ブックマーク / www.nippon.com (42)

  • 臺灣文學100年的幽靈——臺灣歷史的光與影

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    changpian 2022/09/02
    赤松さんが中国語で書いた文章で拙訳の郭強生『惑郷の人』に言及されていることに今気づいた。
  • たいわんほそ道~「高雄市・鳳山」映画監督ホウ・シャオシェンが飲んだ水、その源を思う――黄埔新村~三民路~光明街~曹公路

    道とすべきは常の道にあらず。いにしえに生まれた道をさまよいつつ、往来した無数の人生を想う。台湾の複雑な歴史が堆積した道をあるく連載紀行エッセー。今回はかつて高雄エリア一番の都市だった鳳山をゆく。台湾初の眷村を出発し、映画監督・侯孝賢の育った街の記憶を味わう。 戦前は軍事基地、戦後は「眷村」の街となった鳳山 赤い鉄製の門を開くと、出迎えてくれたのは柴犬のピータンだ。広々とした庭にはパラソルが立ち、平屋の屋内壁には詩がペイントされ、暖かな手仕事をあちこちに感じるゲストハウス「思念人之屋(思いびとの家)」が、今晩の宿である。ここ「黄埔新村」は2013年に取り壊されるはずだった眷村(中国大陸から台湾に渡った軍人ら外省人が居住した集落)だが、地域の人々の努力により2016年に高雄市の歴史建築エリアに登録され、文化エリアとして街並みが保存されている。 黄埔新村のゲストハウス「思念人之屋」のマスコット犬

    たいわんほそ道~「高雄市・鳳山」映画監督ホウ・シャオシェンが飲んだ水、その源を思う――黄埔新村~三民路~光明街~曹公路
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    changpian 2022/01/30
    あ、以前ツイートしたものの日本語版ですね。
  • 香港映画の新たな方向を示す「本土」の物語、『最初の半歩』

    最近の傑作香港映画を紹介する「香港映画祭2021」が始まり、関西を皮切りに、名古屋、東京などで未公開作品を含む計4作(東京のみ7作を予定)が上映されている。大規模デモから国家安全維持法の導入まで、政治的な激動を経た香港。映画祭の上映作品の一つで、少年野球チームの伝説的活躍の実話をもとに制作された作品『最初の半歩』(原題:點五步)を紹介したい。 「香港のKANO」と呼ばれた作品 2016年に香港で制作された作『最初の半歩』は、香港の学校で生まれた野球チームの物語だ。野球の経験がほとんどない落ちこぼれの学生たち10人が、野球を熱愛する校長の指導によって実力をつけ、香港の大会で「野球先進地」の米国人や日人のチームとも互角に戦いながら、人生の転機をつかんでいく。 舞台は英中交渉で香港の返還が正式に決まった1980年代。大国の都合に翻弄される香港と、大人の都合に悩まされる若者たちの苦しみが重なる

    香港映画の新たな方向を示す「本土」の物語、『最初の半歩』
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    changpian 2021/12/09
  • 芥川賞作家・李琴峰:多様性を内包した独自の世界観を持つ作家

    2013年に来日、17年作家デビュー、そして21年芥川賞受賞。たった8年で台湾人作家・李琴峰(り・ことみ)は日文壇の最高峰まで駆け上った。彼女の創作へのエネルギーを支えているのは、幼い頃に彼女の文学的素養を育んだ文学作品と、旅を通して培った独特の世界観だ。 李 琴峰 LI Kotomi 日中二言語作家、翻訳家。1989年台湾生まれ。2013年来日。2017年、初めて日語で書いた小説『独り舞』で群像新人文学賞優秀作を受賞し、作家デビュー。2019年、『五つ数えれば三日月が』で芥川龍之介賞と野間文芸新人賞のダブル候補となる。2021年、『ポラリスが降り注ぐ夜』で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。『彼岸花が咲く島』が芥川賞を受賞。他の著書に『星月夜(ほしつきよる)』『生を祝う』、訳書『向日性植物』。 李琴峰の公式サイト 台湾人初の芥川賞 2021年7月14日、東京・日比谷の帝国ホテルで第16

