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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (82)

  • 凍雲篩雪 - jun-jun1965の日記

    史ブームと保守 誌は来年三月で休刊になるというので、この連載もあと五ヶ月で終わることになる。別段それにあわせて何かを書くということにはなりそうもない。 一、井上章一と郷和人の対談『日史のミカタ』(祥伝社新書)を読んだ。呉座勇一の『応仁の乱』以来、新書の歴史ものブームが続いている感じだ。私は井上とは面識があるし、郷とは今日まで会う機会はないがメールはしていたことがある。郷といえば中世史特に鎌倉期が専門で、何かというと「権門体制論」がどうとか言う人である。鎌倉幕府ができてからも、京都には朝廷、寺社、貴族の荘園などの「権門」があり、それ相応の力をもっていたという、黒田俊雄の論である。かねてひっかかっていたのが、仮にそうだとしても、鎌倉幕府がある程度の力を持っていたのは事実なのだから、両方の勢力があったといえばいいものを、郷が「権門体制論に都合が悪い事実」のような言い方をすること

    凍雲篩雪 - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2018/12/21
    “そもそもそんな「人権」のない人々がいること自体問題ではないのか。右翼としては、天皇・皇族に人権がなくてもいいと考えているのだろうが、国民はそのことを考えていない。”
  • 凍雲篩雪 - jun-jun1965の日記

    坂東玉三郎と文学 一、一九九四年五月四日と五日、NHK教育テレビで、三浦雅士と坂東玉三郎の対談番組があった。その中で玉三郎が、舞踊の際の清元などについて「踊りのための音楽の歌詞でしかないじゃないですか」と言い、三浦がうんうんとうなずいていたことがあった。私はその言葉の意味がよく分からなかったのだが、六年ほど前のNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」の玉三郎の会を観て、はじめて意味が分かった。 以下は世間的には常識なのかもしれないが、そこで玉三郎は、いつまで踊れるか、などと踊りの話ばかりしており、いい音楽が出て来たら、とも言っていた。さらに「わたし、文学って全然ダメで」などとも言っていたが、なるほど、新劇の俳優ならともかく、伝統藝能の人で、自分が演じている内容には関心がない、という人がいるのは知っている。さる有名な能のシテ方が、中入りで作りものの中に入って、アイの狂言が話しているのにふと耳

    凍雲篩雪 - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2018/11/20
    玉三郎。“新劇の俳優ならともかく、伝統藝能の人で、自分が演じている内容には関心がない、という人”
  • 渡辺京二よ - jun-jun1965の日記

    石牟礼道子の『苦海浄土』の講談社文庫版(1972)に、渡辺京二が「石牟礼道子の世界」という長い解説を書いている。昔読んだはずだが忘れていた。石牟礼といえば、近代への呪詛と前近代の美化の傾向もあるひとで、それに対してあの渡辺京二が何を言っているか、見てみてあっと思った。 石牟礼氏は近代主義的な知性と近代産業文明を能的に嫌悪する。しかし、それは単に嫌悪してもどうにもならないものであり、それへの反措定として「自然に還れ」みたいな単純な反近代主義を対置してみてもしようのないことである。彼女はそういうふうにとれる不用意な言葉をエッセイなどに書きつけているけれども、(略)いったい、前近代的な部落社会がそれほど牧歌的なものであるかどうか。(略)(前近代社会は)暗部を抱えた社会である。(略)彼女の描く前近代的な世界は、なぜかくも美しいのか。それは、彼女が記録作家ではなく、一個の幻想的詩人だからである。

    渡辺京二よ - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2018/03/18
    「石牟礼のほうがまだしも罪はない。事実『逝きし世の面影』を歴史書として読んでいる人もいるわけだから、渡辺のほうが犯罪的だともいえる。」
  • 幕末の死者 - jun-jun1965の日記

