日本には、その土地の気候風土に根差した個性豊かな食材がたくさんあり、その裏には、必ずそれに携わった作り手がいます。私は、農林水産省で働きつつ、休日はそのおいしさの源である産地へ出向き、作り手の声に耳を傾けた上で、その食材を料理し、伝えることをライフワークとしています。この連載では、まだまだ知られていないおいしい食材を一つひとつひもときながら、レシピと共にお伝えします。 暑い夏にレモンをギュッと絞って、キーンと冷やしたサワーやスカッシュを飲みたくなりますが、日本での旬は、実は夏ではありません。意外と知られていませんが、国産レモンの収穫時期は10月~5月上旬、冬から春が中心です。 私も大好きなレモンサワー。このブームが始まったのは2017年くらいからですが、昨今商品が激増。コンビニなどに行くと種類が多過ぎて、どれを選んでよいか迷うほどです。 「ホットペッパーグルメ外食総研」が2020年に実施し
「日本型雇用が行き詰まっている」ということで雇用を巡る改革の動きは長年続いてきました。今いわゆる「ジョブ型」を中心とした議論が盛んになっています。海老原さんはどんなふうにご覧になっているんでしょうか。 海老原嗣生・雇用ジャーナリスト、ニッチモ代表取締役(以下、海老原氏):僕が人材系の仕事に携わるようになったときの初っぱなの議論が「新時代の日本型雇用」でした。今から30年前くらい、日経連(現在の経団連)が主導したプロジェクトだったんですね。あのとき問題になっていたのは、1990年代のバブル崩壊で業績が落ち込んで、会社の中のポストがなくなったこと。定期昇給で給与が上がり続けるという仕組みも終身雇用も難しくなっている中で「日本型でいいのか」という話でした。 海老原嗣生(えびはら・つぐお)氏 ニッチモ代表取締役、政府労働政策審議会人材開発分科会委員、中央大学大学院戦略経営研究科客員教授 1964年
かつての上司から聞いた「ザ・ラストマン」の教えを胸に、大赤字に陥った日立を復活させた。事実上国有化された東京電力ホールディングスの会長に招かれ、東電の再生にも挑んだ。2050年の「脱炭素」に向けて日本の社会や企業が進むべき道とは。 (聞き手は 本誌編集長 東 昌樹) 川村隆[かわむら・たかし]氏 1939年生まれ。北海道札幌市出身。62年に東京大学工学部電気工学科を卒業し、日立製作所入社。電力畑を中心に歩み、常務を経て99年副社長。同年7月にハイジャック事件に遭遇し「ザ・ラストマン」を強く意識する。2003年以降は日立マクセルなどグループ会社の会長を歴任したが、09年に本体に呼び戻されて会長兼社長に就任。再生にめどが立った翌10年に社長退任。17年から3年間、東京電力ホールディングス会長を務めた。趣味は読書、スキー。 政府が2050年の「カーボンニュートラル」実現の目標を掲げました。エネル
AIやサブスク……。新しい技術や急成長するビジネスが登場するたびに、世間にはバズワードが流布する。だが、持続的に成長していくには、ブレない経営の軸が必要だ。「同時代性の罠(わな)」に惑わされないための、60分の思考訓練。毎回、注目企業をケースに、一橋ビジネススクール教授の楠木建氏と社史研究家・杉浦泰氏が解説する。 第3回のテーマは「セブンイレブン」。コンビニの“王者”として新しい消費スタイルを切り開いてきた同社の経営を、過去に遡って分析する。 ※第1回「ユニクロ 強さの源流」をアーカイブ配信しています→ユニクロの強さは「ぶれなさ」にある、楠木建教授が深掘り解説 ■こんな方におすすめ +仕事の意思決定において、ブレない思考を養いたい方 +セブンイレブンやコンビニエンスストアの経営に関心のある方 +楠木氏、杉浦氏の著書『逆・タイムマシン経営論』を読んだ方、もしくは興味がある方 +コンビニの商品
「65歳を過ぎるとね、働きたくてもビルの管理人か清掃員くらいしか仕事がないのですよ」 都内の大手デベロッパー系マンションで管理人を務めるAさん(68歳)はこう話す。60歳まで航空貨物会社の経理部門で働いていたAさん。定年後も嘱託制度などを利用して働き続けたが、嘱託として働けるのは65歳まで。その後は自分で職を探す必要があった。 「経理はどの会社にも必ずあるからすぐに見つかるだろう」。最初はそう思ったが、現実は甘くはなかった。「みんな若い人を雇いたいらしく、年齢がネックになってしまう。仕事を選べない現実に愕然(がくぜん)としました」。スキルを生かせない仕事は嫌だと、しばらくは働かずにぶらぶらする生活が続いていたが、妻に「このまま働かなくて大丈夫か」とハッパを掛けられた。 老いてはキャリアを生かせる仕事を選べないのか Aさんは退職金の一部を住宅ローンの残債返済に充ててしまったため、貯蓄と合わせ
「ドコモの新料金プランは市場に一定のインパクトがあると思うが、サービスの全容が分からないのでコメントは控えたい。民間事業者間の競争として、au、UQモバイルなど複数のブランドを使い、いろいろな工夫をしていきたい」 12月9日に開かれたKDDIの新サービス発表会。3日にNTTドコモが月20ギガバイト(ギガは10億)で2980円(税別。以下同)の新料金プラン「アハモ」を発表したことについて問われたKDDIの東海林崇副社長は、慎重な言い回しに終始した(関連記事:ドコモの新料金プラン「ahamo」について知っておくべき10のこと)。 この日KDDIが発表したのは、米アマゾン・ドット・コムの「Amazonプライム」と、KDDIとテレビ朝日の共同出資会社が手掛ける動画配信サービス「TELASA(テラサ)」を、auの容量無制限プランに組み合わせた月額9350円の新プラン。通常の容量無制限プランに700円
