晩ご飯のあと、ごろんと寝ころんだら書棚にあった『貧困を救うのは、社会保障政策か、ベーシック・インカムか』(山森亮・橘木俊詔、人文書院、2009)という本の背表紙が眼に入った。 そのまま手を伸ばして読み始める。 書架というのはこういうときに便利である。 読み始めたらおもしろくて、最後まで読んでしまった。 橘木さんは67歳の経済学者、山森先生は40歳の社会政策学者。学問的なアプローチも、ものの考え方もずいぶん違うけれど、きちんとした対話になっている。 相手と意見が違うときも、ふたりとも遠慮なく「私はそうは思いません」と言うけれど、それはたいていの場合、相手の発語を塞ぐというより、「それ、私にもあなたにも、どちらにもわからないことでしょう」という表示である。 過去の事例だけれど、まだ成否の検証が済んでいない政策と、未来予測に属する政策については、「私はあなたと評価を異にする」ということを表明して
『日本辺境論』の書評がだいぶ前の「赤旗」に出ていた(昨日、アダチさんがファックスしてくれた)。 いろいろな媒体に取り上げられたけれど、「赤旗」とはね・・・ 代々木の(けっこう)えらい党員知識人であるところのワルモノ先生と共著で『若者よ、マルクスを読もう!』(仮題)を執筆中であることは党本部のすでに知るところであろうから、「ウチダ本は代々木的には OK」というご判断がくだったのかも知れない。 私は右も左もなく、頼まれればほいほい寄稿する。 国民協会でも(ボツになっちゃったけど)、『第三文明』でも、『月刊・社民』でも、『赤旗』でも、身体が空いていれば、取材も寄稿も「いいすよ」と引き受ける。 私は政治イデオロギーによって人を差別しない。 人々が固有の政治イデオロギーを奉ずるに至るには、余人には窺い知れぬ個人的ご事情というものがあって、それはやはりできる限り配慮せねばならないと思うからである。 そ
今のうちに宣言しておくがもしブロガー将棋大会なんてものが行なわれるとしても私は絶対に出ない。もし出て自分の棋譜がネット上に晒されたら、もう恥ずかしくて二度と将棋のことを書くことができなくなってしまう。それくらいヘボなので絶対に出ないよ。 でも、ヘボでもプロの将棋を鑑賞して楽しむことはできる。大きな対局では棋譜中継というのがあって、ブラウザから解説付きでリアルタイムの棋譜を見ることができる。Kifu for iPhone というソフトを使うと、iPhoneから見ることもできる。 当然、盤面だけを見てもチンプンカンプンなのだが、プロ棋士の解説がつくと、単に勝ってる負けてるだけはなくて、何が争点になって、それがどういうふうに推移していくかよくわかる。勝負の決め手となる重要な場面で何が起きたのかもだいたいわかる。 電車の中でワクワクしながら、固唾をのんでiPhoneを見てたりして、「本当にいい時代
東大准教授「なぜ日本人は労働に人生を捧げるのか?過労死とかあり得んだろ常識的に」 Tweet 1 名前: イカ巻き(大阪府)[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 23:04:28.09 ID:PBMYrjX1 BE:653654063-PLT(12056) ポイント特典 社会のなかで「希望」を考える際に、希望を失った層について分析することが不可欠だ。 昭和40年代半ばから現れ始めたとされる「ひきこもり」の人たちや、長期間、定職を持たず アルバイトを繰り返すフリーターと呼ばれる人たちのなかにも、「希望を持たない人」が 多くいる。 ひきこもりに詳しい大阪大非常勤講師の井出草平氏(29)=社会学=は「ひきこもりの 自殺のことを最近、聞くようになった」という。 ひきこもりは、いまや数十万人の規模と概算されている。昭和40年代前半に生まれた 「ひきこもり第一世代」が40〜45歳になった。
国母の件について。 この話ってつまるところ、「公の場にはどんな服装が好ましいか?」という個人の価値観に集約されるのよね。で、個人の価値観故に人それぞれバラバラであり、それぞれが正しさを主張する。それぞれに正しいとすべき理由があり、その理由が正しければ、服装に対する結論=国母の服装アリナシも自動的に正しい。 なんなんだ、このバカわ!? 「公の場」における「価値観」は「公」が決めるのだ。「バラバラ」なものから「どんな服装が好ましいか」を決めることなど不可能に決まっているではないか。「自動的に正しい」か否かは、あくまでも「個人の価値観」においての話に過ぎず、それをさておいた上で「公の場」にふさわしいと定められたもののみが「公の場」では「正しい」のだ。 これこそ個性尊重主義に毒された「世界にひとつだけの花」症候群罹患者の戯言である。このバカの戯言は「公」を舐めきっていた国母と同じだ。仮にJOCだか
クレオール言語(クレオールげんご、英: creole language)とは、意思疎通ができない異なる言語圏の間で交易を行う際、商人らなどの間で自然に作り上げられた言語(ピジン言語)が、その話者達の子供たちの世代で母語として話されるようになった言語を指す。公用語や共通語として使用されている国・地域もある。 概要[編集] クレオール言語はピジン言語が定着して母語化したものであり、形態が劇的に単純化しているという点で、親言語の複雑な屈折を保っている混合言語(混成言語)とは異なる。 ピジン言語では文法の発達が不十分で発音・語彙も個人差が大きく、複雑な意思疎通が不可能なのに対し、クレオール言語の段階ではそれらの要素が発達・統一され、複雑な意思疎通が可能になる。また、クレオールはピジンと違い、完成された言語である。 また、日本語も北方系言語(アルタイ語族)と南方系言語(オーストロネシア語族)が混合し