    嘉永元年(1849)調所広郷72(自害) 三年(1851)水野忠邦57 嘉永六年(1853) 安政元年(1854)8代市川團十郎31(自殺) 二年(1855)藤田東湖50(地震) 三年(1856) 四年(1857)阿部正弘38 五年(1858)マシュー・ペリー64、島津斉彬47、徳川家定34、月照45(自殺)山東京山89 六年(1859)吉田松陰29、頼三樹三郎34、梅田雲浜44、橋左内25(刑死)島津斉興68、7代市川團十郎68 万延元年(1860)井伊直弼45(暗殺)徳川斉昭60 文久元年(1861) 二年(1862)長野主膳47(刑死) 三年(1863)長井雅楽44(切腹)姉小路公知24(暗殺)清河八郎33、芹沢鴨(暗殺) 元治元年(1864)久坂玄瑞24(戦死)、真木和泉51(切腹)佐久間象山53(暗殺)堀田正睦54 慶應元年(1865)武市半平太36(切腹) 二年(1866)お

    幕末の死者 - jun-jun1965の日記
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    bt-shouichi 2018/02/25
    調所は切腹じゃなく服毒自殺じゃなかったか
  • ■ - jun-jun1965の日記

    天皇の言葉を毎日新聞に漏らしたとして宮内庁職員を刑事告発したのは、 鍛冶俊樹(軍事ジャーナリスト) 加瀬英明(外交評論家) 小堀桂一郎(東京大学名誉教授) 田中英道(東北大学名誉教授) 水島総(チャンネル桜代表) 高清水有子(皇室ジャーナリスト) 高山正之(産経新聞コラムニスト) 永山秀樹(台湾研究フォーラム) 馬淵睦夫(元ウクライナ・モルドバ大使) 水間政憲(評論家) 三輪和雄(世論の会代表) の11人だという。

    ■ - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2017/09/11
    11人の告発者。鍛冶俊樹(軍事ジャーナリスト)、加瀬英明、小堀、田中英道、水島総、高清水有子(皇室ジャーナリスト)、高山正之、永山秀樹(台湾研究フォーラム)、馬渕睦夫(元外務官僚)、水間政憲、三輪和夫
  • 「健康ファシズム」の黒幕、日野原重明なにが偉いのか - jun-jun1965の日記

    小谷野敦 聖路加国際病院理事長・日野原重明は、二〇一一年には一〇〇歳になる。私はこの人物について、特に何とも思っていなかった。二〇〇五年には文化勲章を受章しているが、文化勲章というのは歳をとると貰いやすくなるので、高齢をめでて受章したのだろう、くらいに思っていた。しかし、考えてみると、ノーベル賞をとったわけでもないし、いったい医学上どういう貢献があってのことなのか。これまで、医者で文化勲章をとったのは、三浦謹之助、黒川利雄、沖中重雄などがいるが、三浦は、大正天皇の診察をしたことで貰ったらしく、黒川、沖中には、それなりの病理学上の業績があり、いずれも日学士院会員である。しかし日野原は学士院会員ではないし、これまた皇室の主治医だったために貰ったようである。 それだけでなく日野原は、一九八五年、つまり七十歳を過ぎてから出した『老いを創める』以下の、年々増え続ける一般向けの著作に人気がある、ない

    「健康ファシズム」の黒幕、日野原重明なにが偉いのか - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2017/07/18
    日野原重明がとうとう亡くなった。これは2011年の文章。「日野原のこういった文章に勇気づけられる老人もいるだろうが、勘違いしてはいけない。これは、社会的地位を得た者にのみ都合のいい理屈なのである。」
  • 凍雲篩雪 - jun-jun1965の日記

    凍雲篩雪(61)奴隷天皇制 一、天皇の退位に反対している平川祐弘は、天皇の仕事は存続することと祈ることだと述べている。また天皇自身の発言によって従来の法が変わるなら天皇の政治への関与になって憲法違反だとも言う。 私はこのような人権のない人間を存在させる天皇制は廃止すべきだと思っているが、別に平川やその他大勢の天皇制維持論者が、人権のない人間がいてもいい、身分制度はあってもいい、というなら、それをはっきり言うべきである。もはや象徴天皇制どころか、これが「奴隷天皇制」に近いことが明らかになったが、大手マスコミはむしろ天皇制の存在を前提としてものを言うようになっている。トランプ大統領の行政に怒りを向けられる人が、仕事を辞めたいと言っている八十過ぎの老人があれこれと文句をつけられ、まだあと二年もやらなければならないという事態を目の前にして、これはひどい制度だと考えないのはまったく不思議である。 退

