これ、まじで面白くなると思うので、どっかが企画してやってくれないかな。 1.先手後手とも全ての駒が駒台にのった状態から開始する。 2.最初の20手ずつ、40手目までは、自陣に駒を打つことしかできない。 3.当然ながら二歩は禁止。また40手目までは歩よりまえに他の駒を打つことはできない。つまり二段目に歩を打ったら、その筋の三段目には駒を打てない。一段目に歩を打ったら、その筋に他の駒は打てない。他の駒の後ろに歩を打つこともできない。 4.41手目からは、普通の将棋のルールで開始。
これ、まじで面白くなると思うので、どっかが企画してやってくれないかな。 1.先手後手とも全ての駒が駒台にのった状態から開始する。 2.最初の20手ずつ、40手目までは、自陣に駒を打つことしかできない。 3.当然ながら二歩は禁止。また40手目までは歩よりまえに他の駒を打つことはできない。つまり二段目に歩を打ったら、その筋の三段目には駒を打てない。一段目に歩を打ったら、その筋に他の駒は打てない。他の駒の後ろに歩を打つこともできない。 4.41手目からは、普通の将棋のルールで開始。
自分はずっと普通の人間だと十九年間思ってきたわけだけど、 割と最近、「俺って頭いいのかもなぁ」ってそう思うようになってきた。 わかりやすいところで言うと学力がある。自分はなぜかやらなくてもできてしまう。 予習、復習もしてないし、ノートの取り方が上手いわけでも、特別な暗記術があるわけでもない。 普通にけっこう聞き流したり、よそ見していたり、落書きしたりしていても、 なぜか頭に入っていてテストで上位に入ってしまう。 それで塾とか予備校とか行ってる人を見ると「うーん、この人たち変なの」って思ってた。 「一年勉強して日大って……」と割と本気で思っている。 だって普通に一日八時間、いや六時間は勉強していたらもうちょっといいとこ受かるでしょう。 特別なことをするんじゃなくて普通に、例えば英語なら 単語、熟語、文法、構文を暗記していく。これだけだと思うんだけどね……。 といっても、このくらいの意見でもか
今日、最も印象に残った言葉。とある大学の先生の言だという。 「女を説得なんかできない。女を説得できると思っている時点で、お前はまだ若い」 仰るとおりです先生。 「説得」っていうのはつまり「理屈で攻める」であって、理屈の通用しない相手に向かって「説得」をしようってのは無茶である。 昨日の日記に照らすと僕はおそらく「説得できるような女」を求めているのであって、それというのはじつに無茶な要求であろう。 この言葉を教えてくれた相手が、もう一つ興味深い話をしてくれた。 それは「新興宗教にはまってしまった友人」の話。 彼は実際にその宗教団体を訪れ、儀式を見聞きし、「これはまずいだろう」と思って、友人を「説得」しようと試みたらしい。「これは真っ当な宗教じゃない。いわゆる“怪しげな新興宗教”だ」と。 が、「そういうことじゃないんだよなぁ」とか「やっぱり神ってのはいると思うし」とか、よくわからない、的外れな
あのなぁ、83年生まれってのはなあ、 バブルへの入り口付近で生を受け、 バブル絶頂期に幼少期を過ごし、 しかし自足歩行が板につくころにはバブルがはじけ、 大人がため息ばかりつくのを見ながら青年期に突入し、 ゆとり教育云々のニュースを尻目に古式ゆかしい受験戦争を戦って、 やっと入った大学では先輩たちの「昔はこうじゃなかった」という言葉を耳にたこができるほど聴き、 氷河期並と脅されながら就職活動に精を出し、 実際は氷河期ほどじゃなかったけどコミュニケーションがどうのこうのとか新奇な指標を持ち出されて閉口し、 やっと入った会社では団塊の世代を目の敵にしてたおっさん(今や大量退職で天下握って調子に乗ってる)にこき使われてる、 っていうまじで悲しい世代なんだよ。ちなみにいじましく過した青年期は通称「失われた10年」とか呼ばれる期間な。 わかるか? おれたちはバブルは知ってるけどバブルの楽しさは知らな
