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哲学と科学に関するbunoumのブックマーク (18)

  • オッカムの剃刀の理解 3段階 - 僕と懐疑の関係

    非合理批判の場では、「オッカムの剃刀(かみそり)」という考え方が登場することがある。オッカムの剃刀とは、以下のような考え方である。 現象を同程度うまく説明する仮説があるなら、より単純な方を選ぶべきである。 Wikipedia 「オッカムの剃刀]」より LEVEL 1(オッカムの剃刀は科学的真偽の判定の手段) オッカムの剃刀でそぎ落とされる仮説は、科学的に間違いであると考える。 LEVEL 2(オッカムの剃刀は科学的真偽の判定とは無関係) オッカムの剃刀という考え方は、真偽を追うための戦略のひとつにすぎない。 剃刀にそぎ落とされるかどうかは、仮説が科学的に正しいかどうかとは無関係である。 よって、いくつかの科学的仮説の中から一つの科学的仮説を選択する手段として使うのは誤りである。 LEVEL 3(オッカムの剃刀は科学的真偽の判定として有効) 科学的に「正しい」「間違っている」とは、蓋然性*1

    オッカムの剃刀の理解 3段階 - 僕と懐疑の関係
  • 今年の倫理のセンター試験問題が科学哲学的に非常に面白い件について

    (07/18)私はいかにしてニセ科学批判者と呼ばれるに至ったか (07/17)産総研がバイオインフォマティクスのワークショップを開催するようです (07/12)IBMがゲノムビジネスに格参入するらしい (07/11)ホメオパシー助産師のビタミンK2の問題が裁判になった (07/04)日トンデモ大賞2010オープニングムービー (07/03)トゥーリオ・シモンチーニのがん治療についてのまとめ (03/29)『「トンデモ」批判の政治性と政治の未来』にコメントしてみる (03/24)ニセ科学商品バイオラバーについてのまとめ (03/23)正しい目薬のさし方 (03/21)科学なポッドキャストをまとめて紹介してみる はじめにお読みください(1) サイエンスニュース(122) 宇宙開発・天文ニュース(78) サイエンストピックス(57) バイオニュース(155) バイオインフォマティクス(17

    今年の倫理のセンター試験問題が科学哲学的に非常に面白い件について
  • left over junk

    2008-04-05 optical_frog 2008-04-05 通りすがり 2009-02-11 optical_frog 2009-02-11 @minorimironim 2009-02-11 @minorimironim 2012-06-02 optical_frog 2012-06-02 toohuudoo 2009-02-11 optical_frog 2009-02-11 dh 2012-12-31 optical_frog 2012-12-31 ponchi 2012-12-31 optical_frog

  • シミュレーテッド・リアリティ - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "シミュレーテッド・リアリティ" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2017年11月) シミュレーテッド・リアリティ(英: Simulated reality)は、現実性(reality)をシミュレートできるとする考え方であり、一般にコンピュータを使ったシミュレーションによって真の現実と区別がつかないレベルでシミュレートすることを指す。シミュレーション内部で生活する意識は、それがシミュレーションであることを知っている場合もあるし、知らない場合もある。最も過激な考え方では、我々自身も実際にシミュレーションの中で生きていると主張

  • 自然の斉一性 - Wikipedia

    自然の斉一性原理(しぜんのせいいつせいげんり、 principle of the uniformity of nature)または単に斉一性原理とは、科学哲学の世界で用いられる言葉で「自然界で起きる出来事は全くデタラメに生起するわけではなく、何らかの秩序があり、同じような条件のもとでは、同じ現象がくりかえされるはずだ」という仮定[1]。18世紀スコットランドの哲学者デイヴィッド・ヒュームが懐疑的に批判した帰納法の確実性を再検討する形で、推論の一種である枚挙的帰納法を成立させるために必要な前提として、ジョン・スチュアート・ミルが提唱した[2]。自然の一様性原理[3][4]とも訳される。 自然の斉一性という言葉が示す内容は、具体的にはいくつかのバリエーションがある。 「自然法則は、時間的な変化をしない。自然現象の起こり方に変化が生じた場合、それはその自然法則の内部でなんらかの条件が変化したため

