キジ焼き丼とおばんざい シンプルな我が家の定番のおばんざいたち 赤梅酢の新生姜漬け 昨夜は香ばしいきじ焼き丼に添えて。大きめにカットした鶏とししとうを魚グリルでこんがり焼く。 タレをつけながら煙モクモク、焼き鳥屋さんみたいな香ばしい香りがキッチンいっぱいに広がります 磯の味も…
1 精神分析については、これまで何度か(こことかこことか)違和感を表明してきたのだけれど、この際はっきり言っておこう。 精神分析が苦手だ。 こんなことを言うと、それでも精神科医かと呆れられるかもしれないが、苦手なものは仕方がない。 香山リカとか斎藤環といったマスコミによく登場する精神科医は、わりと精神分析に好意的な人が多いようで、ときどき分析用語を使って社会現象や犯罪者の心理を論じたりしているんだけど、私自身はそういう議論が嫌いである。それをやれば、なんだか人間の心理が解き明かされたような気になるし、頭がよさそうに見えることはわかっているのだが、それでは本当に物事を理解したことにはならないと思うのだ。 もちろんマスコミへのコメントというのは本来そういうものだ。どんな事件に対しても充分な情報を得ることなど不可能である以上、「私にはよくわからない」という態度がもっとも誠実なことは明らかだが、そ
情報はタダではない インターネット情報は無料が当たり前。しかし、その裏に収益構造あり・・・。 「情報はタダではありません。」くしくも畑違いの二人の方から同じような言葉を聞きました。確かにそのとおりです。タダだと思っている情報の場合、その裏には何かが隠されているか、それとも情報の質が悪いかのどちらかです。質のよい情報を得るためにはそれなりの対価を払わなければならないはずです。 ある患者さんから「ある医師に電話で相談したら、少ししか話さなかったのに金を払わされた。」という話を聞きました。初診の患者でなければ、電話による再診が認められるはずだから、その医師の対応は決して間違ってはいません。おそらくその患者さんは近所の人に相談するような気軽な気持ちで医師に電話したのでしょう。医療関係者でない普通の人のアドバイスとプロフェッショナルである医師のそれとではその情報の質が全く異なります。この違いについて
十代後半から二十歳代にかけては、自分の将来に対して「こうなりたい」という大きな目標をいつも掲げては挫折を繰り返し、結局、「さえない自分」でしかない現状にため息をつく日々でした。それなりに仕事でお金はもらっていたし、人づきあいも楽しんではいたけれど、自分の「なりたい」からは程遠く、そんな状況に対して常にジレンマ、焦りを抱いていました。三十歳の頃、自分よりも何倍も強い意志を持ち、掲げた目標に対して努力を惜しまずに猛進していく人たちと出会う機会がありました(その代表格は結婚した相手です)。その人たちとの出会いによって、これまでの自分がなぜ「さえなかったか」が手に取るように分かり、自分の中にあった意味のないプライドがズタズタに引き裂かれました。ああなんだ、自分は身の程をわきまえず、根拠のない自信ばかり持って高い目標を掲げ、それに対して努力もせず、目先の快楽に走る日々を送っていた軟弱者だったんだ。学
いわゆる近代批評の部分確立した小林秀雄というのは「モーツアルト」で終わりなんですよ。 あるいはその延長というか。「ゴッホの手紙」とかけっこうどうでもいい。 その意味ではこれが必読ですよ。 小林秀雄: 江藤 淳 小林が長谷川泰子関連のどたばたで自殺しようとした遺書まで含まれていて、そのあたりは圧巻です。よく小林がこれを公開したものだというか、このころ小林は江藤に賭けていた部分もあったのかと思う。 ただ、江藤のこの作品は、作品としてみると、けっこうとほほ。 この問題はこれとも関連。 これ⇒極東ブログ: [書評]中原中也との愛 ゆきてかへらぬ(長谷川泰子・村上護) で。 と、ちょっとウィキペディアを見たら苦笑⇒小林秀雄 (批評家) - Wikipedia 小林秀雄の真価はむしろ、ドストエフスキイ論から始まる。 これね⇒「 ドストエフスキイの生活: 本: 小林 秀雄」 これがどのくらいすごい問題を
その人が、どのくらいの人をどのように統率できるか。 どのようにが難しい場合は、人数で考える。 普通の人は3人くらい。 7人統率できれば、頭の良さというのがある。 40人統率できれば、食っていける。 100人統率できるなら、社会貢献しろ。 500人統率できるなら、シャッチョさんか小型新興宗教教祖。 2000人統率できるなら、政治家。 まあ、40人を越えるあたりから、頭が良いといってもいい。 そんなの頭いいのと関係ないじゃんとか言う人、頭悪すぎ。 げー、それじゃ、煎餅様とか頭いいわけとか、批判する人、頭悪すぎ。 自分が嫌だと思う相手でも頭のいいやつはいるのであって、そのことを認めることができない時点で、頭悪いよ。