    凍雲篩雪 - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2017/03/22
    「別に平川やその他大勢の天皇制維持論者が、人権のない人間がいてもいい、身分制度はあってもいい、というなら、それをはっきり言うべきである。」
  • ■ - jun-jun1965の日記

    いったいいつから、殺人犯が手記を刊行してはいけないということになったのだろう。では永山則夫は、佐川一政は、木嶋佳苗は、永田洋子は。いやほかにも手記はたくさんある。 つまり少年法によって、二人殺しながら死刑にならなかったのが許せんと言うなら、それは少年法の改正を訴えればいいだけのことで、少年Aがいくら懇願したって死刑にはしてくれないのである。 永山は印税を遺族に支払ったからいい、と言うなら、遺族に支払え、と言えばいい。木嶋はまだ判決は確定していないが、それが質的な問題かどうかは分からない。 永山が文藝家協会から入会を拒否されたことに抗議して退会した柄谷行人、中上健次、筒井康隆、井口時男のうち、三人はまだ生きているが、こういう人たちもネット上リンチの対象にしたらどうか。 見沢知廉なんか、右翼の抗争で一人殺して服役し、刑務所での処遇に不満を述べた著作を出して三島賞候補にまでなったのである。これ

    ■ - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2015/06/16
    酒鬼薔薇手記出版批判について。「いったいいつから、殺人犯が手記を刊行してはいけないということになったのだろう。では永山則夫は、佐川一政は、木嶋佳苗は、永田洋子は。いやほかにも手記はたくさんある」
  • これはまずいだろう - jun-jun1965の日記

    小川和也の『儒学殺人事件 堀田正俊と徳川綱吉』(講談社)がサントリー学芸賞(社会・風俗部門)をとったので、読んでみた。堀田は、家綱時代には老中で、家綱に継嗣がないことから、宮将軍を迎えようとした大老・酒井忠清と対立、家綱の遺言で弟の綱吉が将軍になると大老となった、綱吉政権成立の功労者である。だがほどなく、江戸城内で若年寄・稲葉正休に刺殺されてしまう。私が中一の時の大河ドラマ『元禄太平記』にあわせて学研から出た二巻の歴史漫画にも、この事件は描かれていた。 原因は、淀川の治水工事で、稲葉が出した見積もりより、堀田が河村瑞賢を起用して出した見積もりのほうが安かったため採用され、稲葉が堀田を恨んだからだとされている。 これに対して小川は、生類憐れみの令などを出す綱吉に堀田が諫言したため、綱吉が堀田を煙たく思い、その意を察知して稲葉が堀田を殺したとしている。 この説は、1936年に海音寺潮五郎が『改

    これはまずいだろう - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2014/11/25
    サントリー学芸賞を受賞した小川和也『儒学殺人事件 堀田正俊と徳川綱吉』の海音寺潮五郎のパクリ疑惑…「だいたい、現在のサントリー学芸賞は、前近代の日本史学者の選考委員がいない。これはまずいだろう。」
  • ■ - jun-jun1965の日記

    粕谷一希が死んだのだが、思想的に右翼だったということとは別に、人格に問題のある人だったとしか私には思えない。 http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20121122 http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20130212 http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20130918 藤原書店に送った内容証明を添付しておく。粕谷にも当時手紙を出してどういうつもりか訊いたのだが返事はなかった。(『粕谷一希随想選』の月報で平川上皇は、粕谷には内緒にしたと書いているが、手紙も奥さんが握りつぶしちゃったのかな)。なお平川は「気をゆるしてストーカーに及んだ元学生の話をしたら訴えられた」などと書いているが、それは全然事実ではなく、私が藤原書店に電話して抗議し反論を書かせろと言ったのに断り、さらに単行でもほぼそのまま載せ

