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2012年5月8日のブックマーク (13件)

  • 自分を騙すための微妙な嘘について - finalventの日記

    詳しくは書かない。詳しくは書けない。 自殺の多くが、実際には、意識内の他者性の分裂で、その他者から死を命じられるものではないかと、ちと書いた、その補足。 人の意識というのは無意識の大海を小舟のようにたゆたっているように私は思う、というか、私は自分の意識の大半は無意識だと思うし、無意識というのは身体(内臓とかも)の意識でもあるし、それは私の祖先たちがある意味で生きて意識している場でもあるとは思う。まあ、キンモーなこと書いているようだが、これは慣れるととても自然なもの。 ほいで、意識を静かに見ているというか、静かでなくてもいいのだけど、意識のなかで、抑、嫌悪、恐怖、孤独、悲痛、自己憐憫、といったある感情=存在があるとき、それは意識のなかで、自我意識がそれを対象化していることの告知として現れる。 ところがこうした初存在はある気分のようなものに包まれていて、まあ、ハイデガーのいう気分とは存在なの

    自分を騙すための微妙な嘘について - finalventの日記
  • 私は自殺というのは概ね運命だと思う - finalventの日記

    自殺には、死もそうなのだが、2つの相がある。私が自殺するか、私ではない誰かが自殺するか。 もちろん、その中間、私が大切な人が自殺する、というのがあり、それが実は一番大きな問題だし、残された人にとって傷をもたらす。その意味で、たぶん、自殺というのはそこが問題なのだろうと思うが、そこは、あえてここでは書かない。 私が自殺するについては、少しわかったことがある。というか、あまり一般化はできないのだが、3つ。静かに自滅するか、意図として死ぬか、あるいは内的には殺されるか。その3番目が大きな問題で、かなりの多数の自殺が、実は内的には、殺されているのだろう。死にたいという欲望というように「私」の「欲望」としては現れないある他者性なのだろうと思う。(意識内が他者性に分裂して死を命じているような状態。) その意味で、私が自殺するかしないかは、私のなかで死を誘発するような意識性を他者として疎外させるかどうか

    私は自殺というのは概ね運命だと思う - finalventの日記
  • 言っても誤解されるだけだが - finalventの日記

    私は沖縄で死ぬつもりだった。(自殺という意味ではないが。) 日から離れてしまいたかった。 (日人であることが日にいて意識されるかどうかまた他民族と向き合わずに意識されるかといった議論など率直に言えば無意味だと思う。というか、日の外に向き合う意志のなかでしか意識の意味はないだろう。) 運命が私を日に引き戻した。 そうしてみて、かつてのその時について、私の運命が沖縄に行くことを命じたのだとしか内的に理解できなくなった。それを主観と言う? 他者がそう言うことなど私にはなんの意味もない。主観と運命の自覚の差を理解しえない人間になにが言い得ようか。 沖縄の海は美しかった。私は今生においてまたこの海に巡り会ったように思った。そして、実質日に帰りえないことを静かに了解していた。 しかし、私はある晩秋に日の地に戻っていた。日の秋の光景は美しく、私は泣いた。

    言っても誤解されるだけだが - finalventの日記
  • 一種の中2病みたいなものだが…… - finalventの日記

    昔、こう悩んでいたことがあった。キリスト教が正しくそれを布教することに意味があるなら、キリスト以前に生まれた人や布教以前に生まれた人はどうか? ばかばかしい問題なのだが、後年、これはけっこう西洋ではマジな問いかけになっていることを知り、いろいろ議論を追って面白かった。ごく簡単にいえば、そんなくだらねー問題をマジで議論していた人たちがいるんだなみたいな。 さらにその後というか、神学みたいのを少し学んでいるころ、カトリックの神学だったが、キリストと布教の関係を、布教するされるという関係性を、逆転して捕らえる考え方があり、興味引かれたことがある。結論を先にいえば、キリストという他者は、布教される側のなかに現れるというものだった。 さらにその後というかその前後というかパウル・ティリヒの神学を学びつつ、彼が実は、自身の組織神学を晩年超越していく姿を少し知り、そして彼の世界宗教という考えに興味引かれた

    一種の中2病みたいなものだが…… - finalventの日記
  • それはすごく違うんですけど - finalventの日記

    たぶん通じないと思うが。 今頃見たのでちょっと。 ⇒2006-11-02 : おしゃべりSchwaetzerの飲んだくれな毎日 という断定は、どう読んでも、あくまでもfinalventさんの主観でしかない。主観と言って適切でなければ、思い入れ、あるいは熱い想い。そういうところから、「私は彼らの思いをどうくみ取ってその裔に伝えるだろうか」というfinalventさんの吐露がでてくる。 主観云々のところは、まあ、なんというか、長い議論になるので割愛。 「存在の規定」からも、もっとはっきりわかります。そこから出発して、そのような規定を(いわば勝手に)父祖に当てはめつつ書き手の熱い想いを託している。あるいは熱い想いがあるからこそ父祖にまでさかのぼって想像した上で詠嘆する。なるほどfinalventさんの立ち位置はここにあるのだ、ということがよくわかるわけです。 で、これはすごい誤解だなぁ、しかし、

