた=3月5日、ロシア・ブリヤート、ロイター 「徴兵された兵士たちは(ウクライナでの)軍事行動に参加していないし、これからも参加することはないと強調しておきます」 国際女性デーの3月8日、プーチン大統領は女性たちへの恒例の祝辞でこう断言した。これより前、ウクライナ侵攻に徴兵された若者たちが派遣されているとの指摘があり、そうした批判をかわす意図があったとみられる。 大統領は、派兵されるのはプロの将兵である契約兵のみだと述べた。一方、徴兵された兵士は徴集兵と呼ばれ、入隊後、約4か月しか訓練を受けず、本格的な作戦は難しいからだ。 国際女性デーの3月8日、祝辞を述べるロシアのプーチン大統領。この中でウクライナ侵攻に徴集兵を派遣していないと断言していた=モスクワ、ロイター ところがこの翌日、ロシア国防省の報道官は派遣部隊に徴兵さ
この項目では、1587年に豊臣秀吉が出したものについて説明しています。1613年に江戸幕府によって出されたものについては「禁教令」をご覧ください。 秀吉のバテレン追放令 (吉利支丹伴天連追放令)。 バテレン追放令(バテレンついほうれい・伴天連追放令)は、1587年7月24日(天正15年6月19日)に豊臣秀吉が筑前箱崎(現・福岡県福岡市東区)において発令したキリスト教宣教と南蛮貿易に関する禁制文書。バテレンとは、ポルトガル語で「神父」の意味のpadreにし、英語のfatherとともに、「父親」を意味する印欧祖語に由来する。 原本は『松浦家文書』にあり、長崎県平戸市の松浦史料博物館に所蔵されている。通常、「バテレン追放令」と呼ばれる文書はこの『松浦家文書』に収められた6月19日付の五か条の文書(以下便宜的に「追放令」と記す)を指すが、1933年(昭和8年)に伊勢神宮の神宮文庫から発見された『御
概要室町時代後期から江戸時代初期にかけて活躍した戦国武将・大名。 細川藤孝(幽斎)の長男。 足利義輝の命で奥州細川家の細川輝経に養子に入ったとされる。 通称は与一郎。官途名は越中守など、長岡忠興とも。 利休七哲や武断派、七将の一人。 生涯足利義昭と織田信長が対立すると、忠興は父・藤孝と共に信長に従い、信長の嫡男・織田信忠に仕えた。 室町幕府滅亡後、父が山城西部の長岡の知行を許され、これを機に父ともども長岡に改姓し長岡忠興と名乗る。 1577年、15歳で信長の雑賀攻めに加わり初陣。松永久秀が謀反を起こすと、久秀についた片岡城を明智光秀と共に落とし、信長から評価される。 1579年、一色義道を滅ぼす。また、主君・信長に命じられ、明智光秀の三女・玉(珠とも。後の細川ガラシャ。以下玉)と結婚。 1582年の本能寺の変に際して信長・信忠父子が横死すると、光秀から味方に誘われるが父・藤孝は剃髪して幽斎
ロシアの軍事行動によって大変なことが起こっている。とはいえ戦地は8000kmも先。人種も言語も文化圏も違い、どこか遠い場所の出来事のように感じられる側面もある。 ところが、日本からロシアのウラジオストクまでのフライト時間はわずか2時間半。東京から沖縄までよりも近い、まぎれもない隣国なのだ。 筆者は10年以上前にウラジオストクを旅行した。当時は楽しく観光したし、個人的に市井の人々に悪感情があるわけではない。けれどいま考えると、苦く思い出されるエピソードがたくさんある。 ・ウラジオストクという街 基本的には、ウラジオストクは風光明媚な港湾都市だ。石畳の歩道や赤レンガの建物が美しく、「日本から一番近いヨーロッパ」などとも呼ばれている。ノスタルジックな駅舎はシベリア鉄道の発着地でもある。 東洋と西洋が混ざり合い、どこの国にも見えない無国籍な雰囲気から映画『ホテル ビーナス』のロケ地にもなった。 し
著名な米政治学者のフランシス・フクヤマ氏(スタンフォード大学上級研究員)は11日、ウクライナでの戦いについて幾つかの興味深い指摘を行なっている。 参考:Preparing for Defeat 米国やNATOが支援するウクライナに負ければ終わりのプーチン大統領、ロシアは敗北の準備に入った予想するフランシス・フクヤマ氏著名な米政治学者のフランシス・フクヤマ氏(スタンフォード大学上級研究員)は11日、自身も編集メンバーとして参加しているAMERICAN PURPOSEに「敗北の準備」という記事を寄稿、その中でウクライナの戦いについて幾つかの興味深い指摘を行なっている。 1:ウクライナの戦いは「ロシア完敗」で終わる 侵攻すればウクライナ人は直ぐに降参するという認識の下で開始されたウクライナの戦いは「ロシア完敗」に向かって進行しており、占領した都市でのパレードに動員するため連れて行った兵士は余分な
この記事の後半でも述べられていますが、Assad政権がウクライナへ大量の“義勇兵”を送り込むことは考えにくいと思われます。現状、最前線に露土の部隊がどっかり腰を据えてるからこそシリアの和平は辛うじて保たれているわけで。… https://t.co/LKqVBwaYjh
当方、いない歴=年齢の童貞非モテアラサー。 上京を機に周囲の人間関係を完全に断ち切ってしまったので、まず同性の友達すら居なくてはお話にならんな、と思い立った。 趣味の集まりや行きつけの飲み屋、同僚間の飲み会などにこまめに顔を出し、その中で趣味や波長の合う数名とLINE交換して友達になった。 月に数回以上は飲んだり、趣味の場に一緒に出かけたりする仲になって、正直彼女居なくてもこれくらいの関係性の友達が何人か居れば十分かもなと感じ始めてた。 もう女関係は諦めて、いっそ趣味に振り切って生きて、野郎同士シェアハウスでハイボール片手にゲラゲラ笑い合って、おっさんになっていくのも楽しそうじゃない。 でも結局その友達もなんやかんやで徐々に同棲・結婚し始め、彼女や妻・子供優先で郊外に引越したりし始めてしまって、会える回数は自然と減りつつある。 そらそうだよな、家族や恋人の方が大事に決まってるよ。経験が無い
まさにこれにつきます。日本では安全保障論、軍事研究、戦争研究が「悪」として避けられてきました。だが村野さんのようにそれに精通していなければ、現在目の前で行われている戦争の意味も、本質も、今後の展開も理解できないのではないか。それは戦後の日本の平和教育の最大の盲点であったのでは。 https://t.co/5KLV8Fosxe— Yuichi Hosoya 細谷雄一 (@Yuichi_Hosoya) March 14, 2022 そして、今テレビなどのメディアでご活躍される鶴岡路人さんはロンドン大学キングスカレッジ戦争学部という最高の名門で博士号、東野篤子さん、小谷哲男さん、合六強さんは平和・安全保障研究所安全保障奨学プログラム修了と、正規の日本の大学以外で安保研究を行ってきた「隠れキリシタン」。— Yuichi Hosoya 細谷雄一 (@Yuichi_Hosoya) 2022年3月14日
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