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アートと芸術に関するchorinskyのブックマーク (2)

  • ICC ONLINE | ARCHIVE | 2010 | オープン・スペース 2010 | 展示作品

    暗い部屋の中を走る鉄道模型の先頭には,ちいさなLED照明が点灯しています.その車両は,模型の線路のルートに従い,大小さまざまな「もの」が配置された室内をゆっくりと移動し,それに伴って「もの」の影が室内の壁,天井に投影されます.その光源の動きから,静止している「もの」の影が映像として動きだし,車窓からの眺めのように移動し,あたかも観客が車両に乗っているかのように影に包囲されます. この作品で投影される影は,改造された鉄道模型に搭載されたLED照明による光源から生み出されています.この光源は点光源と呼ばれ,光源から光が放射状に広がり,それによってできる影も放射状に投影されます.そのような環境では,「もの」と光源の位置関係が近ければ影は大きくなり,遠ければ小さくなります.この作品を形成している要素は,物質的には鉄道模型と線路のそばに置かれた「もの」だと言えますが,さらには光源としての点であり,そ

  • 【美術評論の手法】、ポルノとアートの境界線

    § ポルノとアートの境界線 0 問題の所在 世の中には、裸の図像があふれている。今に始まったことではない。人間の歴史がはじまってから、ずっとそうである。ダ・ヴィンチやミケランジェロが教会の壁画に描いた絵でも、人は裸である。この場合、人の姿をした「神」であることが多いのだから、さらに冒涜的かもしれない。いずれにしても、厳かであるべき教会のなかは、裸であふれている。 ただ、こうした(宗教)絵画と、現代のヌード写真を、並べて議論するといえば、唐突に聞こえるだろう。たしかに二次元の図像に変わりはない。しかし、はっきり説明できないが、一緒にしてはいけないのではないか、という”感じ”がする。 こうした微妙な感覚のゆらぎは、美術史にもしばしばおきていた。 たとえば、下のジャン・ロレンツォ・ベルニーニ作『聖女テレージアの法悦』を見てみる。「法悦」というエクスタシーの表現として取り上げられる彫像である。「法

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