    ■ - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2014/06/04
    「粕谷一希が死んだのだが、思想的に右翼だったということとは別に、人格に問題のある人だったとしか私には思えない」
  • 2013年度小谷野賞 - jun-jun1965の日記

    どうもこの賞はタイミングが難しいのである。まず、他の賞をとったものは対象にしないため、ある程度待たなければならない。なお、知人友人家族の著作は対象にしないという決まりである。 そこで正賞はあとまわしにして、特別賞と書評賞を先に発表しておく。 特別賞は、昨年亡くなった「青空文庫」主宰の冨田倫生さんに授与する。これは言うまでもなく読書文化に大きな貢献をした人だが、ことさら顕彰されることがなかったからである。 次に書評賞というのは、今年特別に設けるのだが、これは毎日書評賞というのがあって、丸谷才一が作ったのだが、書評集という著作に与えられるものだ。だが、この出版不況の中、書評を集めたなどというものが出してもらえるのは、一握りの有名人だけである。いい書評を書いていても、それがにならない人というのがいて、毎日書評賞はそういう人には授与されない。 連載書評で、「新書の小径」という半ページのコラムを

    2013年度小谷野賞 - jun-jun1965の日記
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    bt-shouichi 2014/03/15
    「書評賞」に青木るえかさんの「新書の小径」が!
  • 「いい女」の意味 - jun-jun1965の日記

    川端康成の『雪国』に、島村が「君はいい女だよ」と言って、駒子が怒る場面がある。これの意味が、初読の高校二年の時に、分からなかった。大学生になって、岩下志麻が駒子をやる映画を観たら、「それ、一年に一回通ってきて会うにはいい女だって意味?」と解説して怒っていた。 だいたいそんな理解のようである。 http://www.linkclub.or.jp/~keisuke/kawabata/yukiguni/yukiguni.html http://glassysky.exblog.jp/18267833 しかし、フランス文学者の高山鉄男の「悲しみと日々 川端康成の作品における自我の構造」(『季刊藝術』1971年10月)には、駒子がこれを「卑俗な意味に解して怒る」とある。卑俗? 千葉俊二は「ポルノグラフィーとしての『雪国』」(『國文學 解釈と教材の研究』2001年3月)で、駒子は「名器」の持ち主であっ

    「いい女」の意味 - jun-jun1965の日記
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    bt-shouichi 2014/02/24
    川端の『雪国』。島村が駒子に言う「いい女」とは「名器」だという説。「このことを川端研究者の某女性に言ったら、そんなことは読めば分かると言われたので、私はそのことのほうに衝撃を覚えたのである」
  • ■ - jun-jun1965の日記

    『週刊文春』で中村うさぎがビートたけしを批判していた。かつて、うさぎさんのを読みもせず噂だけで馬鹿にしたというのだ。 私は、週刊誌レベルではビートたけし批判はタブーだと思っていたからちょっと驚いた。たけし批判のタブーぶりは芸能界だけではない。なんでこんなことになったのだろう。

    ■ - jun-jun1965の日記
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    bt-shouichi 2014/01/18
    「『週刊文春』で中村うさぎがビートたけしを批判していた。かつて、うさぎさんの本を読みもせず噂だけで馬鹿にしたというのだ」「たけし批判のタブーぶりは芸能界だけではない。なんでこんなことになったのだろう」
  • ■ - jun-jun1965の日記

    http://www.j-cast.com/2013/12/18192103.html 石原慎太郎が、自分の原稿の掲載を拒否した『すばる』編集長の池田千春を「勇気ある女性」だと言っているが、とんでもない話である。私は2009年に小説「天皇の煙草」を同誌に持ち込んだが、街宣車が怖いからといって「天皇」を「あの方」などに改稿するよう要求されて拒否している。勇気あるどころかヘタレ編集長である。石原は怖くないが右翼は怖いらしい。