日本航空(JAL)傘下の格安航空会社(LCC)、ジップエア・トーキョー(千葉県成田市)がようやく「客を乗せて」飛び立った。6月に成田ータイ・バンコク線、9月に成田ー韓国・ソウル線を就航したものの、旅客利用が見込めず、貨物専用便として運航してきたが、10月16日にソウル線で旅客便の運航を始めたのだ。ただ成田発の初便の旅客数は290の座席に対し、わずか2人。それでも旅客便としての運航を始めたのはなぜか。 「(就航までの)第4コーナーを回ったところで新型コロナウイルスの影響を受けてしまったが、まずはここまでついてきてくれた社員に感謝をしたい」。こう感慨深そうに話すのはジップエアの西田真吾社長だ。「太平洋を渡る初めてのLCCという高い目標」(西田社長)を持って2018年に設立された同社は当初、20年5月に成田~バンコク線、7月にソウル線を就航させ、今冬には本丸のホノルル線に進出する算段を描いていた
5月6日の最終営業日をもって、東京・吉祥寺のフランス料理「芙葉亭」を閉店しました。私の母がこの店をオープンさせてから30年余り、私に代替わりして10年余り。たくさんのお客様に来店していただき、感謝の思いが尽きません。閉店理由は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴って未来が見通せなかったためです。 JR吉祥寺駅から歩いて5分、井の頭公園の脇にこの店を開いたのは、母です。渋谷で営んでいた喫茶店のノウハウを生かして客単価を上げるには、レストランをやろうと考えたようです。時はバブル期。シェフ探しも含めて相当手探りだったようですが、特段宣伝もしていないのに、オープン当日から行列ができていたことを思い出します。
「最初は誰かが銃で撃たれでもしたのかと思いました」 米オハイオ州コロンバスからニューヨーク市に21日間限定の「助っ人」としてやってきていた看護師のブルックリン・ヘイゼルさん(31歳)は、2020年4月22日に迎えた最終日の様子をこう振り返って笑う。ヘイゼルさんが勘違いしたのは、勤務を終えて病院の外に出ると、消防車やパトカーが何台も並び、大勢の警官や消防士たちに出迎えられたから。 「でもそこにいたテレビ局のリポーターが、皆、あなたたちにお礼を言うために集まっているんだよ、と教えてくれました。田舎町から出てきた私にとっては信じられない光景でした」 助っ人看護師たちが乗り込んだバスはその後、まるで大統領でも乗せているかのようにパトカーに先導されて市内を移動した。 4月27日現在、新型コロナウイルス感染による死者数が5万5000人を超えた米国。中でもニューヨークは他に類を見ない感染爆発を経験し、同
野村 克也[のむら・かつや]氏 1935年京都府生まれ。京都府立峰山高校卒業。1954年、テスト生として南海ホークスに入団。3年目にレギュラーに定着すると、それ以降、球界を代表する捕手として活躍した。監督としては、南海ホークス時代の1970年に選手兼任監督に就任したのを皮切りに、ヤクルトスワローズ、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を歴任した。ヤクルト時代に4度のリーグ優勝と3度の日本一に輝く。球界を代表する捕手にして監督。 「野村再生工場」の異名を取ったように、野村さんは戦力外になった選手を再生することが得意でした。 「再生工場」という言葉は、南海(現ソフトバンク)時代に巨人の2軍だった山内(新一氏)や松原(明夫氏)、東映(現日本ハム)の若手だった江本(孟紀氏)をトレードで獲得して、ローテーション投手にしたことから始まったんです。コツと言われるとただ使うだけで何もないけど
今、多くの日本の大企業がイノベーションの停滞に直面している。それは、2018年に創業100周年を迎えたパナソニックも例外ではない。パナソニックは、どのようにイノベーションを生み出せる組織へと変わろうとしているのか。同社に12年間勤めた後、外資系企業などを渡り歩き、パナソニック コネクティッドソリューションズ(CNS)社に社長として戻った樋口泰行氏と、「両利きの経営」の大切さを説く早稲田大学ビジネススクールの入山章栄教授の対談を通じて、「大企業病」を打破するためのヒントを探る。 シリーズ第1回は、樋口氏がパナソニックに「出戻った」ときの第一印象を打ち明ける。樋口氏は「去ったときと戻ってきたときで、『大企業病』のような状況が、ほとんど変わっていなかった」と話す。 大竹 剛(日経ビジネス編集):今日はお忙しい中、「日経ビジネスRaise LIVE」にお集まりいただきまして、ありがとうございます。
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