    自然の斉一性 - Wikipedia
  • 科学と科学哲学 | Pravdaの日記 | スラド

    お正月の移動で電車に乗っている間、『日経サイエンス 2009年2月号』を読んでいたのですが、「茂木健一郎と愉しむ科学のクオリア33 科学と疑似科学のあいだ」という記事が俗な意味でも面白うございました。脳科学者の茂木健一郎氏と科学哲学者の伊勢田哲治氏が対談しているのですけど、茂木先生、イジメられています。 「科学者のメッセージの重要性」という章で、伊勢田氏が、男女の脳の解剖学所見や機能の差の話から恋愛戦略の性差を考えるバラエティー番組に茂木氏が出演したことを取り上げ、「きちんとした解剖学データがあっても、それが当に男女恋愛戦略の差に関係しているかどうかは推測に過ぎない」と言い、それを受けて茂木氏は「データはあるが、解剖学の差も機能の差も統計学的な処理によるもので、すべての人には当てはまらない」と答えています。その続きを引用。 伊勢田 すべての人に当てはまらないというだけでなく,実際的なア

    bunoum
    bunoum 2009/01/05
    自分の連載記事で対談相手にいじめられる茂木健一郎氏
  • 哲学はなぜ間違うのか?: 脳のベイズネットワーク

    この世界は物質の法則(自然法則)で動いている。物質の法則は、まず、物理学の研究対象です。物質現象の単位となる一つ一つの現象は、ニュートン力学、量子力学、相対性原理など、比較的に簡単な方程式で表現できます。しかし、私たちが日常的に感知する物質は、生物、鉱物、気象などの巨視的な現象です。これらは無数の微視的な粒子の相互作用によってできている現象ばかりですから、個々の粒子間の作用を逐一、詳細に記述していくと、あっという間に、数億、数兆の変数を持った連立方程式になる。とても「Aが起こるとBが起こる」というような単純な法則の羅列では表現できない。超巨大なスーパーコンピュータでも、一分後の変化を予測する計算に何時間もかかってしまう。しかし、人間が,身の回りの現象を効率よく記憶しそれを想起して、これからの変化をすばやく予測するには、正確でなくても良いから現実的に感じることができる錯覚の法則があれば良いの

  • 「意識による判断の7秒前に、脳が判断」:脳スキャナーで行動予告が可能 | WIRED VISION

    「意識による判断の7秒前に、脳が判断」:脳スキャナーで行動予告が可能 2008年4月17日 サイエンス・テクノロジー コメント: トラックバック (0) Brandon Keim この図は、被験者が実際に決定を下す前に、その決定が発現する脳の領域(緑の部分)を示している。 Photo:John-Dylan Haynes あなたは、自分がこの記事を読む決定をしたと思っているかもしれない。だが実際は、あなたが自分の決定を認知するずっと前に、脳が決定を下したのだ。 4月13日(米国時間)に『Nature Neuroscience』誌に発表された研究報告によると、脳スキャナーを使った研究者らは、被験者が自分で認識するより7秒も早く、彼らの決定を予測できたという。 今回調査されたのは、ボタンを左手と右手のどちらで押すかに関する判断であり、これは、人間の自己決定の感覚とより完全に結びついた複雑な選択

  • 橋元淳一郎『時間はどこで生まれるのか』 - logical cypher scape2

    このは熱い! 200ぺージもない、薄いだが、哲学的熱意(?)がこもっている。 何が熱いかというと、物理学について語りながらも、自らの哲学的立場をかなり強調していること*1。 性質が実在するか、ということは、長らく哲学的議論の的となっていたわけで、いまだに続いている。 そもそも、性質が実在するかどうか、という問い自体が、僕にとっては非常に分かりにくいのだけど、しかし、モノが性質の束であると考えるのであれば、結構重要な問題かもしれない。 それはともかく、性質が実在するかという問いに対して、大きく分けて、実在論と経験論という2つの立場が在りうる。 科学哲学の世界では、この対立というのはなかなか盛り上がるわけだけど、現役の物理学や自然科学の世界で、この対立がどれくらい重要視されているのかよく分からない。というか、あまり問題にされていない気がする。個人的な勝手なイメージとしては、物理学者は潜在的

    bunoum
    bunoum 2008/03/28
    「三浦俊彦の可能世界論と、実は表裏一体のように思える。」
  • おしえてBP! 動物に感情があるのか??