    ■ - jun-jun1965の日記
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    bt-shouichi 2013/12/23
    「すばる」について/「私は2009年に小説「天皇の煙草」を同誌に持ち込んだが、街宣車が怖いからといって「天皇」を「あの方」などに改稿するよう要求されて拒否している」「石原は怖くないが右翼は怖いらしい」
  • 博士か大臣か - jun-jun1965の日記

    博士にして大臣という人を調べたのだが、大して面白くない。 外山正一(1848−1900) 東大文学博士 文相 平田東助(1849−1925) ハイデルベルク大学法学博士 農商務大臣、内相 末松謙澄(1855−1920) 東大文学博士 逓信大臣、内相 菊池大麓(1855−1917) ケンブリッジ大理学博士 文相 後藤新平(1857−1929)医学博士 逓信大臣、外相、内相 奥田義人(1860−1917)法学博士 司法大臣、文相 岡野敬次郎(1865−1925) 東大法学博士 司法大臣、農商務大臣、文相 江木翼(1873−1932)法学博士 司法大臣、鉄道大臣 松烝治(1877−1954)東大法学博士 商工大臣 橋田邦彦(1882−1945)東大医学博士 文相 小泉親彦(1884−1945)東大医学博士(陸軍軍医)厚相 安倍能成(1883−1966)東大文学博士 文相 高橋誠一郎(1884−

    博士か大臣か - jun-jun1965の日記
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    bt-shouichi 2013/10/03
    「博士にして大臣という人を調べたのだが、大して面白くない。」
  • 笑わせるぜ中島岳志 - jun-jun1965の日記

    東京新聞の一面に、中島岳志が自著での橋下徹の批判の削除を求められ、拒否したという記事が、かなりでかく出ていた。削除を求めたのはNTT出版で、新潮社から出した『リベラル保守宣言』だという。 思わず私は苦笑せざるをえなかった。というのは、私はエッセイ集『を償うにをもってせよ』を白水社から出した時に、中島を批判した文を削除させられているからだ。 出版が最終段階に入った時、編集者から、上司が会いたいと言っていると連絡があった。こういう時の「上司が会いたい」は、いい話であるはずがない。わざわざ会って不快な話を聞くくらいならと、私は電話してその上司を呼び出し、構わないから言ってくれと言った。上司は(名前を忘れてしまった)中島岳志と中島さおりを批判した個所を削除してほしいと言ったのである。 不快ではあったが、編集者に迷惑をかけることにもなるし、どうせその二つは別のエッセイ集に入れればいいと思ったから

    笑わせるぜ中島岳志 - jun-jun1965の日記
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    bt-shouichi 2013/08/19
    「思わず私は苦笑せざるをえなかった。というのは、私はエッセイ集『猫を償うに猫をもってせよ』を白水社から出した時に、中島を批判した文を削除させられているからだ」
  • 祭りと柳田國男 - jun-jun1965の日記

    私が大学生のころ、越谷市の商店街で夏祭りがあって、遊びに来た後藤と一緒に出かけたことがあった。しかし大変な人ごみで、暑いし、帰ってきてぶつぶつ言っていると、母が、私は祭とか好きなんだと思っていた、と言ったのである。いや全然、と答えたのだが、なんで私が祭が好きだなどと思ったのか。当時は単に言葉の勢いで言っただけだと思っていたし、実際そうなのかもしれないが、歌舞伎が好きだったから、民俗藝能とかにも関心があると思ったのかもしれないし、柳田國男的な関心があると思ったのかもしれない。だがのちに私は大の柳田嫌いになるのである。 柳田には明らかにオリエンタリズムがあって、自分は兄弟に井上通泰、松岡映丘のような大物を持ち、自身は東大卒の官僚であるから、庶民というものを自分とは別種の生物のように観察できたのだ。私は庶民の出だから、そんなものに関心を持ったらそこへ自分自身が転げ落ちるような気がするのである。大