    芥川賞作家・李琴峰:多様性を内包した独自の世界観を持つ作家
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    changpian 2021/09/18
  • 【書評】日台戦後史の空白を突いたノンフィクション:野嶋剛著『蒋介石を救った帝国軍人 台湾軍事顧問団・白団の真相』

    書評】日台戦後史の空白を突いたノンフィクション:野嶋剛著『蒋介石を救った帝国軍人 台湾軍事顧問団・白団の真相』 Books 政治・外交 国際・海外 社会 歴史 2021.09.17 日に留学して軍事を学ぶなど、日と深い関係を持ったことで知られる中国台湾政治指導者、蒋介石。共産党と最後まで戦い抜きながら台湾に厳しい統治を敷いたその功罪は、なお世界で熱く論じられ続けている。その蒋介石が、共産党に敗れて台湾へ撤退した後、軍の立て直しに頼ったのが、かつて敵として戦った日の帝国軍人の参謀たちだった。「白団」と呼ばれた秘密の軍事顧問団の真相解明に挑んだノンフィクション作品だ。 蒋介石像の偶像 加筆され文庫になった書(原題:『ラストバタリオン 蒋介石と日軍人たち』)を、夏の初めに手に取った。中華民国の総統だった蒋介石(1887~1975)の、自信に満ちた壮年期の写真が表紙を飾っている。そ

    【書評】日台戦後史の空白を突いたノンフィクション:野嶋剛著『蒋介石を救った帝国軍人 台湾軍事顧問団・白団の真相』
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    changpian 2021/09/17
  • 甲子園の伝説・吉田正男と台湾――死闘がつないだ日台の友情物語

    台湾の嘉義(かぎ)農林学校は、日台湾を統治していた1931年、夏の甲子園大会に出場、決勝まで勝ち進んだ。海を渡ってやってきたチームの善戦に観客は惜しみない声援を送った。この時の嘉義農林の活躍を描いた台湾映画『KANO』をきっかけに、決勝戦で戦った愛知県代表の中京商業(現・中京大学)と約90年の年月を超えた交流が始まっている。 全国の高校球児の憧れの舞台「甲子園」もコロナ禍の影響を免れることはできなかった。2020年は春・夏ともに中止に追い込まれ、21年は観客数の制限などの対策のもとでの開催となった。長い高校野球の歴史で、現在は特別な時期にあると言えるだろう。 過去から希望に満ちた新しい未来へ歩み続けたくなる物語を、今も続く嘉義農林と中京商の友情から見いだすことができる。 日台野球交流戦 台湾の嘉義農林学校(現・国立嘉義大学)野球部は、日統治時代の1931年、近藤兵太郎監督の指揮のもと

    甲子園の伝説・吉田正男と台湾――死闘がつないだ日台の友情物語
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    changpian 2021/08/07
    『KANO』の対戦相手。
  • 阿部寛出演のマレーシア映画『夕霧花園』:日本の戦争はアジアにどう記憶されていくのか トム・リン監督に聞く

    ニッポンドットコムおすすめ映画 阿部寛出演のマレーシア映画『夕霧花園』:日戦争はアジアにどう記憶されていくのか トム・リン監督に聞く Cinema 2021.07.24 阿部寛が、第二次世界大戦後のマレーシアで、スパイの嫌疑をかけられる日人庭師を演じた映画『夕霧花園』(ゆうぎりかえん)。日軍の占領下で兵士たちによって心と体に深い傷を負わされた女性が、複雑な感情に引き裂かれながら、仇敵と思われた日人を愛してしまう。戦争の加害と「ゆるし」について、新たな視点で描き出した台湾のトム・リン監督にオンラインでインタビューした。 トム・リン(林書宇) Tom LIN 1976年、台湾生まれ。世新大学で映画を学んだ後、カリフォルニア芸術大学院に留学。2005年の短編映画『海岸巡視兵(原題:海巡尖兵)』で国内の映画賞を数々受賞した。08年、初の長編映画『九月に降る風(原題:九降風)』は台北電影賞