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 何か前回の記事が色々話題を集めてて、それはそれで良いんだけど、どうもこの記事だけだと議論が泥沼化していく気がする。議論するのは良いけど、それが泥沼化するのはやっぱり面倒だ。 というわけでちょっと議論を転進(「退却」じゃないよ、「転進」だからね!)させるためにも、ちょっと角度を変えて、↓のエントリーの文から、この「塾・慣用句・多数派原理主義」について論じてみる。 みやきち日記 - [雑記]「『そんな言い方誰もしない』と言い張るお子様たち」について、補遺(掲示板に書いたものをコピペ)慣用句を勉強するための動機づけをどうするか 投稿者:みやきち 投稿日: 1月25日(木)10時38分49秒 やっぱり、「豊かな言語能力は、自分の一生を豊
運動制御 Motor Control (現代リハビリテーション医学 金原出版より P41~46) 道免和久 運動障害を治療するハビリテーション医療において、正常の随意運動制御の理解は不可欠である。運動制御の諸理論には、運動障害の理解のみならず運動学習など運動療法の基礎の理解のためにも重要な概念を含んでいる。 運動制御とエングラム 人間がテーブルの上のリンゴを取る動作を考えるとき(図1)、リンゴまでの軌道は無数に存在しうるが、自然な随意運動では最適な1つの軌道が選択される。軌道が決まっても、関節角の組み合わせは無数に存在しうるが、これも最適な1つの組み合わせが選択される。さらに、関節角が決まっても、筋肉の張力の組み合わせは無数に存在するはずであるが、ここでもある1つの組み合わせが選択される。このように随意運動では、多くの自由度を有する筋骨格系が、中枢神経によって見事にあやつられ、なめ
不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 基本的には、得意なものを伸ばすほうに力を入れたほうがいいと考えてますが、それでも、自分はこれは苦手、でも、それができたほうがいいよなと認識した場合には、それを克服する努力はしたほうがよいと思っています。 身に着けるスキルはT字型にざっくりというと、身に着けているスキルは、こんな風なT字型に自分の得意分野は深く、さらにできるだけ幅広さをもったスキルを身に着けておくと何かと都合がよいはずです。 T字型にスキルを身に着けると、主にこんな都合のよさがあるでしょう。 自分でできることが広がる他人に頼む場合でも話が早い他人が何をやってるか理解しやすくなるので、自分が何をしなきゃいけないか判断しやすい 苦手なことって、なかなかやる気がしないとは思います。でも、苦手と思っていることのほとん
「教養」について、自分はあまり関心がない。いや、「教養」についての話題に自分がいつも頓珍漢な思いがする。ある意味、私にとって教養は非常に明確である。ちょっとメモがてらに書いてみたい。 まず、ヘンテコな結論から先に書く。これは誰か言っているのかどうか知らないが、どんな教養であれ、その基礎がなければなんの意味ないということ。教養の基礎とはなにか。人格か? 正義か? 美的センスか? 私はまるで違うと思う。私は単に独断なのか、私の教養の実は成果なのか、こう思う。教養の基礎とは「人の知性を快活にさせること」だ。そして、その「人」というのは、すべての層の人を含む。 私は教育について、奇妙な理想を持っている。学力なんかどうでもいい。まず大道芸を一つ身につけろと。まったく異文化の町に一人放りださせたとき、誰かの気を引かせ、その人と快活な関係が持てるようにせよ。難しく言えば、「おまえはユニバーサルな人間であ