人間の社会はニセ科学批判に耐えられるのかなあ? 「ニセ科学批判」という運動は、根本的に正しいことを言っているのだが、根本的に難しい要素を含んでいる。難しい要素というのは、「人間社会がそもそもニセ科学的」であるという点に尽きる。 * なぜ人間社会がニセ科学的であるかといえば、人間の脳が致命的にニセ科学的であるからだ。つまり、 ○ 知っている範囲の知識を援用して、手当たり次第に「原因」と「結果」を捏造して、その仮定の下に行動する。 ○ 一度仮定を組み立てたら、よほど個人的に手痛い反証を受けない限り、その仮定を維持し続ける。 ○ 仮定に個人的な手痛い体験の反証が加わらない限り、スキあらばその仮定をもっともらしく他人に「教えて」伝えようとする。 人類始まってから、こういう「ニセ科学的な行動」というのは続いてきた。この膨大な歴史に比べると、近代科学の歴史など皮一枚に過ぎない。このシステムは、古くは占
わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……
投稿日:2010-02-05 検察が嫌がっていたのはこれか? 可視化法案、今国会提出を検討=輿石氏「国民は民主激励」 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201001/2010012000399 これの議連が活動を停止するは、法案提出を先送りするは、露骨である。 これだけではないだろうが。今後の報道(と報道されないこと)が恐ろしい。 小沢対検察、お互いに喉元に剣先を突き付けあっている状態か。 こういうときは、油断したほうが負けるのである。 検察審査会が起訴に踏み切るかよりも、世論と永田町と霞ヶ関の動きの方が気になるが。 私の昔の愛読書が大橋武夫先生(元帝国陸軍参謀)の『兵法経営』シリーズなのだが、今のような状態を「勝敗分岐点」と呼ぶらしい。 戦場で最も人が死ぬのは追撃戦である。 勝っているのに撤退して最後は滅ぼされてしまった信長包囲網における朝倉義景もいれば、 負けたと
2010年02月04日23:30 カテゴリ書評/画評/品評SciTech 真の「普通」 - 書評 - 未来思考 10年先を読む「統計力」 出版社より献本御礼。 未来思考 10年先を読む「統計力」 神永正博 今回も素晴らしい出来。本書が普通に読まれるのであれば、この国の未来は、よい意味で著者を裏切ることとなるだろう。すなわち明るい。 裏を返すと、本書のあり方が普通にならない場合、この国は著者が読んだ通りとなるだろう。 そう、普通。 「ふつう」とは似てて異なる「普通」とは一体なんなのだろうか。本書を片手に考えてみたい。 前著「不透明な時代を見抜く「統計思考力」」が「統計で何が見えるか」を説いたのに対し、本書「未来思考 10年先を読む「統計力」」は「それで日本を見てみるとどう見えるのか」を著した一冊。 目次 - Masahiro Kaminaga's Weblog: 未来思考より プロローグ P
鳩山首相「労働なき富は社会的大罪」 1 名前: 霧箱(北海道):2010/01/29(金) 16:10:43.58 ID:pjrB+wsR ?PLT 鳩山首相:「労働なき富」は社会的大罪、ガンジー引用−施政方針 1月29日(ブルームバーグ):鳩山由紀夫首相は29日午後の衆院本会議で就任後初の施政方針演説を行った。行き過ぎた「道徳なき商業」「労働なき富」を制御していくための理念と哲学が問われていると指摘した上で、これらを「社会的大罪」と位置付けたインドの独立運動指導者、マハトマ・ガンジーの言葉は現代社会の問題を鋭く言い当てていると賞賛した。 http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920010&sid=arxGiNFsMwaw 「理念なき政治、労働なき富…」。鳩山由紀夫首相が29日の施政方針演説で インド 独立の父、マハトマ・ガンジーの「七つの社
寝坊した。産経新聞一面の梅田さんのコラムが興味深いものだった。思索を深化させていくと逆に読む人が限定されていく。その限定を緩和させると、単純化・図式化が進む。しかたがないとは言える。ネットに掲載されているかと見るとあった(参照)。この問題視点は難しい。 これからのウェブ世界は、こうした欧米の価値観やイデオロギーに強く牽引(けんいん)された「共有地たるグローバルウェブ」(主に英語圏)と、「政治体制や文化・言語圏に閉ざされたローカルウェブ」がせめぎあい、分断されて林立する時代を迎えるのであろう。グーグル中国問題は、そんな21世紀のウェブ進化のひとつの方向性を示唆するものである。 私の考えでは、Google+英語がもたらすインパクトは、文化圏や政治体制のクローズにおけるダイコトミーとは完全に重ならない。私の思索のキーワード「滑らかな浸潤」をふと想起するが、そこまではわからない。ただ、Google
わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……
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