http://anond.hatelabo.jp/20091027181046 本屋に並ぶような物とタメを張る、だって? あれとタメ張るのが目標なんて言うんじゃ、まぁ、底が知れてるな。 今に限らず、ラノベは所詮、ラノベ。 多くの読者……オタクにとって、エロマンガと同等程度の地位のものでしかない。 書いてる方だって、本当は、下らないと思ってるよ。 それでも俺たちクリエイター系列の人間にとって、読者はお金を恵んでくれる有り難いお客様だからな。 ウケているものを分析して、ライトノベルサイトをチェックして、その結果出て来たのが 「読み易いというよりは子供でも読める文章」 「オタク的な一発ネタ」 「中高年のオタクから見た自己啓発・自己肯定」 「中流で育った中高年が望む『中高生』の姿」 ラノベで文章力なんかがウリになっている訳ないだろ。 ラノベサイトの奴ら、中学生の教科書に載ってるような小説程度で悲鳴
なんだかアルコール依存症の話で盛り上がってるみたいだけど、別にアルコールに限った問題でもないよね。 他の薬物依存でも、ギャンブル依存でも、セックス依存でも、宗教や自己啓発に関する依存でも、科学や常識、世間に関する依存でも。 人と依存はなかなか切り離せなくて、昔みたいに原始的な信仰や社会的規範に無批判に依存出来ない現在はやっぱり、人は何らかの依存症になりやすいんじゃないかとも思うし。 自らがすべてを管理出来るほど強い人間はなかなかいないという事なのかもしれないし。 そんな俺は数年前から心を病んでいて、中途半端な知識を入れてしまったせいで誰のせいにも出来ず、日々を誤魔化しながらアルコールの助けを借りるしかない。 メンタルヘルスの先生にも本音を話せないのだからどうしようもない。他者に転嫁する生き方も出来ない。 いっそ身体をこわして死ねたら楽なのかもしれないと思う。自殺は何度も考えるが、タブー感が
典型的な設定厨アイデア厨だったおれが、 なんとか物語らしきものを作れるようになったコツ。 誰かの役に立つかもしれんのでメモがてら残しておく。 物語の最小構成は「成功するか分からない目標に向かう主人公」だ。 わかりにくい書き方ですまない。ただ、起承転結とか序破急とか専門用語はいまいち何いってるのか分かんないんで、 それ系の参考書とか読みながら、たどり着いたシンプルな結論がこれなんだ。 オリジナルな考え方とかでもなく、専門書ならもっと詳しく丁寧に説明してくれてると思うんで興味があったら色々読んでみてくれ。 ざっと机にあった漫画とかDVDとかを例にあげてみる。 鋼の錬金術師:禁忌を犯して身体を失った主人公達が、自分たちの身体を取り戻そうとする話(最終的に身体が取り戻せるかどうかわからない) 大正野球娘:自分たちを女だからと馬鹿にする男達に野球で勝とうとする話(最終回まで、勝てるかどうか分からない
ぼくが大企業のえらいおじさんたちからおしえてもらったこと。 えらいおじさん達がその大企業に就職した当時はまだ屈指の企業ではなかったこと。 いま稼ぎ頭になっている事業は影もかたちもなかったこと。 有名な大学にいってあたまをさげて優秀な人材をあつめたこと。それでも門前払いをされたこと。 40年前に大企業といわれていた会社は今はほとんどが見る影もないこと。鉄鋼業の話とか。 会社が大きくなるいっぽう人材が不足していたから若くても裁量があたえられたこと。 今一番と呼ばれる会社にはいっても成功体験はできないこと。 若いうちの経験や体験は人脈よりも大切であること。 人脈は社内につくるものではないということ。 ぼくが大企業にはいって偉いひとになるころにはそれは違う会社だし、とりまく世界も違うものだよということ。 ひとつのことをやりつづけているやつは成功する。よくみておけということ。 ユニーク(独特)なやつ
エヴァンゲリオンの新しいやつ見てきた なんとなく思ったんだけどさ、90年代って絶望すら多くの人が共有できていた時代だったんだと思った 自分の身の破滅は、まだ世界の破滅とリンクしていた それに比べると、00年代というのは平和になったような気がする でもそれは平和になったのではなくて、単に共有されなくなっただけ 自分の身が破滅しても、世界は破滅しない ただそれだけのことなんだよね ゲイネタが蔓延し、フェミニズムが台頭し、 オタク達は三次元の女は気持ち悪いと言って、めがねっことか絶対領域とか、過度に記号化されたフェチズムを局所的に消費する。 オリコンに価値が無くなり、100万人が買うCDではなく、千人や1万人が見る動画が消費される。 この社会には理解できないものが大量にあり、気持ち悪い物もあるかもしれないけど、そんななかでもやっていくしか仕方なくて、 生きることは自己責任であり、生活ができなくな