間違っている論理展開によって人びとは容易にだまされる。ここでは具体例を挙げて間違っている論理展開について考えたい。人をだます時には論理展開の約束事を破って己が望む解を導き出す。そしてそれは一見論理的であるだけに容易にだまされてしまう。この稿をそうするに当たっては以下のエントリを参照した。「間違っている論理展開」と「わら人形論法」に耐性の無い人々 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか。非常に勉強になったので私自身のメモのために自分流に事例を置き換えて考察したい。 まずは間違っている帰納的論理展開。帰納的に論理を展開し、解を導き出すには「適切な事例の選択」が必要である。以下は恣意的な事例選択により、間違った解を導き出した例。 うらやましいほど優雅に生きた平安貴族も、じつは短命でした。貴族の代表である歴代天皇の寿命を見てみると、平安前期には54歳だったのものが、中期には44歳、後期には33歳とじつに
■[Learning] ぼくの中にまだ残っている「数学」 今回の記事の発端は,以下の記事から。 タルタルソースも空を飛ぶ - 証明そのものに意味はない 痛いニュース(ノ∀`) - 答は合ってるのに×。先生どうして? 「数学で大切なのはプロセスだ。答なんてただの数字でしかない」 304 Not Modified - 数学はプロセスが9割 煩悩是道場 - 数学はプロセスが9割の学問か 中学校の数学の教員免許を取るために数学の基本的なところは学んだことがある。が,当時学んだことはほとんど忘れた。微積分の公式など簡単なものさえ思い出すことができない。そもそも使う機会がなかった。人間の脳は使わないものからどんどん忘れる仕組みになっているようだ。 数学を学んで今も頭に残っているものもある。たとえば,微積分なら「細かく区切って見れば,真の値に近づく」という発想。 一般教養の「数学」という講義の最初で,教
ノートの書き写しは、テスト前の勉強法の中でも時間のかかる方法だ。しかし学生時代を振り返ると、筆者にとって本当に有効な学習方法は唯一これだけだった。今秋、8年ぶりに学生に戻って講義を受けることになった。来週にはノートにペンを走らせているはずの筆者だが、今度こそ完璧な戦略で臨むつもりだ。「コーネル大学式ノート作成法」を正しく実践するのだ。 コーネル式については、過去にもこの記事(7月24日の記事参照)やここで取り上げたが、今回は、学期を通して――書き写しすることなく――学習・参照がスムーズに行えるノートの取り方について詳しく見ていこう。 コーネル式にページをレイアウト コーネル式にのっとり、以下のようにノートを3つの領域に分割する。 ノート欄(右)には、受講中に講義の内容を書き取る。短文や単語で、後に自分が必要とするであろうファクトを書き取っていく。必要のない言葉はすべて省略する。箇条書きにす
2006年10月22日13:30 カテゴリMath 聞系と履系 学として最も自由で広大な「数学」(Mathematics)が、ここまで卑小化されて誤解されている上に、その誤解を誤解とも気がつかない人が多いのは「数」が悪いのか、それとも「学」が悪いのか、はたまた受験が悪いのか。 Logical Sebastian:再考:理系と文系 - livedoor Blog(ブログ) 数学は、経過はどうあれ結論は同じ。 ならおのずと選択肢も限られる。 それを大勢でやる意義が感じられない、というのが一番の理由です。 「自明のこと」の証明が嫌いなのは、これに起因します。 数学をそう呼ぶのは、「将棋はたかだか有限種類の局面しかない、先手必勝ゲームなのだからつまらない」というのも同じだ。ましてや数学が扱う「空間」というのは、他のどんな学問より広いのだ。極論してしまえば、他の学というのは数学の単なる一分野に過ぎな
今さらなんだけど。今だにブログとかで肯定的にとりあげられることがあるので。大丈夫かみなさん? というわけで、http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea.htmlを読みながら、僕がどのあたりで「ダメだこりゃ」と思ったかを再現してみます。 最初のページ、http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea1.htmlから。 冒頭の写真、日本の国旗が踏まれている画像。日韓友情年と関わりがあるような書きかただが、文脈が不明。どこでどう出てきた画像なんだろこれ。まさかコラじゃないだろうな。でなければ、何か理由があるのか。どういう人達なのか。どんな場なのか。そういう説明は全然ない。 次のサッカーの横断幕。これも画像の出所がわからないのでちょっと検索してみる。「戦犯国のみなさん…」は2005年4月20日の磐田-水原戦 http://www.n
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