突然の訃報だった。コラムニストとして活躍した勝谷誠彦氏が11月28日、肝不全のため亡くなった。57歳だった。勝谷氏のひとつ先輩にあたり、文藝春秋でともに編集者として働いたノンフィクション作家の柳澤健氏が、死を悼み、思い出を綴る。 ◆◆◆ 初めて会ったのは1985年の春、場所は創刊直前の『Emma』編集部だった。 勝谷誠彦は早稲田大学おとめちっくクラブ出身。私が大学時代にまんが専門誌『ぱふ』に関わっていたと聞くと、竹宮恵子ファンクラブ『さんるーむ』会員番号No.1の会員証を見せてくれた。私は目を丸くして驚いたが、そんな反応をするのは、当時の文春社内でも私くらいだったろう。 勝谷も私も、文藝春秋ではあまりにも異質な存在だった。定年までつとめ上げるのは最初から無理な相談だった、と今は思う。 兵庫県尼崎市の医者の息子で、幼い頃は神童だったが、灘高に入って落ちこぼれた。 一浪して入った早稲田大学第一
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