国境の島、対馬(長崎県)は古くから国防の最前線に立ってきた。中でも13世紀、蒙古(もうこ)と高麗(朝鮮)両軍による2度の元寇は凄惨(せいさん)を極めた。 幕末の1861年3月には露軍艦ポサドニック号が対馬・浅茅(あそう)湾に現れ、芋崎(対馬市美津島町)の一部を半年間、不法に占拠した。露艦隊の退去に一役買ったのが英海軍だ。英国公使ラザフォード・オールコックが軍艦2隻を対馬に派遣し、露軍を力づくで退去させた。 油断ならないのは、オールコックが英本国に対馬の占領を打診していた事実である。今も昔も国際社会は腹黒いのだ。 近年では平成20年、韓国の国会議員約50人が国際法上も歴史上も根拠がないのに「対馬返還要求決議案」を国会に提出するなど、領土的野心を隠そうとしない。対馬の祭りでは朝鮮通信使に扮(ふん)した韓国人が「対馬はわが領土」と韓国語で歌いながら練り歩いたこともあった。 そんな現実を前に対馬で