「かわいみ」とか「眠み」「つらみ」、「行きたみ」とかやめろ!! そもそも、「さ」(「良さ」、「行きたさ」)からして俺はちょっと嫌だったが、「み」になるともう生理的に我慢ならんっ!!! そもそも、あいつらのその理論でいくと、「良い」は「良いみ」「良さみ」って言えよ、「良い」には「み」ってつけらんないんだろ???お? その辺、あいつらの柔軟性の限界感じてほんとごめんって感じみ!!!
オフ会でビビった事。 28歳や29歳、まあ30代はオッサンだと思っていたので分かっては居たが20代の昭和生まれ。 俺と同じ20代なのに全く冗談が通じない。 あまりにも大学生と違いすぎる。 例えば少し前、ニコニコ動画で【千本桜国歌にしろ】という話題が有った。 当然アレは冗談、ネタである。 そんな事を言って回っていた学生達もそりゃネタだと分かって言っているのだ。 なのにその話題が出てまるで若者がマジで言っているかの様なdisを繰り返す昭和生まれ達。 そんなの冗談だって分かれよ……。 次にポケベル、ビデオ、8センチCDの話題。 知らないわけ無いだろ。 アレは昭和生まれを貶す為に昭和生まれ自身が言って回っているデマだ。 普通に皆知っている。 俺達1996年生まれの20歳どころか18歳の大学1年でもそんな事知っているぞ。 なぜ冗談だと分からないのだろうか? 昭和生まれは本当にオッサンなのだなぁとしみ
まず僕が誰かって話だけど、大学駅伝でそれなり強いとこでやってた人間。僕個人も上位陣の実力。 で、そんな感じの大学生活を送ってたらかやっぱファンレターとかサイン色紙とかの対応で休日潰れるようなスター選手たちとも仲が良かったりするのよ。そいつらが箱根駅伝終わって実業団ランナーになった後どうなるかを書いてくね。 実業団ランナーになった奴の7割は3年たたずに会社を辞める。 実業団ランナーは特性上、ランナーとして現役を終えたあとも会社に残れるパターンが多いんだけど人間関係の問題で残れない。あ、ちなみに実業団ランナーというのは駅伝選手がプロとしてやる場合の肩書みたいなもんだから。 この辞める理由だけど2つ合って、➀単純に馬鹿すぎて使いものにならないから。➁現役時代仕事手伝わないから嫌われてるから。 小学生ぐらいの文章しか書けないし、今までチヤホヤされてきたもんだから生意気な傾向が強くて会社としても持て
蓄積された人文系学問の意義を否定したいわけではないけど、社会学部や文学部出身で、研究ではなく就職に進んで、 本人的には「大人になりたくないけど折り合いつけて生きてる」みたいな感じの人に、きっつい人が多いなと思う。 おしゃべりだけしてる分には面白い人なんだろうなと思う。ブログやツイッターをフォローするだけなら良いのかも。 ただ「一緒に仕事をしたくない人」とか「一緒に生活をしたくない人」と言うと伝わりやすいかな。 繊細で、問題には敏感に気付くけど、それを解決するのは自分ではない誰かだと、当たり前みたいに思ってる。 「政府」「企業」など強い存在への期待値が高くて、強者に対してなぜだか侮蔑的。侮蔑の理由が曖昧。 「障害者」「貧困層」など弱い存在にやたら肩入れする割に、行動では弱者と関わらず避けてる。 スタイル抜群の若い美女や長身爽やかイケメンなど、身体が魅力的な人を「どうせ中身が無い」と批判。 魅
社会人になりたての頃は、いい人であろう、優しい人であろうと思って仕事をしていた。 けれど、理不尽な上司や板挟み、ダブルスタンダードな指示、そして責任の押し付け合いなどを経て いい人は損をするということを学んだ。 いや、極限までいい人は信頼されるので、マイナスもあるが最終的にはプラスになるだろう。 けど私はそこまでいい人にもなれず、かといって悪い人にもなれず、中途半端だった。 中途半端だから、みんなのスケープゴートにされた。 そこで、私は悪い人戦略をとることにした。 とにかく何か頼まれたら最初に敵対心を露わにする。 なかなか言うことをきかず、とにかく自分に有利なよう譲歩させる。 納期や依頼方法、仕事の運び方に至るまで、残業や休日出勤になるような条件はすべてはねのけ 理屈で潰す。時には机をたたきヒステリックに暴力性をアピール。 面倒なことを私に頼むと百倍面倒なことになるぞ、と脅した。 これって
