日本の園芸は江戸時代に独自の展開をとげました。それも、他の国々では見向きもされなかった野草が次々に園芸品化されるとともに、斑入ふいりの草木や変化朝顔が流行するなど、世界にも例のない方向に発展しました。一方で、異国の草木が次々に渡来し、江戸時代の園芸は隆盛をきわめます。 1. 流行の変遷江戸時代前半の園芸はツバキ・サクラ・ウメ・ツツジ・カエデなどの樹木が中心で、草類はキクくらいでした。時代が下って18世紀中頃からは、草類が主役になり、オモト・アサガオ・マツバラン・ハナショウブ・フクジュソウなどが登場します。 二代将軍徳川秀忠がツバキを好んだのが、江戸時代に園芸が盛んになるきっかけのひとつだったといわれています。17世紀前半にツバキの品種は100を超え、それに呼応して数々のツバキを描いた著作が現われました。この資料には48品が描かれており、ここに示したのはその一部です。「酉ノ三月六日写生終」と