    祭りと柳田國男 - jun-jun1965の日記
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    bt-shouichi 2013/07/18
    「柳田には明らかにオリエンタリズムがあって、自分は兄弟に井上通泰、松岡映丘のような大物を持ち、自身は東大卒の官僚であるから、庶民というものを自分とは別種の生物のように観察できたのだ」
  • 江藤淳の岳父 - jun-jun1965の日記

    『川端康成伝』(中央公論新社)を書いていて、江藤淳がかなり川端を嫌っていたことを知った。同じ鎌倉に住んでいて、江藤は先輩への礼儀として著書が出ると送っていたが、川端は筆まめな人だから、そのたびに礼状をよこしたが、江藤はいっぺんも返事などを書かなかったという。『犬と私』(一九六六)を送った際、やはり礼状が来て、川端も長く犬を飼っていたので、先日十七歳になる犬が死んで、川端家では三十七、八年ぶりに犬が一匹もいなくなったとあった。江藤は、『文學界』に載った川端追悼文で、その手紙は表装して飾ってあるが、それは川端の手紙だからではなく、犬が懐かしいからだとわざわざ書いている。それは川端追悼特集の巻頭に来た長めのものだが、そこで江藤は、川端批判をしているのである。江藤はそこで、川端の文学は高度大衆社会の文学で、谷崎や志賀、荷風の貴族的な文学とは違っていると書いている。 一昨年死去した、川端研究の代表格

    江藤淳の岳父 - jun-jun1965の日記
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    bt-shouichi 2013/06/02
    江藤淳・ソ連・アメリカ・妻・岳父/ミダスさんのブコメに痺れるゥ
  • サザエさん症候群 - jun-jun1965の日記

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B6%E3%82%A8%E3%81%95%E3%82%93%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4 確かに、日曜の夜だから、「あー明日も学校だー」という気持ちになるという説明は分かるのだが、私の世代なら「八時だヨ!全員集合」のエンディングの「いい湯だな」でカトちゃんが「宿題やったか」などと呼びかけるのもそれに当たるのだろう。「日立の樹」はここであげられている中では、ひときわ寂しい。 だが、その中で、七時に終わる「サザエさん」のエンディングが特に寂しいというのは、やはりこの歌自体に理由があるのではないか。メロディーのほうは分析しかねるので、歌詞だけすると、 大きな空を眺めたら 白い雲が飛んでいた 今日は楽しい〜〜ハイキング ここまで、サザエさんは出てこないで、このあと妙に長い間奏が入る。「

    サザエさん症候群 - jun-jun1965の日記
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    bt-shouichi 2013/02/28
    サザエさんのエンディングの問題
  • 「ヌエ」と呼ばれた新島八重 - jun-jun1965の日記

    中村勘九郎(のち勘三郎)と竹下景子のデュエット「浅野川慕情」のドーナツ盤を入手した。どうやら同題の、小幡欣治作の舞台のものらしい。『勘九郎日記「か」の字』(集英社文庫)の上演年表を見ると、1983年5月中日劇場での上演である。勘九郎28歳、竹下さん29歳か。しかし『悲劇喜劇』2011年5月の小幡年表にはない。 - 『ちくま』に斎藤美奈子が新島八重のことを書いているが、これが面白い。当たっているところとはずれているところの対照が面白いのだ。 なぜ新島八重が、これまで福武久以外の人の関心をひかなかったのか、について、小ネタの合わせ技で偉人になりうる、まあ大した人ではないから、というのはその通りであろう。そして、写真で見るとブスでデブだから、ということを、斎藤が書いていないのも面白い。また、近年の校閲に屈せず「看護婦」としている。もっともこれは歴史上の人物だからかもしれず、筑摩書房だからかもし

    「ヌエ」と呼ばれた新島八重 - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2013/02/25
    「『ちくま』に斎藤美奈子が新島八重のことを書いているが、これが面白い。当たっているところとはずれているところの対照が面白いのだ。」