ちょっと思ったのは、タイトルの通り。 ラーメン屋での接客に怒るなよ。いい接客期待するならそれなりの店行けよ。 飛行機が欠航したってカウンターで文句言うなよ、みっともない。商談が潰れたから保証しろだって?そんなん保証する前提だったら飛行機のチケットがバカ高くなるわ。 電車だって初乗り120円くらいのもんなんだから、時々止まったり、遅れたり、時には盛大に事故おこしても当然だろ? 電車内で携帯使ってるやつや騒がしい子供に切れるなら、お抱えの運転手つけてリムジン乗れば静かだよ。 で、だ。 金も払ってない、払っててもちょっとのサービスなんか止まったって当然だろ? すげー金かけた、みずほ銀のシステムだって、年金システムだっておかしくなるんだから。 文句あるなら自分でサーバー立てて技術者やとえばいいじゃねぇか。 多くのね、ユーザーは、実は優しいのよ。 サーバー止まっても「いつも利用させてもらってありがと
http://www.moedb.net/articles/1231348142-%E4%BA%BA%E5%A6%BB%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E3%81%8C%E5%A4%89%E3%82%8F%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F.html エロ雑誌に始まりエロ小説まで、官能文学の編集を長年務めてきたIさんと先日、お話する機会があった。もう70歳を過ぎているが、今もフリーランスで現役だ。仕事も女も。 そのIさんが言うに、人妻もの作品に対する若い読者の反応が、このところ変わってきたんだそうな。ちなみに彼の言う「若者」は、おおむね30歳以下を指すらしい。 昔から「一盗、二婢、三娼」と言うように、他人様の奥方に手をつけるのは男にとって無上の悦び。だからこそ、人妻ものは官能文学の主流に近い位置を占めてきた。ところが、バブルが崩壊した十数年前くらいか
まさか自分がこうなろうとは。 今から大学院へ行こうか、また大学や大学院を中退しようか考えている方のために書きたいと思います。 あらかじめ断っておきますが、自分の主観が大きく入っているので、 この記事を読まれる個々人の状況により解決策は異なることと思います。 しかしそれでもこの体験は多くの理系大学院で起こりうるものであることと思います。 私の在籍していた大学私は中堅国立大学の理系大学院へ進学しました。 私が通っていた大学は4年生になった時から研究室への所属が決まります。 しかしながら、研究室というものには人数の定員があり、思ったところへ行けませんでした。 私の所属が決まった研究室は学校の中でもトップクラスの場所でした。 優秀な学生は自ら名乗りを上げ、大学院入試の際は外部の大学から受けに来られる方もいるくらいの場所でした。 そんな中で私もこれはそういう運命なのだと、やる気に満ちてがんばっていま
家族・親類とは出来るだけ連絡をとりたくない。 友達とはお互い迷惑をかけない程度の付き合いがいい。 せめて仕事以外は独りで、のんびり自由気ままに暮らしたい。 でも孤独死はしたくない。 腐乱死体になる前に、誰かに諸々の手続きなどをしてほしい。 周囲に迷惑をかけずにひっそり独りで死にたい。 そんな人のためのサービスってないんだろうか。 年齢や健康状態に応じて、生存確認だけを連絡して、 音信不通になった時だけ安否を確かめてくれて、 死んでいた場合はだまって事務的に手続きをしてくれる。 死亡時手続き代行料+月額利用料とかで。 具体的サービス内容はここでは詳しく考えないけど、 ビジネスとしては成り立たないのだろうか。 あれば将来は是非とも登録したいなあ。
つくづく感じることなんだけど、 あいつらってロボット? ハンバーガー屋とかでもそうだけど、「思考」ってものを忘れてるよな。考えない葦だぜ。 卵が先か鶏が先か知らないけど、たしかにあの仕事にクリエイティブな思考はあまりいらない。 もちろんクリエイティブな思考ができるやつは仕事もよくできていい評価をもらえる。 でも「必須」じゃないよな、クリエイティブな思考なんてなくてもあの仕事ってしていけるし。 で、思うのよ俺。 あーゆー仕事は「必ずオートメーション化されるな」って。 「スマイル0円」っていうくらい笑顔を振りまきたい店もあるって聞くし、 「ありがとう」を言うためにあえて券売機を置かない牛丼屋もあるらしい。 でもさ、その発想とか思想はすんばらしいんだけどさ、 やってるやつらの行動がついていってないよな。全然ダメ。ロボット同然。 これって考えてみたら、客のほうが店員に人間らしさを求めてないってこと
