ブックマーク / kokokubeta.livedoor.biz (8)

  • 広告β:批評に足る広告はなくなったか

    雑誌「広告批評」が来年休刊するようで、いろいろな広告系ブログで言及がある。自分はあまり熱心な読者でもなかったが、ちょっと気になった。思うに、広告の批評は広告プラン(ニング)に対してなされてきた。そして、広告プランニングが疎外されていくという状況の中で、対となる批評行為も成り立たなくなっていくかもしれない、という話だと思う。ここでいうプランニングとは、メディアプランニングだけでなくて、マーケティングやクリエイティブ開発全体を含んでいる。そして、これは業界全体に発生している構造問題だ。 プランニングというのはプランナーの労働に紐付いているので、マス向けだろうが、ネット向けだろうが一定の金額がかかる。で、もともとテレビ中心のマス広告の時代では、メディアの絶対金額が大きい=コミッションが大きいのでプランニングはタダ同然で提供しても十分に仕事が回った。いや、おつりが来た。悪意のある言い方をすると、

  • 広告β:アイデア出しと修行

    宗教などでよく聞く「修行」という言葉。 自分などは、反射的に「滝に打たれる感じ」を想起するのだが、 仏教ではもともと「歩くこと」という意味だったらしい。 歩くこと、といえば、アイデア出しの達人などは 散歩が好きで、歩いているときによく思いつくという話を聞く。 シャワーを浴びているときとか、トイレにいるときなどの意見も聞いた。 深く意識せずにできる(反復的な)行動を取っているときがよいらしい。 少し疑問がわく。 なんで、悟りたいのに、アイデアを出したいのに、歩く必要があるのか。 それに集中してはいけないのか。 もし、非常に「進歩的な」宗教者が出てきて、 いやあ悟りに修行は不要なんですよ、といったらどうだろう。 宗教に詳しくないが、もしかしたらそういう宗教はすでにあるのかも。 10万円出してこのを買えば、悟りに達しますよ、みたいな。 あるいは「歩かなくてもアイデア

  • 広告β:「私はいったいどうしたいのか?」

    最近、「広告嫌いの傾向」が非常に気になっている。 もちろん、これ自体は局所的に話題になっているだけかもしれないが、 企業・メディア側がコントロール権を徐々に失い、受け手である消費者側が 徐々に自分の手に入れるものをコントロール可能になってくるという流れがあり、 いままで声にならなかった声が大きくなってきたのだと考えている。 で、知りたいのは、消費者側は広告嫌いの先に何を見ているかということで、 それは「自分の与り知らぬところで勝手に物事を進めるな」に集約されるのでは ないかと思う。その決定権を、こちらに渡せ。つまり納得して動きたいというであり、 なにごとかの決定にあたっては、自分の思考を通したいということである。 そのこと自体には共感するところが多いし、確かに、興味のないものを見せたり 何かと煽ってくる広告というのは、邪魔なものだということはよくわかる。 (ちなみに今

  • 広告β:戦略の根拠は現状か、それとも目標か

    足し算の話を思い出した。海外の足し算の話。 例の、「□+□=4」みたいな穴の埋め方を計算させる、という方法。 どの程度海外でメジャーなのか、どの地域(国)で採用されているのか 詳しくは知らないのだけれど、こういう訓練がもたらす影響はなんだろう。 どこかの記事で、「自由に数字を入れるので個性をはぐくむ」と読んだ。 そういう考え方もあるだろうと思う。 筋の粗い仮説かとは思うのだけれど、こういう海外式の足し算は 演繹的な思考様式をはぐくむのにも最適なのかもしれないな、と思う。 演繹的な思考様式でいうと、まず目標があり(上記の足し算だと4)、 そのために何があればよいか、という考え方をすることになる。 逆に「1+3=□」みたいな足し算パターンでは、1と3から何が生まれるべきか、 という帰納的な思考様式に慣れ親しむのではないかと思われる。 ちょっと前に、mediologicさ