    先日、居酒屋で飲んでいるとき他の席から動物は感情があるかどうかに ついて話しているのが聞こえてきました。 その人はたしかパブロフの犬などを例に出して熱く語っていました。 皆さんは、動物に感情はあると思いますか?? 哲学的に、根拠などがあれば根拠なども一緒に教えてください。 (根拠とは、過去の偉人の発言や、法則などです) また、動物はあまりにも範囲が広いので犬などのある程度高等な 動物とさせていもらいます。 近代科学で動物の情動に最初に注目したのは、 チャールズ・ロバート・ダーウィンです。 『人及び動物の表情について』というを著しています。 ダーウヰン, C. (1931). 人及び動物の表情について (濱中濱太郎, Trans.). 岩波文庫, 33-912-7. 東京: 岩波書店. (Original published 1872) ​ht

    bunoum
    bunoum 2008/02/02
    「人間に感情があるのか?あるとすれば、それは自分にはどうやら感情があるということだが、他者に感情はあるのか?それは共有できるのだろうか?」「コンピュータに感情はあるか?」「では感情とは何か?」
  • この現実が仮想現実なら - 萌え理論ブログ

    この現実は仮想現実か 我々の現実は実は全て仮想現実、研究者が奇抜な論文発表 - Technobahn 痛いニュース(ノ∀`):「我々の現実は実は全てコンピューター内に作られた仮想現実」…研究者が奇想天外な論文発表 その論文は読んでいないので、論文自体の話はできないが、仮想現実に関する議論は以前からあり、別に今までなかった主張ではない。例えば、「オメガ点理論」がある。ここでは、物理学的な議論より広い、仮想現実論・シミュレーション論を見ることにしよう。 まず、シミュレーション論の主張を、デザイン論と区別しよう。シミュレーションにデザインは不可欠ではなく、デザインは単なるシミュレーションではない。この両者の関係にはやや複雑なところがあるが、説明が長くなるので注に回す*1。 さて、シミュレーション論の論理展開は、だいたいこんな感じだ*2。 シミュレーションが可能になる前に科学文明が滅亡せず、技術

    bunoum
    bunoum 2008/01/20
    ベビーユニバースを生み出せる宇宙が繁栄するという説のように、複数階のシミュレーションが可能ならばシミュレーション世界を生み出しうる世界が多数派になる。
  • シミュレーション・アーギュメントとオメガポイントについて

    シミュレーション・アーギュメントとは シミュレーション・アーギュメントという論が前世紀末からある。これは、我々が現実世界ではなく、虚構世界に生きている確率を論じるものである。 2003年にNick BostromによるSimulation Argumentによれば[Simulation Argument]:A technologically mature “posthuman” civilization would have enormous computing power. Based on this empirical fact, the simulation argument shows that at least one of the following propositions is true: (1) The fraction of human-level civilizati

    シミュレーション・アーギュメントとオメガポイントについて
    bunoum
    bunoum 2007/08/30
    「私たちはシミュ内の存在ではなく、基底的現実存在である。」→「我々がシミュの中で生きているのでないなら、我々の子孫は決して祖先のシミュを実行しない。」/この宇宙というシミュレーション
  • Expired

    Expired:掲載期限切れです この記事は,Associated Press との契約の掲載期限(30日間)を過ぎましたのでサーバから削除しました。 このページは20秒後にNews トップページに自動的に切り替わります。

    bunoum
    bunoum 2007/04/25
    人間がロボットに人権を認めるかどうかを議論しても、ロボットの方が人間に人権を認めるかどうか。
  • 2007-02-10

    ErgoClickからちょっと変わった入力デバイス「ErgoClick」が発売された。マウスのクリック操作だけが可能というもので、カーソルの移動などは行えないクリック専用となる。 右手でカーソルの移動、左手でクリック、これで手の負担を軽くするのが目的とのことです。どれだけ疲れやすいんだ。そして価格12390円! 高! ってかマウス2つつなぐんじゃだめなんですか? エントリタイトルはベイティング(英語で言うとなにかが赦される感)。 唯心論物理学の誕生―モナド・量子力学・相対性理論の統一モデルと観測問題の解決 作者: 中込照明出版社/メーカー: 海鳴社発売日: 1998/02メディア: 単行購入: 1人 クリック: 40回この商品を含むブログ (9件) を見る これなんです、タイトルからしてもう爆うさんくさい感じですが。まえがきの一部を引用します(入力の手間を惜しんで、こちらに掲載されていた