    阿部寛出演のマレーシア映画『夕霧花園』:日本の戦争はアジアにどう記憶されていくのか トム・リン監督に聞く
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    changpian 2021/07/24
  • 私の台湾研究人生:「戒厳令は死に体に」——民主進歩党の誕生で台湾政治に新しい風

    1986年3月、筆者は日国香港総領事館の専門調査員を辞して家族とともに帰国し、4月から東京大学教養学部外国語学科の助教授に採用された。それから2010年に早稲田大学政治経済学術院に移るまでここ通称東大駒場で教鞭を執ることになった。日の論壇に台湾問題を提起するなかで、台湾で結党されたばかりの民進党から訪日団を迎えることになった。 香港から帰国、東大教養学部助教授になる 東大駒場では、一、二年生には中国語を、教養学科アジア分科に進学した三、四年生には「アジアの政治」といった科目名で台湾政治論を講義した。「台湾政治論」といっても、もちろん出来上がったものがあったわけではない、講義しながら自分のそれを作り上げていくというのが実情だった。 翌年からは、大学院総合文化研究科地域文化研究専攻の担当にもしていただいて、以後台湾研究を志す台湾人留学生の指導にあたることになった。しばらくして少数ながら日

    私の台湾研究人生:「戒厳令は死に体に」——民主進歩党の誕生で台湾政治に新しい風
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    changpian 2021/05/16
    若林先生、前にも書いたけれど、自分が中国語を教わったとき(1989年)は、テキストは費孝通で、台湾関係ではなかった。
  • シリーズ・結党100年の中国共産党と日本(2): 言葉で日中をつないだ中国知識人の留学体験

    アジアにおける共産主義の黎明期にあたる1920年代、日中両国の知識人、社会主義者らはさまざまな形で互いに縁を結んだ。 『日漢辞典』の誕生 1959年に日で出版された『日漢辞典』。「編者のことば」には、金田一京助監修『明解国語辞典』、新村出編『広辞苑』、時枝誠記編『例解国語辞典』などを参考に編纂したと記されている。(筆者撮影) 1959年に中国・商務印書館から刊行された『日漢辞典』は、中華人民共和国初の日語―中国語辞典として、日中国交回復までに中国国内だけで50万部以上も売れた。日や香港でも刊行されたこの辞典の編纂にあたったのは、日留学経験をもつ北京外貿易学院・北京大学の中国人日語教師たちであり、非常に高い日語の素養を身につけた人びとだった。当時の情勢を考えると、採録する言葉に政治的偏りが生じるのは致し方のないことであったが、中国人日語教師たちは日から『広辞苑』を取り寄せたり

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    changpian 2021/05/11
  • 台湾で根を下ろした日本人シリーズ:「人が奪えない『財産』を持つ」俳優・脚本家・映像監督 蔭山征彦

    台湾映画を支える日人として近年注目され、2019年金鐘奨(きんしょうしょう 台湾の放送文化に関する賞)で最優秀助演男優賞にノミネート、翌年にはCMで映像監督としてもデビューした蔭山征彦(かげやまゆきひこ)さん。台湾映画界で縦横無尽に活躍できた理由は何か?彼の生い立ちを追った。 蔭山 征彦 KAGEYAMA Yukihiko 東京都出身。高校在学中に舞台『アナザー・カントリー』に出演。亜細亜大学で中国語を習得。1999年台湾中部大地震の災害ボランティア兼通訳として台湾に初渡航。2003年のTVドラマ『寒夜續曲』が台湾での初出演作。08年『海角七號』でナレーター、12年『手機裡的眼淚』で初主演、14年『KANO』で演出補、15年『念念』で脚家(香港電影評論学会最優秀脚賞)と台湾映画界でマルチに活躍。19年金鐘奨で最優秀助演男優賞にノミネート。20年にはCMで映像監督としてもデビュー。高校

    台湾で根を下ろした日本人シリーズ:「人が奪えない『財産』を持つ」俳優・脚本家・映像監督 蔭山征彦
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    changpian 2021/04/03
  • 新橋の激戦区で40年生き抜いた台湾式居酒屋「香味」: 日本で味わう故郷の味!(後編)