    それはすごく違うんですけど - finalventの日記
  • 死にたい若い頃 - finalventの日記

    この話はなんども書いたような気がする。 生きているか死んでしまったかというのはけっこう偶然だったりするし、なかなか、その後の人生というのはむずかしい。 どう考えても、生きることに適性のない人間というのがいるとしか思えない。というか、これはけっこう薄く広がっており、多層的な生活能力で覆われているのだろう。うまくいえないが、そう少数の分布ではないのだろう。 とか思うのは、なぜ人は、救済だの宗教だのを求めるのだろう。こんなことを私が言うと苦笑される人もいるだろうがまあ、苦笑されるかたは私がどれほど反宗教的な人かわかってないのだろうと思うのでしかたがない。安易に理解してくれとも思わないし、率直に言って理解しないでよいとも思わないのはこんなことをうじゃっと書いていることでもわかる。ま、私は世界の片隅で孤独を叫ぶではある。 で。こういう宗教だの盲信だのに少なからぬ人が精神支配されている、というのは、そ

    死にたい若い頃 - finalventの日記
  • 人生と悔い - finalventの日記

    ⇒「人生に悔いはありません」女子大生2人が飛び降り心中:社会:スポーツ報知 窓の近くには、リポート用紙に手書きで、2人の署名入りの遺書が見つかった。「人生に悔いはありません」などと書かれていた。 まあ、その先生きると悔いばかりっていうのはあるかもだし、若いときが一番ある意味で自死に近い、でもないか。 人生もケツが数えられるようになると、悔いとか考えているのもなぁになってくる。 まあ、悔いという思いの色合いが違うのだが。 そのあたり、婆ぁになるまで生きてみ、と思う、生きられるなら。

    人生と悔い - finalventの日記
  • ま、ざっくり - finalventの日記

    にしてもというか吉は端っこだが、国家論、国家権力の起源論、というのは、どうもなんか前提そのものが変だという感じはしている。軍事力や権力の概念が違っているというか抽象的すぎる。 むしろ、貨幣=信用の公義というとこで王権が特徴付けられるではないか。これはちょっと誤解を招きやすいが、つまり、そこから王権ができるわけではない。 ユダヤ、ソグド、イスラム……これに、近江商人を入れてもいいと思うのだが、内的な公義によって信用と遅延のシステムができあがり、市場は彼らへの依存によって動く。この場合、地方の小さな王権は、商業システムのなかで均衡することで、いわば、公義を市場に搾取されることになる。 絶対王制は逆に、この信用の公義が王権化したものだろうし、現代社会はけっこうそれっぽい。 ま、で。 ざっくりの部分だが。 たぶん、女系社会(系は関係ないが)、女が子を産み育て、生存を維持再生産されるところに、

    ま、ざっくり - finalventの日記
  • finalventの日記 - 経済成長…… 価値=カネ=マンコ

    ま、これは概念装置をどう扱うかで、ま、いろんな議論ができる、っていうか、サミュエルソンあたりをベースにしないとしっちゃかめっちゃか(死語)だが、しっちゃかめっちゃかが面白いっていうか。 で。 ま、与太と断り書きしてだな。 なにが成長するかというと、価値か貨幣か? もちろん、貨幣は、市場から価値をリフレクトされる。っていうか、貨幣価値の問題。 では、じゃ、価値そのものってなんだ?と。マクドのバーガーかよと。 で、概念装置というか方法論というか、価値っていうのは、それ自体を扱わないし、扱えないことにして線路は続くよどこまでもである。 で、も。 価値=カネ=マンコ、ですてば。 イケメンなら、マンコ、0円。 それが、キモメンなら、マンコ、10000円です。 で、そのマンコ=10000円のために、キモメンが対価とするのが労働。 っていうか、普通市場を介するときは、サービスの交換から抽象されるのが労働

    finalventの日記 - 経済成長…… 価値=カネ=マンコ
  • 景気の話 - finalventの日記

    なんつうか。ま、与太話ってことで。 きっかけは⇒404 Blog Not Found:もう景気はいいから 弾さんが書いているとこういう話も笑って読めるみたいなところがある。引かれているこれも、たははというのはある。ブログの世界は意外な性善説の世界である、Web2.0だし。 たはははこれ⇒大西 宏のマーケティング・エッセンス:景気が悪いという巷の声は当たっているが まあ、私なんぞも、経済音痴というか、どうでもよろしの部類であろう、ってことで、与太話にちょっとだけ参入。 景気というのはグロスの効果と、実際の生活の消費の部分があって、後者は給料前のセブンイレブンの売り上げは低いとかとかとか。まあ、これは生活実感。ただ、これらの動くお金はただマーケットのスケールに依存するだけのこと。っていうか、デフレが進めば実質の可処分所得は上がっているに等しいので、生活の苦しさというは、意外とない、とまでいいき

    景気の話 - finalventの日記
  • サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ

    サービス終了のお知らせ NAVERまとめは2020年9月30日をもちましてサービス終了いたしました。 約11年間、NAVERまとめをご利用・ご愛顧いただき誠にありがとうございました。

  • Discover Japan

  • What's the story of the next decade? The rebirth of Japan | Will Hutton

    It is a small thing, but it says a lot about the country. At Tokyo's Narita airport, when you take off your shoes at the security screening check, the guard hands you a pair of leather slippers. The message is obvious: this airport cares for your wellbeing and recognises your need. In Japan, taxi doors swing open automatically; toilet seats are electronically warmed and cleaned; and the extraordin

    What's the story of the next decade? The rebirth of Japan | Will Hutton