4月に来た新しい上司が面白い人で「学生ノリの若手が多いので、どうせだから俺達も学生ノリにしよう」という訳のわからん方針の元、飲み会が宴方式になった。 要はそのまま職場でダラダラと飲み食いして宴をするような方針になった。 今までは普通に居酒屋予約して、上司から年功序列の席次があり、若手が酌をして顔を覚えてもらう・・・的な典型的ジャパニーズな飲み会だったが、職場を閉めて 電話線を抜き、そのまま各々がコンビニやスーパーに好きな飲み物やツマミを買いに行き、上司や窓際の高給なおっさんが宅配ピザを振るまい、みんなで面白いユー チューブ見て笑ったり、プロジェクターで映して桃鉄したり、ギター弾き語るおっさんがいたり、時には給湯室でカレー作ってみたりと、部室で放課後ダラダラ過ご すノリに変えた。 これがまあ大当たり。 今まで飲み会には来なかった連中の参加率が激しく上がったのもそうだし、団結力的なものが確実に
突然こんなこと言ってごめんね。 でも本当です。 知っておいてほしいんだ。 和菓子って甘いだけで味が単調でおいしくない。
見たんだよ、昨日ね。 ドラマじゃねえな、あれは。バラエティだ。 テレビ草創期に生きた、存命の人物をネタにしたバラエティで、描こうとしてるものはまさに「テレビの世界」だ。 なんだよ、くっそおもしろかったわ。 満島ひかり、とかいう女優? 徹子を演じるわけなんだけど。 なんだよ、あれ。 すげーわ。 真面目な顔してすごいコミカルなことできるんだよ、あいつ。 地の黒柳徹子としての感情表現、つまりドラマに必要な演技もこなすし、この企画が要求するメタな面白さみたいなとこも、きっちりやりやがる。 しかも美しい。本当に美しい。横顔なんてマジで神々しいんだよ。 けどな。題材はオワコンと言われて久しいテレビだ。 その誕生のころを組み替えたネタでしか、楽しませられないのか? 出演者、裏方これだけを集められるのはやはり、テレビというかNHKがまだ死んでないことの証左ではあるかもしれない。 森繁も渥美清も永六輔もみん
何かハマれる曲を見つけては一週間ほとんどそれだけを聴き潰して、飽きるとまた次のおいしそうな曲を探す。 音楽雑誌は読まない。俺の知らない人たちが俺の知らない言語で書いた批評や記事をいくらか読んだところで、新しい曲が見つかりやすくなるわけでもない。iTunes にアップされる新曲をしらみつぶしに聴いてくほうがまだ効率だ。 歌手なんて別に誰でも良い。媒体も何でもいい。言語も問わない。年代もいつだってかまわない。メジャーかインディーズかは関係ない。もちろん、ダメなジャンルや好む傾向にあるジャンルはある。それすらも移り変わりが激しい。俺の耳に快ければそれでいい。キャッチーでありさえすればそれでいい。 どのアルバムにも一曲はキャッチーなのが収録されている。 アルバムの中で一番人気の曲。こっちはそういう感じのものを十三曲欲しい。 でも、アーティスト側はアルバム全体の構成とか考えるので、似たような曲調のも
「パナマ文書」の暴露により、世界の偉い人・有名人の資産隠しや租税回避が明るみに出ました。 これを発端に、いままでなじみの薄かったいわゆる「タックスヘイブン」(租税回避地)の存在が明るみになり、日本でもひろく報道・議論されるようになりました。 しかしながら、このような議論のなかで、いくつかタックスヘイブンにまつわる誤解が生まれているような気がしますので、これを機会に少し整理してみたいと思います。 (2016/4/10 03:15追記しました) はじめに書き手(増田とします)は民間企業の中の人ですので、もちろん中立的な観点からお話ができるよう配慮はしますが、いくらか企業寄りの、バイアスのかかった記事になってしまう可能性があることを申し添えます。 記載内容は厳密には異なる場合、細かい部分を捨象している場合や例外が存在しており、あらゆる場面で正確性を担保できるものではありません。 「企業はタックス
「あさが来た」が終わって「とと姉ちゃん」が始まったんだけど オープニングが宇多田ヒカルの新曲「花束を君に」だった。 5年休んでいた間にもっと待望論的なものが巻き起こるかと思ったのに 驚くほど大きなうねりにはならず、静かな再開って言えるかもしんない。 で、肝心の「花束を君に」がつまらんのよ。 もうびっくるするぐらいに。 そんなの好き嫌いあるだろって突っ込みを想定した上で 敢えて言うなら、花束ってキーワードを使った曲なら 清水翔太の「花束のかわりにメロディーを」のほうが数段良くできてる。 宇多田のメロディって洋楽アレルギーな日本人の 外人に対する劣等感を巧みについたものが多かったんだけど この「花束を君に」は、年下の外人男性掴まえて結婚したこともあるのか メロディがすごい王道のJポップになってるんだよね。 NHKの朝ドラを意識して奇をてらわず仕上げたって可能性があるとしても それでもこのクソつ