    2007-02-10
    bunoum
    bunoum 2007/02/18
    SFマガジンで紹介されていたのがきっかけでジュンク堂まで探しに行って買いました。メインストリームでは無視される観測者の存在や人間の意思を積極的に取り込んでいく力強い人間原理的宇宙論が楽しめたような記憶。
  • 自由意志 - Log of ROYGB

    自由意志について質問してみました。 自由意志に関する質問です。あなたに自由意志はありますかある(あなたがこれを選ぶことはわかってました) 93ない 15 93人のひとは「ある」と回答しましたが、これは選択肢にも書かれている通り予想されたことです。つまりこれを選んだ人には自由意志が無いと考えられます。「ない」を選んだ15人については、人が無いといっているのだからやはり自由意志は無いのでしょう。アンケートに回答した108人全てのひとが自由意志が無いという結果になってしまいました。 質問をしたきっかけとしてはhttp://d.hatena.ne.jp/michiaki/20070125#1169659470の『「自由意志は存在しない」ということを、なるべく簡単に解りやすく説明してみたい』だと思います。質問内容についてはhttp://www.h5.dion.ne.jp/~terun/gakuFr

    bunoum
    bunoum 2007/02/18
    ベドウィン的に言えば「この皿は今日割れる運命にあった」あるいはインシャラー神の思し召しのままに。はたまたGod knows神のみぞ知る。
  • 自由意志 - Wikipedia

    自由意志(じゆういし、英語: free will、ドイツ語: freier Wille、フランス語: libre arbitre、ラテン語: liberum arbitrium)とは、人間には、何からも影響(指図や制約)を受けずに、「何かを成そうとする気持ちや考え」を自由に生み出す能力がある、とする仮説である。 自由意志の問題とは、人間が、自発的に”意志”を生み出すことができるか否か、という問いであり、それはまた、人間に行動の自由があるかどうかにも関わってくる重要な問題である。 様々な哲学上の立場が、あらゆる事象は過去未来にかかわらず、既に決定されているか否か(決定論VS非決定論)について、また同様に、自由は決定論と共存できるか否か(両立主義VS非両立主義)について意見を違えている。それゆえに、例えば、固い決定論は、宇宙は決定論的であり、このことが自由意志を不可能にすると主張している。 自

    自由意志 - Wikipedia
  • 2007-01-25

    このブログでは過去に何回か「自由意志」をネタにしたエントリを書いたことがありますが、もう何を書いたのか忘れているので、あえて読み返さないでまた書いてみます。 さて、まず「自由意志」の定義です。とか言うとおおげさになるので、まぁふつうに、「いろいろな状況に際して、アレをするコレをするなど、自分の判断で行動を選択できること」くらいにしておきます。お昼に何をべるかとか、休みの日にどこへ行くかなどを、自分で決められること。まぁそんなでいいでしょう。 で、人間の精神とか意識とか、そう言われているものについて。これは、現在の脳科学では「脳活動の随伴現象」という解釈が主流だと思われるので、ここでもその説を採ります。随伴現象、したがいともなう現象とは、まぁ自動車のエンジンと速度計みたいな関係ですね。エンジンの回転が上がれば速度計の針も動く。しかし針を指で動かしてもエンジンの回転は上がりません。そういった

    2007-01-25
    bunoum
    bunoum 2007/02/18
    ルールのもとで成立しているシステムは決定論的。物理法則下の人間もソフトウェア上で自分を刈り込めるポリス人も塵理論上の高級オートマトンエリュシオン人も。量子的偶然性は自由も意思も補強しない。
  • 哲学的な何か、あと科学とか

    Q1:飲茶さんは、 「『機械的な部品』にすぎない脳細胞がどんなに集まっても、 なぜクオリアが生じるのか説明ができない」 と言っていますが、 たとえば、車のエンジンは、『機械的な部品』が集まってできたものですが、 エンジンをどんなに分解しても、「車が走るという現象」はでてきません。 脳とクオリアの関係も、これと同じで、 説明できなくても当たり前ではないでしょうか? つまり、クオリアを問題にしている人たちは、 「エンジンを分解したのに『車が走る』という現象がどこにもないぞ」 と大騒ぎしているのと同じではないでしょうか? A1:いいえ、ちがいます。たしかに、エンジンを調べても、 「車が走る」という「現象そのもの」は出てきませんが、 「車が走る」という「機能の仕組み」は説明はできます。 たとえば、「なぜ車が走るのか。それは、エンジンの中でガソリンが爆発して、 その力がシャフトに伝わり、タイヤを回す

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