    新橋の激戦区で40年生き抜いた台湾式居酒屋「香味」: 日で味わう故郷の味!(後編) 社会 文化 歴史 2021.03.20 絶え間なく人が行き交い、「サラリーマンの聖地」と呼ばれる新橋駅界隈(かいわい)はグルメ激戦区でもある。昭和の風情ただよう駅前のニュー新橋ビルを抜けた先にある、小学校跡地を活用した公園の近くに、一軒の台湾料理店がたたずんでいる。 昭和風の店で味わう台湾料理 台湾料理「香味」は、東京新橋の古い建物の一角にある(筆者撮影) その台湾料理店の名は「香味」だ。少し色あせた紅色の布看板と灰色のコンクリートが織りなす外観からは、昭和のレトロな雰囲気が醸し出されている。店内も至る所が紅色だ。手書きのメニュー表も赤く縁取られた紙が使われている。牡蠣オムレツ「蚵仔煎(オアチェン)」、台湾では定番の「蔭豉蚵仔(牡蠣の豆豉炒め)」、干し大根などの具材を卵でとじた「菜脯蛋(台湾オムレツ)

    新橋の激戦区で40年生き抜いた台湾式居酒屋「香味」: 日本で味わう故郷の味!(後編)
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    changpian 2021/03/20
    新橋の「香味」。この記事、蔡火欽、郭茂林、最近の台湾映画『孤味(弱くて強い女たち)』などディテールも興味深い。
  • 青春に悔いなし:日台・伝説のインディーズバンド「透明雑誌」

    「透明雑誌」は、2010年代に日台湾のインディーズシーンを席巻した台湾のバンドだ。2011年から16年までの毎年、日各地の大小様々なステージに立ち、一度は日の大手レコード会社と契約し、メジャーデビューも果たした。「彼らが奏でる音色は懐かしさと純粋さを併せ持つ」と評され、90年代を思わせる青春の狂騒感に日でも少なからぬファンを獲得した。しばらく活動を休止していたが、2020年に復活ライブを敢行、日台のファンは熱く盛り上がる。 伝説のバンド、5年ぶりの復活 透明雑誌のカムバック・ライブ。チケットはわずか1分間で完売(陳芸堂撮影) 脚家・宮藤官九郎はかつて「台湾と聞いて唯一、頭に浮かぶのは、透明雑誌というバンドだ」と語ったことがある。 「若さゆえに歌うというのなら、歌いましょう。明日、私たちの心が死んでしまうかもしれないなら、それでもいい!」―― 2020年12月5日、台北市内のライ

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    changpian 2021/02/27
  • 恐るべき中国新世代の才能、映画『春江水暖~しゅんこうすいだん』でデビューのグー・シャオガン監督

    ニッポンドットコムおすすめ映画 恐るべき中国新世代の才能、映画『春江水暖~しゅんこうすいだん』でデビューのグー・シャオガン監督 Cinema 2021.02.11 変わりゆく中国社会を生きる大家族の姿を、地方の美しい四季を背景に描いた『春江水暖~しゅんこうすいだん』。グー・シャオガン監督は長編デビュー作にして、悠然と流れる大河を思わせる現代の絵巻物を紡ぎ出し、2019年カンヌ国際映画祭批評家週間のクロージングを飾って世界を驚嘆させた。そんな新時代の若き俊英に、日での公開を前にオンラインで取材する機会を得た。撮影の舞台裏や自身の映画観、中国映画事情について聞いてみると、これまた驚きの連続だった。 グー・シャオガン監督は、1988年生まれの32歳。大学ではアニメ・漫画コースを目指していたが、希望通りに進めず、服飾デザインとマーケティングを専攻。在学中に映画作りに開眼する。北京電影学院社会人

    恐るべき中国新世代の才能、映画『春江水暖~しゅんこうすいだん』でデビューのグー・シャオガン監督
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    changpian 2021/02/11
  • 母国語以外で書く:スタートしなければ上達しない