  • 広告β:語り部と胴元―物語ルールのクリエイティビティ対決

    RPGというゲームは、何らかのメッセージを伝えているだろうか。 個人的な経験から言うと、そうであるともいえるし、そうでないとも思う。 勇者がモンスターを倒し、お姫様を救うという物語があるとすれば、 これは勧善懲悪的なメッセージにつながるのかもしれない。 その一方で、弱いところから出発して、戦闘を重ねて強くなり、パーティを組む ルールがゲームにあるならば、そこから成長や協力を読み取ることもできる。 RPGにおいてメッセージ性を持たせる要素は、上述したような 物語要素とルール要素の絡み合いがもたらしていると考えられる。 私の属するようなオールド系広告会社というのは、仕事の半分以上を 「どういうメッセージを伝えるか」「メッセージを効果的にどう伝えるか」に割いている。 いわば、企業なり商品なりのよさを伝える、語り部としての機能である。 うまく物語をつむぐことによって、特定のメ

  • 広告β:最後の一歩は、相手に踏んでもらう

    職人のような、自分の仕事に対して自負の大きい(プライドの高い)人に対しては、 「こうしろ」的な指示がうまくいかない場合が多いという。 その人はそれでどうするのかというと、相手に「ほのめかす」のだそうだ。 8割くらいのヒントを出し、あとはその人が発見する(した)ように操作するという。 そうすることで、相手は自分で発見したのだと感じ、プライドを害することも あまりないということだ。 そのぐらいの絶妙なヒント出しというか、アシストの技術というものが重要だという。 それなりに一般的な手法かとは思うが、広告でもよく、その手法が使われる。 ひとつの例として、CAPE TIMESという新聞社の広告を挙げる。 「前日」(ニテンイチリュウさんより) 歴史的な大事件の、前日の様子を写した、何の変哲もない一枚の写真。 コピーは隅に小さく、「世界は一日で変わりうる。毎日の綿密なニュースを見逃

  • 広告β:ブログマーケティングは人材戦略

    最近、有名ブログで企業の商品を取り上げている記事があるのを目にします。 私の場合、その手の広告はすぐわかるので、読み飛ばします。 ブログを販売戦略の一環として位置づけているのでしょうが、こういう手法は リスクが大きい上にリターンもあまり見込めないと思うのですがどうなんでしょうか。 多分、ブロガーにとってもそれなりのリスクがあると思います。 ちょっと、有名ブログというものの存在意義について考え直してみます。 有名ブログの作者というのは、何によってそのブログを保っているかというと その記事です。そして、その記事に書かれている内容の、見識です。 もちろん海外サイトから面白記事を転載しているだけのブログもありますが、一部です。 そのブログを見ている閲覧者が求めているものも、見識です。 その見識に共感したり、触発されたりするのが閲覧者のモチベーションです。 ブログを使ってマーケ

  • 広告β:プレゼンを受ける側になって思う

    最近たまたま、他の人のプレゼンを見たり、自分がプレゼンを受ける側になる 機会に恵まれて、いろいろと学ぶことがあった。 今までも、同じチームの誰かがプレゼンをするのを横で見ている事は多かったけど、 それとは異なる観点でプレゼンを見られて、とても勉強になる。 いつかビデオカメラを買って、自分のプレゼンを録画して、冷静に見直したい。 スポーツ選手だって、自分のプレイをビデオにとって研究するわけだし。 (最近、やたらとスポーツでのトレーニング手法が気になるお年頃。) で、先日、比較的若い外部の人からのプレゼンを受けた。 普段自分がしょっちゅうプレゼンをしてるだけに、見る眼が厳しくなっている。 意外にいちばんひっかかったのは、その髪型だった。 なんというか、もこみち風というのか、ややジャニーズにも似た、 ミディアムロングくらいの髪型で、清潔感はあった。でも「頭がよさそうじゃない

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