好きなミュージシャンは、ミスチル。 好きなゲームは、MOTHER2とクロノトリガー(どちらも続編はNO)。 好きな漫画は、スラムダンク。 好きなポケモンは、ピカチュウとミュウツー。 好きな食べ物は、ラーメンとからあげ。 好きな言語は、Common Lisp。 好きなおつまみは、枝豆。 好きな漫画は、スラムダンク。 好きな鉛筆は、三菱のハイユニ。 好きな小説家は、東野圭吾。 好きなエロ漫画家は、如月群真。 好きなスポーツは、サッカー。 どれもメジャーもメジャー、王道なものばっかりだ。 マイナーなものが好みの人が、正直うらやましい。 Rh-とか左利きみたいに、希少な人はそれだけでかっこいい。 それゆえに、本気でマイナーなものが好きなんか?かっこつけたいだけなんかじゃないか?と思うこともある。 そう思っちゃうのも、自分が王道作品が好きだからなんだろうけど。
http://anond.hatelabo.jp/20160306105341 他人の意見で恐縮だが、専門家の言葉で、自分の見解にも近いので。 春日太一『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮新書) P166~『悪の不在』より抜粋 近年の時代劇の脚本は、説明が過剰だ。それによる問題は、観客を飽きさせることだけではない。 登場人物の内面を片っ端から丁寧に描こうとする悪平等に作り手たちが陥っているから説明過剰になるのだが、 その結果、時代劇から《悪》がいなくなってしまった。そして、ドラマの焦点が散漫になり、盛り上がりに欠けるラストを迎えることになる。 たとえば、リメイク版『十三人~』(2010年公開)の暴君は最後に、自分を凶行に走らせるに至った 自身の心情を延々と主人公に語って聞かせた。あるいは、同年公開の『座頭市THE LAST』では、 漁民たちを苦しめる凶悪なヤクザの元締め(仲代達矢)と座頭市(香
いつから映画もドラマも漫画もアニメもゲームも勧善懲悪だらけになったんだろう 昔の日本人はもっと善悪の境が曖昧な、大人の作品を嗜んでいたように思う 今や大人でも子供向けのような単純な勧善懲悪ドラマしか見なくなっている 半沢直樹や下町ロケットを「時代劇のようだ」と褒める人間が居るが、要するに底が浅いだけだ いや、それ以前にそこで平気で使っている「時代劇」というイメージ自体が、水戸黄門だの遠山の金さんだののような俗悪なドラマのイメージだけで構成されてしまっている 本来の時代劇というのは歌舞伎や能のような、善悪だけでは捉えられない複雑な物語だったはずだ 日本に大衆文学というジャンルを確立させた大菩薩峠など、勧善懲悪どころか、勧悪懲善とさえ受け取られてしまいかねないすさまじい無常の作品だった 日本人が勧善懲悪ものを好むようになってから、日本人の議論がいつしか断定的で独善的なものにになったように感じら
https://www.facebook.com/jinichii/posts/952405481522310?pnref=story http://www.bokukoko.info/entry/2016/02/27/%E5%8B%89%E5%BC%B7%E4%BC%9A%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%AB%E3%82%BD%E3%83%B3%E9%81%8B%E5%96%B6%E8%80%85%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98%E3%80%81%E5%8F%82%E5%8A%A0%E3%81%AB%E3%81%AF%E6%96%99%E9%87%91%E3%81%A8 の話。 東京地検特捜部は29日、コンサルタント会社「UEエンジニアリング」(東京都港区)と、役員松沢弘康容疑者(39)を法人税法違反(脱税)で東京地裁に起訴した。共
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