    台湾に暮らし、母国語ではない中国語で小説やエッセイを発表する木下諄一さんは、書きたいことがあるのに表現方法が乏しくて思うように書けない感覚を「利き手じゃないほうの手で文字を書いている感じ」という。そのもどかしさを克服できたのは、開き直ったからだそうだ。そして、これから母国語以外で作品を書きたいという人に、「スタートしなければ、上手になることを拒否しているのと同じだ」とエールを送る。 中国語で書くきっかけとなった台北文学賞 「どうして中国語で書こうと思ったんですか」 今から十年前、小説『蒲公英之絮』が台北文学賞を受賞したとき、取材に来たほとんどのメディアから聞かれた。まあ、分かる。ぼくが記者でも間違いなくこの質問はするだろう。 その答えは「ぼくは中国語で書こうと思ったことはない」。あえていうなら「募集要項に中国語の作品とあったから」。それだけのこと。ぼくは中国語の小説ではなくて、小説が書きた

    母国語以外で書く:スタートしなければ上達しない
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    changpian 2021/01/17
    台湾在住、中国語で創作する日本人作家・木下諄一。
  • 台湾アイデンティティーの現場:東京に埋もれた「台湾議会運動」の歴史を探る

    筆者はかねてより「東京散歩」を通して、近代台湾における第1世代の啓蒙者を知ることはできないかと思案を巡らせている。それは東京を散歩することで今から100年前の東京で初期の「台湾アイデンティティー」がどのように形成されたのかを知るということだ。2020年は新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)により計画の大部分がストップしてしまったが、思いがけず東京の路地裏を散歩する時間が増えたことで、東京の奥底に埋もれていた「台湾歴史」を次々と発見することができた。記事では1921年1月に正式に展開し、15年間にわたり台湾と東京をつないだロビー活動「台湾議会設置運動」の歴史的場面を紹介したい。 高砂寮:東京に存在した「台湾学生運動のゆりかご」 かつて高砂寮があった場所には、老人ホームが建っている(筆者撮影) 台湾で最も早く日国民教育を受けた世代は、1910年代から近代高等教育を受けるために日へ留学し

    台湾アイデンティティーの現場:東京に埋もれた「台湾議会運動」の歴史を探る
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    changpian 2021/01/16
    面白い。こういう街歩き、いいな。
  • なぜ評論家・川本三郎は台湾で愛されるのか?

    の評論家の著作が外国語に翻訳されることは滅多にない。しかしながら、川三郎の作品は台湾で5冊も翻訳されている。なぜ、それほどまでに川作品は台湾で支持されているのか? ヒマワリ学生運動のために何か一言を 2015年3月、台北の誠品書店・信義店で聞文堂、聯経出版、文化部(日文化庁に相当)の合同で日台作家による対談イベントが開催された。イベントのトリを飾ったのは川三郎氏と李明璁氏の「文学、歴史映画における東京散歩」だ。 14年に起きたヒマワリ学生運動から1年経った当時、台湾で出版されていた川氏の著作は、学生運動が盛んだった60年代を舞台にした回想録『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』の翻訳版『我愛過的那個時代(11年)』の1冊のみだった。「東京学」の第一人者である川氏だが、台湾ではこの15年のイベントまで映画『マイ・バック・ページ』(2011年公開)の原作者で、劇中で

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    changpian 2021/01/02
  • 東京・新大久保:日本最大のエスニックタウンに暮らす

    に在留する外国人の数は年々増加中で、2019年末には約293万人に達した。中でもベトナム、ネパール、ミャンマー、インドネシアといった東南アジア、南アジア出身者の増加が顕著だが、そんな日の縮図となっているのが新大久保(東京都新宿区)。アジアの多民族が混在し、生活を営むこの多国籍なエリアに住み、彼らとの交流を記録した『ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』(辰巳出版)が話題の著者、室橋裕和さんが新大久保の今を紹介する。 アジアのさまざまな民族を吸い寄せる街 10年ぶりに帰国すると、日の社会はずいぶんと様変わりしていた。外国人が急増していたのだ。コンビニ、居酒屋、スーパーマーケット……至るところで彼らが働いている。もう隣人だった。少子高齢化に歯止めがかからず、不足する労働力を外国人で補う。その国策の表れだった。 僕が10年を過ごしたタイには、7万人の日人が暮らしていた。そこでは僕のような

