九州大学の古賀徹准教授の非科学的な非科学狩りと云うエントリを読んだ。 先に言い訳しておくと、ちょっと感情的になりそうなのであまり親切に、丁寧に書けないと思う。 科学的に効果が証明されていない物質を摂取することで、より適切な手段がとられないなど、別の害が生じる可能性は存在する。しかしそれは、二つの手段のうちどれが可能性としてより適切かという比較の問題である。前者より効果的だと予測される手段があるのにそれが採用されていないという批判なら分かるが、前者が「非科学的」だからその手段をとるべきでないという批判は、多くの場合それ自体非科学的だといえよう。このひとは、ではどうすれば二つの手段のうちどれが可能性としてより適切かという比較の基準を共有可能にすることができる、と考えているのだろう。「非科学的」だからその手段をとるべきでないと云う基準を置くことは、まさに個人的な経験の範囲を超えて共有することので