2007年10月、某心療内科にてうつ病であると診断される。 以下その原因と考えられる過去の事象、及び現在進行形で起きている事柄を可能な限り客観的に記述する事で自分自身の再確認を図りたい。 家族構成厳格な父と、息子を溺愛する母の間に一人息子として生まれる。 両親は婚姻届を出しておらず、私は戸籍上は母の私生児である。 理由は「社会的な規則に縛られない愛の形を体現したい。」という思いから。 つまり、二人は典型的なヒッピーカルチャーの申し子であり、フラワーチルドレンであった。 父厳格、恐怖、威圧的、尊敬。 元ラグビー部員でスポーツマン。 映像に関する仕事。 母優しい、甘い、溺愛、奔放、社交的。 衣類に関する仕事。多忙。我が家の収入の殆どは母が支えていた。 誰からも愛されるような人物。 幼少時代二人とも多忙であったため、家族が揃う事は稀であった。 それでも私は母がいればよかったのだが、母も出張等で多
パリスとあたしの違いはカメラがついてきてるかどうかだけだ。そう叫んで自殺した少女も日本に生まれていれば、人生を謳歌できていたかもしれない。 確かに一歩目はブログだった。しかし、その次の飛躍はケータイ小説が成したものだ。ブログによって引き下げられた記述することに対する障壁を、情動のスイッチを押すことに特化した一群の物語が完膚なきまでに破壊した。ケータイ小説は赤潮のように繁殖した。その作り手であるケータイ小説家もまた。 いまやケータイ小説の消費者のほとんどが生産者であった。創作されたケータイ小説はまず周囲の友人達によって読まれ、そのほとんどがそこで停止するものの、稀に口コミで広まり一般文芸にはありえない形のヒット飛ばすこともあった。そして、ヒット作の周囲には多くの模倣が生まれ、そのミームは拡散し浸透した。この文化の担い手は主に少女達であったが、彼女達にとって今や物語はコミュニケーション上で通貨
6,7年前、メールマガジンを発行していた。 ちょっと不思議なショートストーリー系。 宣伝はほとんどしなかったけれど、それでも200人近くの読者が読んでくれていた。 1年間、毎週発行。 飽き性の自分にしてはよくやったものだと思う。 しかし就職活動が忙しくなってくると、なかなか発行できなくなっていった。 来週こそは「お休みしてすみません」の言葉とともに、再開しよう。 そう考えていたが、就職が決まると今度は慣れない社会人生活が始まり、 結局そのままにしておいてしまった。 しばらくして、感想用のアドレスに一通のメールが来た。 同じくショートストーリーのメルマガを発行していた人からだった。 「もう、書かれないんですか?」 返事が書けなかった。 その頃はショートストーリーを考える余裕もなくなっていて、もう再開はできないと考えていた。 フェイドアウトが理想だった。 結局僕は、メールマガジンの発行とともに
匿名の臆病者なのでhttp://d.hatena.ne.jp/sjs7/20070613/1181743125を読んで思ったことを増田に書く この記事ではまるで政治活動があったから自治活動が潰れたと言っているが、それは全くのデタラメだろう。不透明な資金の流れはどんな団体でも起こりえるし、実際に潰したのは大学当局だし、一つの自治会がダメだっただけで他の全ての自治会がダメだとレッテル貼りをするのは単なるその話を聞く学生の馬鹿さ加減が原因だ。だがしかし何故その様な政治活動を否定する為のデタラメ論理が構築されなければならなかったのだろうか? いわゆる自治会潰しの時代、1997年前後に早稲田大学に通っていた学生は、学校側の自治会潰しをそれほど問題視していなかったように記憶している。自治会の大半が某新左翼のフロント団体みたいなものだ、というのはほとんどの学生にとっては常識で(っていうか、さっきまで自治
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