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    changpian 2020/12/08
  • 台湾映画『私たちの青春、台湾』:普遍的価値とナショナリズムの間でもがく若者たちを描く

    ニッポンドットコムおすすめ映画 台湾映画『私たちの青春、台湾』:普遍的価値とナショナリズムの間でもがく若者たちを描く Cinema 国際・海外 2020.10.28 台湾の市民運動に身を投じた若者たちをテーマにしたドキュメンタリー映画『私たちの青春、台湾』(原題:『我們的青春,在台灣』)が10月31日(土)から日で公開される。若者たちが社会の変革を目指して運動に身を投じ、「自由」や「民主」「人権」といった普遍的価値とナショナリズムとの間でもがき苦しむ姿を描いた内容であり、観た者に深い感動を与える作品だ。 傅榆(フー・ユー) FU Yue ドキュメンタリー映画作家。1982年、台北生まれ。父はマレーシア華僑、母はインドネシア華僑。2008年、国立台南芸術大学音像記録研究所を卒業。『我在台湾、我正青春』(ショート版)で台湾新北市ドキュメンタリー映画賞一等賞、『藍緑対話実験室』で中国FIRST

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    changpian 2020/10/28
  • 【書評】共産党史観で“上書き”の歴史:市川紘司著『天安門広場 中国国民広場の空間史』

    中国共産党の毛沢東主席は1949年10月1日、天安門の楼閣から中華人民共和国の成立を高らかに宣言した。その日、天安門広場は数十万人の民衆で埋まった。書は、新中国の“象徴”である北京・天安門広場の知られざる激動の前史を暴く。 北京の秋 蒼穹に映える天安門 北京の秋は爽やかで一年で最も過ごしやすい。天気がよければ、まさに蒼穹(そうきゅう)が広がる。10月1日は「国慶節」。天安門広場では毎年、様々なイベントが催される。今年は「祝福祖国」と書かれた高さ18メートルの巨大な花かご型のオブジェが設置された。 世界遺産に登録されている天安門はもともと、明から清の時代の王宮である紫禁城(現故宮博物院)の正門だった。原型は明代の1420年に創建された「承天門」。その後、焼失などを経て清代の1651年に「天安門」として再建された経緯がある。 天安門の中央には毛沢東(1893-1976年)の大きな肖像画が掲げ

    【書評】共産党史観で“上書き”の歴史:市川紘司著『天安門広場 中国国民広場の空間史』
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    changpian 2020/10/01
  • 中国語で執筆する日本人作家――新井一二三

    新井一二三氏は特殊な作家だ。日人でありながら、主に中国語で執筆しており、中国語の著書は30冊近い。新井氏の中国語には独特の雰囲気がある。飾り気がないようできめ細やかさは失われず、刃物のように鋭く切り込んだかと思えば一方で優しさがあり、台湾では「新井文体」と呼ばれる。長年、新井氏とを作ってきた台湾の大田出版社・荘培園氏に新井作品の魅力を聞いた。 台湾で30冊の著書を出版する日人作家・新井一二三氏 台湾人が初めて新井一二三氏を知ったのは、90年代末、台湾四大紙のひとつ「中国時報」の文芸欄「人間副刊」連載のコラム集「三少四壮」ではないだろうか。当時の中国時報は、品大手・旺旺グループ傘下に入る前であり、創始者である余紀忠氏が実権を握っていた。そしてインターネットは黎明(れいめい)期、読み物と言えば紙媒体がまだ絶対的王者の時代だ。中でも人間副刊の影響力は大きく、新人が人間副刊に採用されるとい

    中国語で執筆する日本人作家――新井一二三
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    changpian 2020/09/19
    この人の映画についての著書の書評を書いたことがある。